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「お笑い第7世代」と言うけど第1〜第6は誰なんだ?【改訂版】

1年ほど前にこのタイトルで去年の7月5日にnoteを書いた。
https://note.com/t_shacho/n/nd44a2c55729e
「お笑い第7世代」と言うけど第1〜第6は誰なんだ?

この中で
今お笑いで「第7世代」というフレーズが注目されているがでは第1〜第6は誰なんだ?ということで「お笑い第1世代」とは 林家三平(初代)牧伸二、など「テレビ寄席」時代の芸人つまりお笑いがテレビが生まれる前からあった形をそのままテレビに持ってきた番組に出ていた人たちという定義をした。
そうするとダウンタウン、ウッチャンナンチャンが「第3世代」というのが決まっているのでその間が全部「第2世代」になり欽ちゃんもドリフもたけしさんもさんまさんも全部そこに入ることになった。
無理があるなあとは思っていたのだが最近読んだラリー遠田さん著「お笑い世代論」に
第1世代 ドリフ・欽ちゃん という最初に演芸から「テレビ芸」を作った人たち
第2世代 たけしさん・さんまさん MANZAIブームから生き残った人たち
第3世代 ダウンタウン・とんねるず・ウッチャンナンチャン 師匠なしの芸人
第4世代・第5世代 ナイナイ・ロンブー 番組×芸人要素が強い人たち
第6世代 キングコング・オリラジ のちにネットへ展開にいく世代
第7世代 霜降り・EXIT  ネット最初からありきの世代

この区分けの方がいいと思ったので訂正します。では最初のテレビにおけるお笑いを担った「テレビ寄席」世代はどうなるかというと『第0世代』とします。ヨーロッパのエレベーターに「0」の表示があって日本人からすると間違いやすいですね。「0」が1階で「1」は2階です。
これに倣ってこの方達を第「0」世代とします。1953年に日本にテレビが生まれて最初のお笑いは寄席に出ていた落語家や漫談をする芸人をスタジオに呼んでそのままやってもらったという記録が残っています。それがだんだん進化して公開収録の形で都内のホールやスタジオでやった「テレビ寄席」がどこの局にもありました。ここに出て人気を博したのが動きとアドリブ、客いじりもやった林家三平さんでした。この方達を「第0世代」と定義づける。コント55号はこの「第0世代」の最終ランナーでありその中の萩本欽一が「第1世代」のトップランナーだということができます。

「お笑い」ブームはテレビとの関係によって生まれ変化し、そして今ネットとの関係の中で次の段階に入ろうとしているのです。

このラリー遠田さんの「お笑い世代論」は丁寧な検証とたくさんの興味深い指摘があるのですが特に印象に残ったのが2019年「M-1グランプリ」で見取り図の二人が「お前さっきから黙って聞いてたら、女のスッピンみたいな顔しやがって。お前な、なでしこジャパンでボランチおらんかった?」と言った時に会場が一瞬静まり返った、という部分です。一昔前だったらみんな抵抗なく大笑いしていたことが”容姿をいじる”さらに具体的なアスリートに例えるということを拒否するようになっている。そして優しさを纏ったお笑いでないと受け取ってもらえなくなっている。
確かにそうかもしれない。

自分のことで言うと「元気が出るテレビ」から「電波少年」までよりきつい笑いを目指していくことがいいと思っていた。そして視聴者もその刺激に慣れて「より強く」と要求されていたような気がしていた。もちろんあの時代に「電波少年嫌い!」と言っていた人も沢山いただろうが”朋友×なすび×Rマニア”の時代に30%の視聴率を取ったことは事実である。あの時代にはあの毒の強さを笑っていたのがあの時代の日本人だったのだ。
でも今は明らかに変わった。あの毒の強さを今の若い人がいきなり見せられたら耐えられないのではないだろうか。
もちろん好きなお笑いほど個人差があるものはないしその耐性も様々なのだが「時代」の耐性というものを推し量ることも面白い。
茹でガエルという言葉があるが急に50度のお湯に入れられたら飛び出してしまうが20度からゆっくり温めていったら50度のキツい毒にも笑うのかもしれないしあの「電波少年」や「ごっつ」があった時代は最高温度の笑いがあった時代だったのかもしれないと思う。
良いとか悪いとかではないんだが。




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