神童
私の職場は神社である。
お守りお札授与所の窓は、映画のスクリーンのように大きく開き、そのスクリーンの真ん中を参道が横に走っている。
その窓に対面する机で仕事をしているわけだが、仕事と言っても、祭りの前の静けさで、参道をゆく参拝者や、風に揺れる御神木や、そこに訪れる鳥やねこやたぬきやイタチの動くさまを借景にして、祭りの段取りをぼんやり考えている。大きなカレンダーの裏に手書きでタイムスケジュールを書き、そこに付箋で人員や必要な物などを貼っていくという図工の時間のようなことをしているのである。暑くもなく寒くもなく、秋らしいさわやかさ。めずらしくおかしな人もやってこないし、今日は本当に平和な日だ。
こっちに向かって未就学児童と思しき男児がやってきた。五歳ぐらいか。後ろに、明るい髪色のお母さんがいる。二十代ぐらいか。
「なんであそこに織田信長の家紋があるん?」
男児が質問を投げてきた。
「ん?どこのことかな?」
「お賽銭箱にどうして織田信長の家紋がくっついているのか、ってこの子がなんべんも言うんです、私はよくわからへんねんけど」と、お母さんが説明。
むむむ。
当社の賽銭箱には素戔嗚尊のご神紋である木瓜紋が入っているのである。
私はすぐにiPadで織田家の家紋を調べた。
「織田木瓜」と言う木瓜紋の一種であった。
驚愕した。今までそんな指摘をしてくる人はいなかったのである。
「あのご神紋は、素戔嗚尊さんという神様の紋で、木瓜紋と言って織田家も同じ柄だね、すごいね!」
子供は軽くジャンプしていたが、お母さんは「そうなんですね」と通常のテンションであった。織田信長にも素戔嗚尊にも我興味なしといった風情がいっそ清々しいほどである。
まあ、もしかしたら男児の父親が「信長の野望」などのゲームをしているのをこの子が見ていて、織田家の家紋を覚えたのかもしれんな。知らんけど。
と、私が考えているところへ男児がまた聞いてきた。
「ねえ、こっちの燈籠はいつの時代に作られたもの?」
ええええ!
たまげた。当社には参道を挟んで二つの燈籠が立っているのだが「こっちの燈籠」は鎌倉時代に、「あっちの燈籠」は江戸時代に奉納されたものだからである。そして鎌倉時代の燈籠の方が、各部の表現が複雑で秀逸なのである。
どんだけ目利きなんだ、この男児!
というか、五歳に「時代」の概念があるのか。
五歳には「今」しか存在しないと思っていた。
五年しか生きていない者が、「むかし」に思いを馳せることができるなんて。
「鎌倉時代だよ。すごいね、わかるんだね」
興奮して話す私に、またしても母親は平常モードのまま「へえ。そうなんですね。ありがとうございました」と言って普通に去っていった。
神童は、秋風に乗ってさらっとやってくるんだなと思った。
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