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夏が楽しみな人のささやかな祈りについて

5月って秒で過ぎるんですね、この間GWだったのにもう終わりですよ、5月。ほお〜

「もう○月か、はあ」みたいな、わたしはよく「やばい」「うわ何もしてない」って思うんですが、それってなんでだろう??

別に何もしてないわけじゃない。

毎日ご飯を食べ、車を運転し、卒論執筆やらSlackの返信やらプロジェクトの進捗確認やらをしてる

もちろん、時にはお酒飲んだり友達と電話したり買い物行ったり遊んだりしてる

こうやってやって字にしてみるとめっちゃいろいろやってんのにな。笑

やべえ時間に置いてかれてる、、、ってなる。

その感覚に陥る理由と関係するかもしれないことについて考える時間が多かったので、思ったことをつらつら書いてみる!


「こんなことやってても意味ないじゃん」
自分で思ったり、周りから言われたりしたことがあるであろう言葉。

意味がない、やっても効果が薄そう、と思っててもやろうと思ってることには種類がある。わたし的には。

ひとつは「自分の目標達成のためにはやったほうがいい」こと。

もうひとつは、効果がある無いではなく「シンプルに自分が楽しめると思ってる」こと。

前者の理由でやってることはきっといつかできなくなるし、必ず自分を削っていく。後者の理由でやってることは時々目的を見失う、これでいいんだっけ、となる。

これから働き始めたらきっと「やったほうがいいよなあ」って言ってやることばっかだよなあ、わたしの性格だと

「楽しい」への感度が下がっている時はしばらく休んだ方がいいんだけど、休むのが怖くなってる、億劫になってる。

怖いというか、それはそれでつまんないな、みたいな。

刺激を求めすぎる病になってるかもなー。名前付けてくれだれか(笑)

楽しく生きなきゃ、の呪いかも。
楽しくなくてもいいじゃん、なんも目的なくてもいいじゃん、意味なくてもいいじゃん。


「意味がないことなんてない、って言う人いるけどそれは本当かな?」って言ってる人がいた
それは本当にやるべきことから目を背けてるだけじゃない?って。

わたしはその人とは違って、意味がないことなんてない、を信じていたい人だし、この言葉にいつだって救われてきた

ぐだぐだしてる時間も、寝る間も惜しんで頑張る時間も、やりたくないけどしょうがないやるかあと一念発起する瞬間も、友達の愚痴を聞く時間も、LINEする時間も、パソコン置いて旅行に行く時間も、家族と一緒にご飯食べる時間も、ペットとじゃれ合う時間も、全部わたしの人生だ。

自分がしたいからしているし、それのどれが欠けてもわたしの人生でなくなってしまう。

数ある行動の選択肢の中からそれをすることを選び、している。
それだけで無駄ではないと思いたい。

というのも、「頑張れない自分も無駄じゃないよね、そういう自分もたまにはありだよね」っておもってOKが出せたら前向きに、にこにこで過ごせる時間が増えるんじゃないかと思うからなんだ。

だから、わたしは無駄な時間なんてないって信じたい。
自分は自分の味方でいてあげたい。

無駄と思えるようなことまで楽しんでしまう心意気を持って生きる大人はどれだけ素敵か、軽やかか、爽やかか。
そんな大人になれますように。


まあね、これはあくまでわたしの持論だから、他の人に押し付けてはいけないのだけれど!重々承知の上なのだけれど!

大事な人には時々、いやいつも、「こうやってゆるゆる生きてもいいんじゃない?」ってお節介おばさんしたくなるのです。反省。

みんながみんな一緒じゃないから助け合えるし、いつまでも楽しくいられるのよなあと最近思うのです。

違いもわかりあって、わかるためのエネルギーは惜しまずに。

素直に伝えたり、素直に喜んだり、時には素直に怒ったり。
無意識に出てくるわたしの頭でっかちな理論を、ゆっくり溶かしていけますように。


ちょっと結局何が言いたいのかわかんないけど、まとまんないけど、今わたしは梅雨なんか気にしないで夏を楽しみに待ってます。

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