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「あなたのおみとり」を観て、親の看取りをふりかえった

映画「あなたのおみとり」を観ました。

制作された村上浩康監督のお父様をご自宅で看取ることを決意されたお母様。おふたりの40日余りの日々を、監督のカメラを通して見つめたドキュメンタリーでした。

https://www.omitori.com/

このnoteを開いて自分の体験やキャリアのことなどを書いていきたいと思っていながら、
1年以上なかなかか筆が進まず公開できていないのですが、
実は母の介護・父の介護、その終わりまでのことを自分の中でどのようにとらえているのか、全然整理できていないんだということに気づかされています。
下書きで長々と自分のことを書き連ねては、いや、こういうことじゃなくて・・の繰り返し。

もちろん自分の文章力・表現力の無さが一番のネックなのだけど
長文の先に何があるのか、自分がまだ明確に見いだせていないんだと、
最近思うようになってきました。

そんな中でこの映画のことを教えていただき、観てきました。

*****
正直観る前の私は、両親を自宅で看取ることができなかったので、
作品を観た後に後悔したり無力感に苛まれたりするかもしれないと少し怖く、覚悟をしていました。
でも、観終わったとき、無力感や自分を責めるような気持ちに襲われることはありませんでした。

率直な感想は「羨ましいな」という気持ちになりました。

私の場合、
母は、若年性アルツハイマー型認知症を発症して自宅で急速に精神症状が悪化したことから、入院・老健での生活を経て介護療養型医療施設で長い年月を過ごし、寝たきりになり意思疎通ができなくなり、息を引き取りました。

父は、母を見送って3年経たないうちに、アルツハイマーと癌を発症し、両方とも進行が早く、グループホームで緩和ケアと見守りをしていただき亡くなりました。

*****
羨ましいと思ったのは、いくつかあって

・何よりもまず、お父様とお母様が90代・80代になってもご家族と意思を伝えあい言葉を交わしておられたことでした。
私の両親は、母が50代初めに認知症になって、早々に会話が子供のようになっていって、母娘として話せた時間が短かったし、
父は認知症で癌の痛みを表現するのが難しくなって幻覚や妄想で訴えていたので、
話したいことを伝えられることの幸せ・ありがたみを、特に父が亡くなるときに想っていました。

・映画の中で監督のお母さまが、寝たきりのお父様の足裏を絶妙な力加減でさすってマッサージしていた様子が印象的でした。
てのひらの温かみやお父様が眠ることができる気持ちよさを感じて穏やかに過ごせる時間。
純粋に、家族ができる一番のケアを実践されていることがとても素敵だし、私もそれをしたくて、介護離職をしたはずだったのに、
私が会社を辞めたときには、既に母は自宅で過ごすには精神状態が不安定過ぎて、わずか数か月で入院・施設入居になってしまいました。
退職した後の生活を想像したときに、ちょっとした憧れだったことを思い出しました。

・そして、父のことを思いました。
家が好きで、本人は家で過ごすことを望んだけれど、デイサービスも訪問介護も受けたくないと頑なで(かろうじて夕飯と服薬のフォローだとして訪問介護と宅食サービスだけ入ってもらったけど)、
通勤している私がいない間に一人で私を待てるような環境の整備は居住している地域の介護サービスだけでは厳しく、
訪問介護のヘルパーさんとケアマネさんが紹介してくださった、訪問診療のドクターの取り計らいにより、医療・看取り対応型のホームで最期まで過ごさせてもらいました。

最後の1か月、コロナ禍の中でも面会できるチャンスを何とか調整してもらい、防護服と手袋とマスク姿でのコミュニケーションでした。
直接手を握ってあげられなかったけど、会えた時には喜んでくれた父の顔はずっと覚えています。

村上監督のご家族をスクリーンを通して見つめることができて、
改めて、「家で最期の時を過ごす」ことを
本人の希望、家族の想いと覚悟、それを支える地域の医療介護スタッフの方や近所の方とのつながりなど、それぞれの視点・状況に思いを馳せました。


*****
両親それぞれが亡くなったのは、夜中でした。
母のときも、父のときも、その時に努めていた職場で結構無茶ぶりの仕事を抱えていながら、いつ何があってもおかしくないと言われていて、
「このタイミングでこんな理由で忙しくしているのに、ここで何かあったら職場を恨んじゃうかも」と思う中
施設からの連絡で亡くなったことを知り駆けつけました。

とにかく仕事しなければ、介護しながら自分も生きていくための糧を保てなかったとはいえ、

この時の自分は家族のことを一番に考えられていたのか・・
まだ自分の中で親不孝をしたのではないか・やり方があったのではないかと反省なのか後悔なのか、
あのときの自分の時間と気力体力のベストエフォートとの折り合いがいまだに揺らいでいます。

そんな感情が、「羨ましい」の表現になっているのかなと、思っています。

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