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限られた時間の中で、私たちはどう生きるのか?

コロナで外出自粛になる以前、会社の有志メンバー定期的に勉強会を開催していた。勉強会では、あるお題についてディスカッションする時間を設けている。お題は、その日のファシリテーターが決める。YouTubeの動画や最近読んだ本でもOKだ。自分を高めるため、そしてメンバー同士の価値観を共有したいという思いで始めた。

ある日、その日のファシリテーターがお題として持ってきてくれたのが、この動画。

時間という財産。TEDの動画だ。
私はメンバーが教えてくれるまで、この動画を見たことはなかった。その日集まった仲間と動画を見ながら、それぞれが感じたことをシェアしていった。その中で、

「あなたは、まだ20代だから時間は無限にあると思っていない?僕が20代のときはそうだったな。」とあるメンバーから言われた。

そう、確かに昨年までの私なら「はい、時間はまだまだあると思ってます!」と否定することなく元気に答えていたであろう。しかし、今年の1月から私の「時間」に対する考え方は大きく変わった。それは父の突然の死に直面したからだ。

2時間前まで元気だった父が、いきなりこの世から去ってしまう瞬間をみたときに、「人っていつ死ぬかわからない」と本気で感じた。それまでは、「死」というものは顕微鏡を使っても見えないくらい遠い先にあるもので、現在の私とはほぼ無関係の存在だと思っていたが、父のことがあってからずっと目の前にある。

死は少しずつ寿命とともに自分の身体に近づいてくるものではなく、遅かれ早かれ人は最後は死ぬんだと初めて分かった。だから私は自分の命の重みを感じたくて、悲しくて怖くて逃げ出したかったけれど、父の死を最後まで見届けた。

それから私の時間に対する価値観は変わった。
自分の人生、いつ終わりになるかわからない。それならば人生楽しく生きようじゃないか。

どうすれば良い?楽しく生きるために今の私に足りないことを考えてみた。それは『自分の気持ちに素直になること』だ。小さいときから自分の気持ちに蓋をしてきた。そろそろ、自分を開放してあげても良いのではないか?自由に羽をのばして良いのではないか?そう思うようになり、自分を許して、自分の気持ちを大切にしながら生きようとしている。
そして、私は大きなことができるほど偉大な人間ではない。ただ、自分の世界にいる身近な相手を大切にできる人間になりたいと心からそう思う。

「使命」

使命とは、役割や自分がやらなければならない義務のことだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
使命とは、『命を使う』こと。限られた時間の中で、どのように自分の命を使うのか、それが生きた証となり、自分の幸せに感じることなのだろう。

命をどう使うのか、どう生きるのか。
これを考え続けることが、父から与えられた最後の宿題なのかもしれない。

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