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「自分がしっかりとしていなきゃいけない」思い込みに、寄り添うこと

子供の頃、母から、
「よく『頭痛い』って不機嫌になったよね笑」
と笑われた。

自分は偏頭痛持ちで、楽しい旅行中でも、頻繁にツラい頭痛で、歩くのもしんどいほどだった。
でも、母は頭痛を訴える僕に、特に何もしてくれなかった、と思う。

人はメンタルや体調が安定している「べき」だ。
そういう価値観が自分にはある。

ワガママじゃない。めんどくさくない。
母は僕に、そういう存在でいて欲しかったんだろう。

それは僕も父親としてよくわかる。
子供にはそうあって欲しい。
子供はそうであると思いたい。そういう自分もいる。

僕自身が、子供に何を言えるだろう。
「痛いんだね、つらいよね」
「人生難しいこと一杯あるよね。大変だよね。僕も難しくて落ち込む時期もあったよ」

人間には、「嫌なことをイヤと言える」「ツラい時に適切に表現できる」ことが重要だ。
ましてや今はデジタル時代。情報は泡のように我々の周りに湧き上がってくる。
自分の不快を押し殺して全て聞いていると、いつしか泡の中で溺れてしまうだろう。

そんなことはよく分かってる。
でも、自分の親と同じことをやってしまうのも、また人間だからだろう。

それは許されないこと、と否定すると、より悪化するのだ。
だから、

そういう好きじゃない自分もいる。
そういう自分に、寄り添いたい。

と思えるようになりたい。

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