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元農林水産事務次官による長男殺害事件【実刑判決が指し示す家族の問題のこれから】

今年6月、元農林水産事務次官・熊沢英昭被告(76)が長男(44)を刺殺した事件で、東京地裁(中山大行裁判長)は16日、懲役6年(求刑懲役8年)の判決を言い渡した。

長男殺害の元農水次官に懲役6年の実刑判決 東京地裁

親による子殺しは厳罰化の流れ

精神疾患や障害を一因とする長期ひきこもりに関して、なんら具体的な解決策が見いだせない昨今において、「執行猶予をつけるべき」という世論もあった。しかし私は、今回の事件で執行猶予などついてしまったら、「問題を抱える子供を親が殺す」という解決方法を、選択肢の一つとして国が許容することになる、と危惧してもいた

裁判長は判決の理由を以下のように述べている。

仕事のない長男を支えようとした努力は否定しないとしつつ、暴力は1回限りで、対人関係が苦手な発達障害に悩みながらもネット上で自分なりに人間関係を築いていた長男の「人生を奪う権利はない」と追及。引きこもり支援の知識や経済力があって友人も多いのに、暴力について外部に相談しておらず、酌量の余地は乏しいと主張した。
引用:日刊スポーツ 2019/12/13 長男刺殺の元農林水産次官、検察側が懲役8年求刑

裁判長は「情状酌量の余地は乏しい」と述べているが、殺人罪の法定刑は【死刑又は無期若しくは5年以上の懲役】とされており、被害者が親族の場合は、「懲役10~12年」が一般的と言われる。今回の懲役6年(求刑懲役8年)という判決は、事情が十分に考慮され、情状酌量されている。昨年の類似事件と比べても妥当である。

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2018年2月、父親(69)が、長男(43)の頭を金槌で殴って殺害。弁護側は、長男は精神的な病を患っており、被告人と家族は長男の行動に悩まされていたと主張。【殺人罪/懲役5年(求刑懲役7年)】

3月、父親(76)が、長男(48)を自宅で殺害。長男は重度の知的障害で、介護が必要な長男をトイレに連れて行く際、頭を叩かれたことに立腹して殺害を決意した。【殺人罪/懲役4年6月(求刑懲役8年)】
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ちなみに数年前までは、親による子殺しに対して執行猶予がつくことも多かった。拙著「子供の死を祈る親たち」(新潮文庫/2017年刊)の中で私は、事件の事例を掲載し(以下に再掲)、「問題を抱える家庭において、家族同士の殺し合いという解決方法がスタンダードになってしまうのではないか」「また司法においてはそれを後押しするような判決も下されている」と指摘した。

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2014年6月、精神科通院歴があり家庭内暴力を繰り返していた20代の息子を、60代の父親が刺殺【懲役3年執行猶予5年】

2015年2月、家庭内暴力のあった40代の娘を、80代の父親が絞殺。娘には精神科通院歴があり強迫性障害と診断されていた【懲役3年執行猶予5年】

2015年7月、精神疾患のある30代の娘を、60代の父親が殺害【懲役3年執行猶予5年】
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過去の判例を顧みた上で考えると、最近になって親による子殺しに厳しい判決が下されるようになったのは、増加する親族間事件に対する「歯止め」の意味合いもあるのではないか。児童虐待も厳罰化する昨今である。深い事情があるとはいえ、成人した子供の命を親が奪うという行為を許してはならない、という司法の仕切り直しにも思える

こわれた家族は「ブラックボックス」

このような事件の際に常に思うことは、当事者である子供が殺されている以上、「真実は闇の中」なのである。とくに当事者が長期にわたりひきこもっている場合、その「人となり」や「日常生活」を知る者は家族しかおらず、穿った見方をすれば、本人に手をかけた後で、いかようにも脚色できてしまう。

たとえば今回の事件でも、被害者が「中学入学後にいじめを受け家庭内暴力を振るうようになった」ことや、「ひきこもりがちだったこと」などは明らかにされたが、どのような生育過程をたどり、どのような親子関係だったのかについてはほとんど語られていない。

被害者が生前、ツイッターに両親に対する恨みを綴っていた、という報道もあったが、これもあくまでも被害者の弁であり、真偽は不明である。

87年、英一郎氏は、東大合格者を多数輩出する都内随一の中高一貫校、駒場東邦中学に合格した。だが、本人は中学時代を想い出し、次のようにツイッターで負の感情を吐露している。
〈私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した〉(17年2月2日)
引用:週刊文春 2019/12/14 母を「愚母」と罵倒、父は「もう殺すしかない」――元農水次官が“息子殺し”という地獄に至る「修羅の18カ月」

裁判には被告の妻も出廷し、娘(被害者の妹)について、「兄(被害者)の関係(原因)で、縁談があっても全部消えた。(娘は)それで絶望して自殺しました」と語ったそうである。きょうだい児の苦しみについては、私もさんざん見聞きしているので、察するに余りある。

しかし本当に、娘が自死を選んだ原因が兄のことだけだったのか? たとえば、兄に対してなんら具体的な対応をとれない親に対する悲観もあったかもしれない。親が知らないだけで、他にも悩みを抱えていたのかもしれない。だからこそ被告の妻の証言をもって両親に同情を寄せ、「殺された被害者の自業自得」と言い切ってしまうことは、あまりに短絡的だ。

私のこれまでの経験から言っても、親子関係がこじれたまま長期間を経た家庭においては、お互いに被害者意識や他罰思考が強くなる。閉鎖的な人間関係の中で、「親が悪い」「子が悪い」という憎悪が際限なくふくれあがってしまう。だからこそ、親と子、双方の話をすりあわせない限り、真相は見えてこない。私が介入する際には、きょうだいや祖父母、ときには子供の学校の担任にまで話を聞きにいくこともある。それくらい、こわれた家族というのは「ブラックボックス」なのだ。

超エリート層の親が事件を起こした意味

「この父親が押川さんに依頼していたら、息子の命は助かりましたよね」

今回も事件後、そんなふうに人から言われた。もちろん私が依頼を受けていたら、本人及び家族の命を守るためにあらゆる行動をとっただろう。しかしそれ以前に、この父親が相談に来たとして、私は依頼を受けただろうか。

私はこれまで、いわゆる「超エリート層」と呼ばれる家族からの相談も多々、受けてきた。庶民からすると面白くない話ではあるが、そういった人たちは、精神科病院のベッドの一つくらいコネクションを用いて押さえることができる。お金のことしか考えていないような親でも、一度か二度は、子供に入院治療を受けさせている。その後、継続した治療を受けられずに入退院の繰り返しとなっているケースが多いものの、トライはしているのである。

熊沢被告も、精神科医に相談はしていたようである。先に引用した文春の記事によれば、

「実は、英昭さんは英一郎くんの病状を案じ、精神科医である妹の夫に相談し、改善の道を模索していたのです。彼女の夫は、千葉県内で総合病院を運営する理事長で、(同病院の)事務長が長年、英一郎くんの面倒を見ていました」

ともいう。その気になれば、入院治療くらいいくらでもできただろう。しかし、そのために奔走した形跡はない。もちろん、入院すれば改善するという簡単な話ではないが、人脈があるならなおのこと、入院中に第三者を含めて今後のことを話し合うなど、できることはあったはずだ。あるいは暴力を振るわれた際に警察を入れて毅然とした対応を示す、という手段もあった

先述したように、(親の理解によれば)息子のことが原因で娘が自殺までしているのである。私の経験から、家族の問題がこじれ、誰かが「死」(自殺だけでなく殺傷事件や未遂も含む)に至るほどのトラブルが起きた家庭に関しては、さすがに行政や医療機関も危機感をもって対応してくれる。両親が頑ななまでにSOSを発しなかったのは、なぜだろうか。

被告は被害者の就学や就労を支援し、一人暮らしをしていた家にも定期的に出向くなど、寄り添っていたという。しかし心のどこかで、どんなにサポートをしても、自分が望むような「自立」には至らないという、諦めの気持ちが芽生えていたのではないか。

被告は省庁の事務方トップを務め、知識はもちろんコネクションもあり、経済的にも恵まれていた。そのような人物が、「殺す」という手段を選んだ。たとえば一般人が他人を殴るのと、ボクサーが他人を殴るのでは罪の重さが違うように、この事件は非常に重い意味合いを持つ。

被告の対応に世間体や見栄を感じるのはもちろん、こういったケースは医療につないでからが本当の勝負であり、真の回復・自立までには長い年月を要する。被告は立場上、そのことが分かっていたからこそ、絶望し、子殺しという手っ取り早い手段を選んだのではないか。親による子殺しが、(他人を殺害した場合に比べると)重い罪にならないことも理解していただろう。実際に、被告のパソコンには、「殺人罪」「執行猶予」などと検索した履歴が残っていたことを、検察が指摘している。

“社会の目を活かす”ことが唯一の解決策

改めて伝えたいが、このような状況に陥った親が最もなすべきことは、「当事者自身を第三者につなげる」ことなのである。たとえば入院治療を受けることで、主治医だけでなくワーカーや看護師との人間関係をつくる。退院後に実家に戻るのが難しいならば、グループホームなど行き先を探すか、一人暮らしをするにしても、訪問看護等の支援を受けられるようにする。いずれも本人の意思が重要視されるため、言葉で言うほど簡単なことではないが、こういった「社会の目」を活用する以外に、解決の道はない。

第三者の協力を得るためには、家族の真実を明るみにする必要がある。当然、家族の恥部をさらけ出すことにもなるし、誠心誠意、頭を下げなければならないこともある。経済的に痛手を負うこともあるだろう。しかしそれこそが、親の果たせる「最後の責任」ではないだろうか。

世論はこの事件に対し、「被害者が悪い」「自業自得」という風潮である。直前に川崎市で通り魔事件が起きたこともあり、「親として責任をとった」「よくやった」と称える声さえあった。「だから、執行猶予をつけてあげてほしい」という理屈だ。しかしこの考えは、親による子殺しを推奨することにもなる。障害を抱える子供をもつ親に対して同情を寄せているようで、実は「親の責任で始末してくださいね」と突き放してもいる。このような世論は、いろいろと問題を含みながらも機能している日本の精神科医療・精神保健福祉行政を後退させることにもつながる。

私たちがなすべきことは、親による子殺しに賛同することではなく、当事者・家族のために社会がどうあるべきか、議論を重ねていくことだろう。そういった意味でも、今回の判決は社会に対して警笛を鳴らす、意義の感じられるものであったと思う。

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