三島さんとのグラップリング

長いこと柔術をやってきて色んな人と試合をしてきた。
競技歴でいえばもうベテランの域に入っているのかもしれません。
沢山ある試合の中で、印象的な試合や転機となった試合を振り返ってみようと思います。

僕は上京してもう3年になるが、それ以前は京都に住んでいた。出身は広島だが、大学進学をきっかけに京都に住み始めていた。

京都時代はグラウンドコアというジムに所属していて、その時から柔術もグラップリングの試合も積極的に出ていた。

2011年、僕がまだ大学四年生だったときだ。

グラップリングで「三島☆ド根性ノ助」選手との試合のオファーが来た。

三島さんは大阪のコブラ会という名門ジムの代表で、柔術、グラップリング、MMA界で初期から活躍されていて、数多くの実績を持っている方だ。

MMAではDEEPのチャンピオンになっていて、PRIDEやUFCでも戦っている。柔術は黒帯でADCCにも出場している。

全国的な知名度も高く、特に関西では知らない人はいないレジェンド的存在だ。
僕と試合した時点ですでに40歳近かったはずだが、その強さは各方面から伝え聞いていた。

そのレジェンドとのオファーが届いたときは、正直まったく勝てる気がしなかった。

僕はその時まだ青帯で、柔術やグラップリングでもそこまで大きな実績はなかった。簡単にいえばかませ犬だ。僕が勝てると考える人はほとんどいなかったと思う。

その時の心境としては恐らくかなりビビっていたはずだ。

確かに怖かった。怖かったけど僕の中で断るという選択肢は無かったので、オファーを受けた。
怖いけどやらなきゃいけないと思っていた。

大会自体はMMAの興行で、その中のグラップリングマッチとして組まれたのが僕の試合だ。
おそらく興行側としては、三島さんが鮮やかに一本を取るところを期待していたと思う。同様の声を会場でもチラホラ聞いていた。

そういう声を聞いて特に憤ることは無かった。
「まあ実績からしてそう考えるのが普通だよな」と思っていた。

でも自分は自分のやるべきことをやろうと、恐怖しながらも冷静だったと思う。

試合が始まった。

最初にいきなりテイクダウンされ、そこからは終始、三島さんのペースだった。正直いって試合の内容はほとんど覚えていない。

パス、マウントとポジションで圧倒された。僕からは何も出来なかった。ただただ攻撃を凌いで一本を取らせないように必死だった。

試合は5分×2ラウンドだった。
そのときはまだ青帯だから、試合時間は7分しか経験してなかったはずだ。10分間は長かった。苦しい時間ほど長く感じる。

また経験者ならわかるが、リングなどの舞台で試合をするのは、意外に天井のライトが熱くて眩しい。それも地味に辛かった。

何も出来なかった。守ることに必死だった。

2ラウンド圧倒され、結局そのまま時間切れとなり、判定で僕は負けた。

判定負けは当たり前だった。けど僕が驚いたのは一本を防いだことだ。トップ選手の三島さんから極められなかったことは自分でも驚いた。僕の方からはほとんど攻撃出来なかったが。。。

試合内容としては酷いものだったが、この試合は自分の中でとても大きく意味のある経験だった。
トップ選手の実力を肌で感じることが出来たし、何より(守りに徹したからだが)極められなかったことは大きな自信になった。

完敗だったけど、それ以上に良い経験が積めたので、オファーを受けて本当に良かった。この試合以降は「三島さんよりは弱いだろう」と思えば、たいていの相手に強気で挑むことが出来た。

当時無名だった自分との試合を受けてくれた三島さんにはとても感謝しています。

ちなみに三島さんは普通に選手としてもファンで、PRIDEやDEEPなどの試合をよく見ていました。強さはもちろんだがパフォーマンスも面白いので、よく知らない方がいるなら是非YouTubeなどで見て欲しいです。

今回は過去の印象に残った試合を書きました。けっこう長くなりましたが、また書ければ書こうと思います。読んで頂いてありがとうございます。
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