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あなたの知らない世界 ナゾに楽しい会社

前回の記事だけ読むと、就職するのが怖くなるかもしれませんので、今回は日本にも楽しい会社あるよということをお伝えしようと思います。


知らない世界1 面接で社長に腹パン

最終面接。履歴書の「趣味:空手」というのを見て、
社長「空手やってるの?じゃあ、俺にパンチしてみて。」
私 「え⁇ は、はい」
(腹にパンチ。空手で言うなら突き。)
社長「弱すぎる。俺、腹筋鍛えてるから、もっと本気で。」
(もう一発パンチ)

面接で社長にパンチさせられるとか、訳わかりません。
入社後、社長に叱られるたびに、あの時全力でパンチしとくんだったと心の中で毒づいていました。

知らない世界2 入社したらもう一人前

入社初日。
上司「香港にこれこれFAXしといて。」
私 「香港って⁇英語でですか⁇」
上司「中国語でもいいよ。」

カッコよく言えばOJT 、習うより慣れよってやつですね。
新卒入社だったので、会社ってそういうものだとばかり思っていました。分からないことは先輩に聞けばいいので、意外と何とかなるものです。

知らない世界3 ナゾに多い海外出張

入社して3か月後には香港出張へ。
私は2か月に1回程度でしたが、多い人だと毎月のように出張に出ていました。

香港出張中は、日によっては夜10時近くまで仕事、土日休みなし(振休は出る)、朝は全員ジョギング、と今のコンプラで見ればかなりブラックです。が、若くて体力もありましたし、宿泊先も香港中心部だったので、何かと楽しかったです。
当時は円高(1ドル100円以下だった時期も)。バッグ好きさんたちは休憩時間になると近くのヴィトンに駆け込んでいました。

私はというと、初日は女性社員だけ&フリータイムの韓国出張と、昼から乾杯が任務の中国出張の方が楽しみでした。

知らない世界4 仕事はみんなのもの、休みは自分のもの

職場の人と遅くまで飲んだ次の日、二日酔いに耐えながら出社したところ、フロアに数人しか来ていない…

そんな感じで、繁忙期以外は皆さん気兼ねなく休んでました。
リフレッシュ休暇はありませんでしたが、皆さん「旅行行くので」と年休や有休をフルに使ってました。私も急病で2週間近く休んだことがありますが、何の引継ぎも遠慮も要りませんでした。

おそらく誰かしら出張で不在のことが多かったからだと思いますが、書類は全て共有、仕事を属人化せず、同じ業務担当ならいつでも誰でも代行できる仕組みになっていました。

今でいうなら業務のシェアリングってやつでしょうか。
営業や経理の仕事を手伝うこともありましたし、急に部署異動になることもありました。お互い気楽にヘルプし合えるので、無駄な空き時間も出ないし、ほぼ定時で上がっていました。

なので、他の会社の「休みが取りづらい」「休暇中に会社から電話が入る」という話を聞いても、意味が分かりませんでした。

知らない世界5 職場の陽気な仲間たち

人間関係もシンプルでした。
部署には20-30代しかいなかったので、苦労を分かち合う陽気な仲間たちといった感じで、忖度残業したり上司のヨイショをする必要はありませんでした。

離職後も気軽に飲みに誘えますし、元社員が取引先として出入りしていたり(私も取引先に転職)、在職時期がかぶっていないOBOG間でも気が合ってリクルートし合うということもありました。

あとがき

何かとハチャメチャな中小企業でしたが、輸入業だったので当時の円高の恩恵を受けて業績はよく、決算ボーナスが出ることもありました。

この会社では本当にいろいろなことを学びました。
ビジネスとはつまるところ物やサービスの売買、非常にシンプルだということ。海外取引では、流暢な英語力や企業名より、交渉力や個人的信用の方が重要だということ。離職後に起業する人も多かったです。

会社全体が働きやすい環境だったとは思いませんが、私の所属した時期と部署は恵まれていて、毎日出社するのが楽しくて、社会人ってサイコーと思ってました(本音です)。
よく働き、よく稼ぎ、よく遊ぶ。そんな日々でした。


最後に、この会社の前の就活先だった業界最大手の上場企業の話。

最終面接でずらっと並んだ約20名の就活生のうち、女性は私一人。面接官の5~6名の役員さん方は皆さんお揃いの60代以上の男性。
質問すらされることなく、不採用になりました。

第一志望だったのでかなりショックを受けましたが、その数年も経たないうちに不況の煽りで経営悪化。その後も業績不振が続き、近年倒産したとのニュースを目にしました。

仮に採用されていたら、私も毎日暗い顔で満員電車に乗り込んでいたのでしょうか。想像するだけで恐ろしいです。
万事塞翁が馬。今となっては落としてくれたことに感謝しかありません。

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