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このブログの更新が滞っていました。
実は、8月の上旬に先代である、父親が他界しました。葬儀をはじめ、手続きなどが立て込んで更新が遅くなってしまいました…。
今回は、先代が他界したことと、世代交代について書いてみたいと思います。

先代の他界

去る2023年8月6日に、先代である父親が他界しました。76歳になる年でした。
晩年は癌との闘いでしたが、余命もうすぐもうすぐといわれながらもかなり頑張ったと思います。そうしたことから、私を含めた親族も準備ができていたといえばできていたので大きな混乱もなく無事に送れたと思っています。
頭はクリアであったので、ある意味、先代には他界するまで時間があり、葬儀を含めた様々なことをしっかりと残しており、そうした意味では残された身としても助かった部分は多くあります。

先代の遺志

  • 会社としては、対外的な公表を含めて何もしない。

  • 葬儀は家族葬にて執り行う等

明確な遺志がありました。なので、会社関係を含めた皆様へは特に公表もしておりませんし、社葬といった行事も執り行わずここで初めて書いています。
社長退任後もお付き合いのあった近い方々だけにお知らせをさせていただきました。

先代について

先代について少し書いてみようと思います。

父親が太平社に入社したのは1970年
社長になったのは2001年なので、まる15年の社長在任期間でした。

1970年以降といえば、高度成長期を経て、オイルショックが起きた頃です。会社の変遷を見る限り、初代のころはものすごい勢いで拡大をしていた様子でした。それが、オイルショックで一服するも、お客様に支えられ、その後のバブル景気全盛期でさらに拡大をしていったようです。おそらくバブルの時代が一番良かった時代ではないでしょうか。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊です。二代目である私の叔父が急逝し、平成不況中に社長に就任しました。
そもそも、トップに就くことを想定していなかったため、非常に苦労をしたと漏らしていたこともあります。先代なりに、ものすごく勉強をして、会社運営を担ってきたのだと思います。ましてや、高度成長・バブル時代の拡大から事業を縮小し維持をしなければならない時代なのでなおさらだと思います。
堅実な経営を行ったことにより、私が入社するまでの間は、拡大はしないものの、堅調な実績を積み重ねており、安定した業績を保っていました。

最大の危機 「リーマンショック」

このままの調子で行けるかと思っていた中、2010年前にリーマンショックが起こります。
2008年に入社したばかりの私は、あまり危機感を感じていませんでしたが、先代の決断は早かった。日本を代表するトヨタ自動車の業績が相当落ちるというニュースを知り、トヨタ系列ではないですが、自動車関連業のお客様を持つ太平社にも少なからず影響が来るはずだと予測し、かなりの熟考を重ねた結果、もう一段の事業縮小を断行しました。早い判断をした結果、業績は落ちたものの、その後、回復基調に戻すことができ、事業継続の安定した基礎を築いたと思います。

社長時代の苦悩

高度成長期の初代、バブル景気中の二代目に比べると非常に難しい時代のかじ取りを行ってきたのだなと思います。
そもそも、二代目である兄がいたため、経営について学ぶ機会が少なかったようです。そうした中、私の叔父である二代目が急逝したことで社長に就任し、急遽社長として立ち振る舞わなければならなかったことも大変だったと思います。
オーナー経営の会社のため、本来であれば、身内の役員がいていろいろ相談をしながら経営を進めることができるのですが、役員はいたものの、本当に話ができる身内がいない中、一人で会社を背負わなければならなくなった。社員の動揺もある中、何とかして会社を守る、存続させることを常に考えてきたのは大変な苦労だったと思います。

ワンマン経営の弊害?

先代の経営手腕ではなく、時代背景や社長になった情勢など外的要因が大きいと思いますが、私が太平社に転職した時に感じたのは、かなりのトップダウン型の会社形態になっていたと思います。
先代以前がどうであったかはわからないが、創業した初代(私からすると祖父)の強力なリーダーシップにより発展をしたのは間違いないと思います。創業当初はそうした形態でもよいかもしれませんが、年月が経つにつれまた、組織が大きくなるにつ、れて、形態や体制も変革が必要だと経営関係の書籍にはよく書いてあります。しかし、太平社はそうした体制にはなっていなかったと思います。

上場している大手企業で働いた経験が少なかったのか、私が働いていた企業ではあまりやってこなかった、すべての情報を社長にあげて判断を仰ぐような構造になっており、最後でひっくり返ることも多々あったのではないかと思います。そうした意味で結構重たい雰囲気にあったと感じたことを覚えています。そして、先代自身もそうした形を変えようとしていなかったように私には感じられましたし、そうした部分では、私が社長になる前は随分とぶつかっていたと思います。

安定した状態での世代交代

しかしながら、私が社長に就いた2017年ころには、これまでの激動の時代を乗り越え、しっかりとした財務・経営基盤の状態で世代交代をしてもらいました。これは本当にありがたいと改めて感じています。
さらに、私が社長になったときにはまだ父親が健在であったので、間違っていれば修正することもできますし、迷ったときにはアドバイスをもらうこともできます。何かあったら聞くことができる環境であったのは本当にありがたい。

世代交代について

父親が他界したことで改めて世代交代について考えてみました。これまで書いてきたように、私は本当に恵まれた形で交代できたと思っていますが、私の次についても改めて考えるある意味いい機会にもなりました。私は2023年に50歳になりました。他界した父親の年齢まであと25年ほどです。
少なくともそれ以上頑張らないといけないのだと考えると身が引き締まる思いです。よくよく考えれば、2017年からすでに8年を経過しています。先代が15年、二代目が28年、創業した初代が27年と考えると、順調にいけば太平社史上最長の社長在任期間になることになります…。

長い在任期間をどう考えるか…

これまでも書いてきましたが、太平社は、世の中の大半の中小企業と同様、オーナー企業です。そのため、私が決めれば物事が進みます。
しかし、70年以上経過した中小企業といえども、何から何までトップダウンの経営では生き残っていくことは難しいと私は考えています。
創業からの年数が経過し、それなりに組織体制が形になってきたのであれば、年数に合わせた運用形態が必要になると思います。すでに、70年以上経過している太平社についても、そうなっていくべきであり、むしろ遅すぎるように感じています。
急激に変わることはできませんが、少しずつ形態を進化させていきたいと考えていますし、すでに社長になって7年ほどが経過しており、そうした取り組みを実行してきているつもりです。
とにかく、楽をしたいってことです。

次の世代について

私が社長に就任して7年が経過したと書きました。
これまでは、企業規模を拡大するということよりも、安定して利益を確保し、強い財務体質で企業を存続させることを考えてきました。
そのために、製造部門の集約(ちとせBASEの建設)、こうしてブログを書いているように、WEBマーケティングへの取り組みを実践し、新規顧客の獲得を実践しています。(私が社長に就任してからのことはブログに書いていますので是非ほかの記事もご覧ください)

こうした取り組みには、太平社で現在部署のトップについている人材だけでなく、その下の若い世代も多く携わっています。
勤続年数が長くなること、考え方が膠着してしまうことがあります。
必ずしも、全員が全員そう言うわけではないのですが、やはり柔軟な発想で、また、IT、電子機器に慣れ親しんでいる世代の考えを取り込まないとこれから先は時代に対応できないという思いもあります。
なので、20代、30代の世代が良いと思うようなやり方や運用方法を前提に考えるようにと言っています。

さらに言えば、今後5年ほどで、これまで部署、会社を引っ張ってきた部署のトップクラスの人材が順次定年を迎える予定です。今回の件とは別に、この事実を認識したのは数年前なので、なおさら、次の世代を意識しないといけないと感じています。

このような、ブログを書き始めるきっかけになったWEBを通したマーケティングが必要になると言い出したのも若手から中堅クラスの人材です。皆、私が考えるよりもずっと素晴らしい感性を持っていて、会社のことも真剣に考えています。ものすごく頼もしく思いますし、感心すべき点も多くあります。私の考え、方向性と合っているのであれば、できる限り実行に移していこうと考えています。

また、私と一緒に役員をしてもらっている人材も来年には退任をしたい意向を持っています。
おそらく、次の世代を考えるいい機会であり、そういう時が来たのだと思っています。

オーナー企業である以上、トップダウン型になることはある程度仕方がないことだと思っています。しかし、トップ一人に頼るのはとても危険なことだと思います。やはり、社員が皆で考え、より良い方向に向かって試行錯誤するような会社でなければ、永続的な存続は難しいと思います。
今後、役員体制も変わっていく中、より一層私一人にかかる責任が大きくなります。今回書いたようなこれまでの流れを肝に銘じ、オーナー企業の悪い面が出ないよう、舵取りをしていきたいと改めて思いました。そして、ある程度次の世代は見えてきた中、その次まで考える良い機会を得たと考え、会社の存続をさせなければと今回の一件で改めて感じました。