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20240209

少し前に買った千種創一さんの詩集を読み始めた。といっても、昨日いちばんに書いてある詩をひとつ読んだだけ。今日、またひとつ読もうと思っている。題は『削肉包(シュワルマ)』。シュワルマってなんやと思って調べると、Googleには「シャワルマ」と出てきた。「羊肉や鶏肉を金属製の串に突き刺した状態で回転させて焼いた、レバノン(レヴァント。シリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ)近辺の料理。」とある。ケバブとの違いは肉がマリネしてあるかどうからしい。

「清潔なレストランに着いて客人を待つてゐる、目を閉ぢて、朝焼けを見る、若しくは見ざるを得ない職業を考へる」とはじまる。その後、5行、その職業らが連なる。

この前、いつもはバスで行く武蔵小金井までを歩いてみた。雪が降る1週間ほど前だった気がする。右の道を行くか左の道を行くか悩んで左の道を歩いた。なんだか春を感じさせるまでの温さが続いている時期だったので、目当てのスーパーにつく頃には背中に湿りを感じていた。いつもは寒さに追われ迫られ足早に通り過ぎていたスナックや、地域支援センターの看板、歯医者さん、など。スナックはいつもやっているのかどうかわからないままだったが、扉の前に立ち止まってみると「会員制」と書いた札がかかっていた。小さなパン屋さんが建ちそうな面積の敷地に等間隔に木が植わっていた。少し眺めたけど、本屋の本棚を眺めているときに似たようなソワソワを催して立ち去った。あとは、参考書が揃いそうな古書店、アジア料理専門の定食屋さん。交差点でどの方角に進みたいのかわからない自転車を待ったりした。

「人間に感知できない5次元生物のようなものが海に住んでいてその寿命が10億分の一秒とかだとすると、その生物は私たちが波と呼ぶものに全て名前をつけて暮らしているかもしれない。逆に寿命が50億年の生物にとっては山もまた波のようなもので全ての山に名前をつけてる人間という生物に驚くかもしれない。」

https://x.com/yamadavideo/status/1754844512395108406?s=46&t=X9tkUAbQUR1Azr2CM9jvrg

遠いようで近い世界が存在する。これはいろんな、本当にたくさんのものを掠って生きている心地のことだと思う。これを読んだ。この壮大さには及ばないまでも、数か月後のこの場所には私でない何かや誰かが立っていることを想像したりする。そういう重なりを思ったときの気持ちと、この『削肉包』を読んだときの気持ちが似ていた。私が詩やなんかを好む理由のひとつもここにあると思う、世界が広いことを思う。私は結構こういうことをとても熱心に思っていたりする。(夜ごはん前)

いつもPCで打っているけど、眠れなくてiPhoneで打ってみたら"そぐ"と打ってるのに「探す」だの「差が」だのが出てきて、ほしい「削ぐ」は予測変換のだいぶ奥の方にあった。信用されてなさを感じたけど、でも予測変換は間違って打ってしまった人のためのものでもあると思うと仕事をまっとうしただけだ。
これを書いてるのは私が言いたいことを知っている私なので、日記にすると私にとっては繋がってるけど文章としては飛躍した散文になってしまう。(今,04:15)



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