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幸せの形「第二章005」

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 放課後。
 病院へ向かおうとする私を涼子が呼び止めた。大方の予想はついている。

「あのあの、明日のデート――じゃないかもしれないけど、休日に男女二人で映画を観に行くというデート以外のなにものでもないようなイベントについて、ご指導ご鞭撻を受け賜りたいのであります」

 涼子は最敬礼した。ときどき彼女のことがわからなくなる。なんとなくだけど、二ノ宮と同じ種類の人間なのかもしれないと思った。
 私はかぶりを振る。今はそんなことについて思考している場合ではない。本題へ戻そう。
 おそらく涼子が二ノ宮とのデートを気にしているのは事実だろう。

 だけど。
 涼子の本音は違うところにあるような気がする。私は初手で核心へ触れた。

「本当に知りたいのは昨日なにがあったかじゃないの?」
「はわわ、やっぱり真理亜に隠し事はできないね」

 頭を小突いて涼子は苦笑した。昨日の挙動(私を避けていたこと)がまるで嘘のように、二ノ宮は普段と同じように私のところへやって来たのである。なにかあったのは確実だ。涼子じゃなくても気になるだろう。私は病院がある方向を示して歩き始めた。意図を理解してくれた涼子がついてくる。自然な流れで切り出された。

「二ノ宮くん勘違いでもしてたの? いきなり元通りの関係に戻ってるんだもん。昨日の今日だからびっくりしちゃったよ」
「まさにその通りだよ。酷い勘違いをされてた。私には出て来ない発想だったね」

 私は肩をすくめて答えた。歩きながら会話を続ける。

「へえ、どんな勘違い?」
「二ノ宮の人権を蹂躙しかねないから全部は話せないけど、まあ、どういう歪曲をしたらそういう結論に至るんだよってくらいバカげた勘違いだったよ」
「ふむふむ」

 相槌を打つ涼子に私は念を押しておく。

「本当に笑えない勘違い」

 若干の戸惑いを見せたあと、涼子は最も気にしていたであろう台詞を口にした。

「それは――真理亜のためを思った勘違いだったの?」

 言葉に微かな敵対心を感じる。
 しんと静まりかえった。

 この質問は迂闊に答えられない。涼子の真意が明瞭だからだ。
 肯定も否定も正しくないような気がする。だから私は明言を避けた。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 曖昧な回答はしなくないけど仕方がない。続けてそれらしい言い訳もしておく。

「私は二ノ宮の思考パターンを読めないからね。正直に言うとわからないよ」
「そうだよね、人の気持ちなんてそう簡単にはわからないよね」

 涼子は。
 まるで自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。その姿は私の目から見ても儚げだった。簡単に壊れてしまいそうで怖くなる。脆いのは私の身体だけで充分だ。

「あのさ、ちょっと質問してもいい?」

 現状を打開するために私は動いた。少し驚いた表情を見せたあと涼子は答える。

「……バストサイズ以外の質問なら」

 どんだけ貧乳を気にしてるのよ!
 じゃなくて質問質問。

「ずっと前から聞きたいと思っていたことなんだけど、なぜ二ノ宮を好きなのかは置いておくとして、どうして涼子は好きな人に対して引っ込み思案になるの? 普通にしてたほうが好印象だと思うんだけど」
「好きな人に対して引っ込み思案になるわけじゃないんだよ。あのね、つまり、その……もっと仲良くなりたいって思うとダメなんだ。とても気になるんだよ」
「なにが?」

 できるだけ軽い口調で問うた。涼子は辛そうに語り始める。

「迷惑にならないかなって――」

 小学校のときにね、好きだった男の子から告白されたことがあるんだよ。自分で言うのも変だけどさ、私って周囲からすると高嶺の花らしくて調子に乗っていたんだろうね。とても生意気な態度で「いいよ」って答えたんだ。

 なんだかんだで彼氏彼女になれたはずなのに、どういうわけか、その男の子は私とコミュニケーションを取ろうとしないんだよ。恥ずかしがってるだけかもしれないし、こっちから話しかけてあげればよかったんだけど、当時の私は典型的なお姫様タイプだったからさ。そういう行為を惨めったらしく思っていたんだよ。

 結局、なにか進展があるわけでもなく小学校の卒業を迎えてた。
 当然同じ中学に通うわけだから、それとなく尋ねてみたんだよ。

「どうして私に告白したの?」

 ってさ、そしたらなんて答えたと思う?

「罰ゲームだったんだよ」

 ベタだよね、なんでこんなベタな罠に引っかかって浮かれていたんだろう。情けなくて涙も出ないよね。

 いや、本当はその場で泣き崩れたんだけどね。それはもう笑えないほどの号泣だった。そしたらその男子が言うんだよ。

「わわわ、泣くんじゃねえよ」
「だってさ、罰ゲームの対象になるくらい私って嫌な女に認定されてたんでしょ?」
「ち、違うよ。罰ゲームの内容は誰かに告白するってだけで、相手の指定なんてまったくなかったんだ。俺の意思で栗原さんを選んだんだよ」
「そんなに私にのこと嫌いだったんだ?」
「ちょ、栗原さん? ネガティブすぎるって! 誰を選んでもいいのに嫌いな人を選ぶわけないじゃないか! 俺は栗原さんにならフラれてもいいと思ったから選んだんだよ。もともと高嶺の花だったし、フラれたときのショックも少ないと思ったんだ。それなのに……なんか……付き合うことになっちゃってさ」
「高嶺の花だと思ってくれてたんなら、付き合えたのはラッキーだったんじゃないの?」
「そうなんだけどさ、ほかに好きな子がいるんだよ。だからフラれても傷つかない相手として栗原さんを選んでたみたいなんだ。どうせ俺なんて相手にされないだろうって感じかな。それがどういうわけか付き合えることになったんだけど、やっぱり俺の中では好きな子への気持ちが消えなくて……なんかズルズル時間だけ経過していって……」

 自分勝手だよね。好きな子がいるのに私と付き合ってるなんてさ。

「別れよう。そんな中途半端な気持ちで付き合われたって嬉しくないもの」
「……そうだな、みんなに羨ましがられるのが気分よかっただけなのかもしれない。栗原さんは選べる立場の人だもんね、今まで付き合ってくれてありがとう。無駄な時間を過ごさせちゃってごめんな」

 それからかな。彼氏彼女の関係に対して敏感になったのは。

 まったく相手にされてなくて、からかわれただけなら時間はかかっても立ち直れたかもしれない。中途半端に振り回されて、中途半端な優しさをかけられて、最後になんか謝られるしさ。そんなの酷いよ。周りの評価が高いから付き合うなんて私に対する冒涜だもの。私自身を見てほしい。私だけで評価してほしい。とにかく私は傷ついたんだ。

「だから今も二ノ宮くんとの距離の取り方がわからないんだよ」

 私には涼子の気持ちがわからない。わかった演技をしてあげることはできても、それはいずれ彼女をより傷つけるだけだ。どうしていいかわからないまま歩き続ける。

 やがて病院へ着いた。

「今日も寄ってく?」
「ううん、今日は帰るよ。明日のデート――のような映画鑑賞に備えて早く寝たいしね」

 何時間寝るつもりなのだろうと考えつつ、私は「じゃあ、また月曜日」と手を振った。

「うん、またね。ありがとうね、真理亜に話を聞いてもらうと心がスッキリするんだよ」

 それだけ言い残すと、くるりと踵を返して涼子は歩き出した。
 恵まれた環境の涼子にも悩みはある。それを私に話してくれたことが嬉しい。信頼されていることが素直に喜ばしかった。

 親しい友人――親友。
 しばらく涼子の後ろ姿を見送っていると、本当に嬉しそうな顔をして空を見上げ始めた。
 きっと、明日のデートについて妄想しているのだろう。
 ああいう可愛げな仕草を見せられると、心底うまくいってほしいなと応援したくなる。

 土曜日の夕暮れ。

 父とのデートを終えた私は駅前のスーパーで半額になった弁当と睨めっこをしていた。夕方になると売れ残りの弁当は半額になるのだ。同様に刺身なんかも値引きのシールが貼られている。ただし本気で夕食を物色しているわけではなくて、父から連絡があるまでの時間潰しをしているのだった。なにを隠そう父はデート中に財布をなくしたのである。発覚したのはここでの支払いを済ませようとしたときで、現在、父は心当たりのある場所へ連絡を入れまくっている状態なのだ。ちなみに、代金は私が立て替えて支払った。

 立て替えた額は三千五百七十四円。
 帰ったら五千円にして返すと主張する父と、普段の多すぎる報酬を考慮して今回は払うと述べた私とのあいだで一悶着あったのは秘密にしておこう。

 閑話休題。

 私が店内探索に乗り出してから二十分は過ぎたはずなので、父はかれこれ三十分くらい連絡先を電話帳で調べて電話をかけまくっていることになる。
 そんなときだった。私の携帯が震える。
 相手を確認すると「お父さん」と画面に表示されていた。急いで出る。

「はい」
「急にいなくなってるから心配したぞ」
「……店内見回ってくるって言ったよ? 生返事してるお父さんが悪いんだよ」
「そうだったのか、すまんすまん。じゃなくて財布の話だ」
「見つかったの?」
「ああ、見つかった! 誰かが交番へ届けてくれたらしい。ただな、また市街地へ戻らないといけないんだ。だから先に真理亜を家に送って、それから交番へ向かおうと思ってる。今から駐車場に向かってくれないか?」
「あ、私のことはいいよ。ここから直接交番へ向かったほうが近いんでしょ? ここなら家から学校までの距離と変わらないし、たまには歩いたことのない道を探検してみるよ。お父さんは財布を取りに向かっていいよ、私は一人で帰れるからさ」
「わかった。じゃあ、気をつけて帰るんだぞ。なにかあったらすぐ母さんに連絡するようにな。家にいるからすぐ来てくれるはずだ」
「はいはい、お父さんこそ急いで事故らないでよ」
「わかってる」

 私は携帯を切った。父が必死になって財布を捜していたのは、なにも大金が入っているからじゃない。免許やクレジットカードなど、財布を失くした場合の手続きが煩雑らしいのだ。現金を抜き取ってもいいから財布を返してくれと父が懇願していたのはそのせいなのだろう。

 さてと。
 のんびり散歩しながら帰るのも悪くない。スーパーを出るとすっかり陽が暮れていた。天候の影響なのか星空は広がっていない。なんだか寂しげな風景だった。ひと気がないので余計にそう感じるのかもしれない。感傷に浸っていても仕方がないので夜道を進む。

 初めて見る景色が目の前に広がっていた。話し相手もいないので自然と速度が上がる。

 なんの気もなしに駅の前を通ったときだった。ちょうど電車が停車する。改札を通ればすぐ線路という単純な造りなので、自然とそちらへ目が行ってしまった。電車の中から複数の人影が出てくる。土曜日の夜なので勤め人の姿はない。街へ出かけていた人たちが帰ってきたのだろう。その中の一組に目を奪われた。

 ――絶句。
 間違いない。電車から出てきたのは涼子と二ノ宮だった。二ノ宮の腕に涼子が腕を絡めて談笑しながら歩いてくる。その姿は――まるで恋人同士のようだった。言い表しようのない感情に襲われる。なんだこれは? とても制御できそうにない。私は後ずさってしまう。目の前の光景を認めたくなかった。

 どうして?
 楽しそうな二人に水を差したくない。
 本当に?
 そうだよ、私は二人の仲を応援したい。
 本当にそれが本心?
 違うな。私はそんな優しい性格じゃない。
 それならこの感情の正体は?
 わからない。
 本当に?
 知りたくない。
 とにかく。

 気がついたら逃げ出していた。違う違う。これは戦略的撤退だ――とかわけのわからない言い訳が頭の中を駆け巡っていた。とにかく私は無我夢中で夜道を駆けていく。こんな勢いで走り続けたら発作を起こすかもしれない。わかっているのに――足が止まらなかった。頭の中が混沌としている。二人の恋のキューピッド役じゃなかったのか? それなら喜ぶべきだ。

 どうして逃げる?
 真実を知りたくない?
 聞かされたくない?
 傷つきたくない?
 どれも正しくてどれも違う気がする。
 お母さんとお父さんの出会い。
 蘇る言葉。

「好きになったのは私のほうなんだ」

 なぜ気づかなかったのだろうか?
 予感ならいくらでもあった。
 違う。
 私は気づかない演技をしていただけだ。
 だけど。
 とうとうパンドラの箱を開けてしまった。
 悪寒がする。

 私が好きになった人は例外なく死んでしまう。心に爆弾をセットされたような感じだった。いつ爆発するか気が気ではない。錯乱。恐怖。どうしていいかなんてわからなかった。

「違う! 違う! 私は二ノ宮なんか好きじゃない! 絶対に好きになったりしない!」

 声に出して必死に抗う。拒絶しなければならない。自分の気持ちに嘘を吐きたいんじゃない。そうしなければ――二ノ宮が死んでしまう。そんなのは最低の結末だ。なんの救いもないバッドエンド。後味が悪すぎて吐きそうだ。

「……この気持ちは涼子への嫉妬だ……二ノ宮への好意じゃない……」

 自分に言い聞かせる。しかし嫉妬するということは――考えたなくない。私は誰も好きにならない――否、私は誰も好きになれないのだ。それは生き地獄なのかもしれない。

 呼吸困難。喘ぐように言葉を絞り出した。

「死なないで……お願いだから……」

 ひっそりとした小道に出ると、私は自然と歩調を緩めていた。勢いよく走るには辺りが暗すぎる――そう危機回避能力が判断したのかもしれない。私は帰る場所を失った幽霊みたいにふらふらと彷徨った。好きになった人を死に至らしめる悪魔のような力――そんなものに支配されるくらいなら死んだほうがマシだ。

 そうだよ。私が死ねば被害者はもう出ない。二ノ宮も死なずに済むのだ。

 あてもなく彷徨っていたはずなのに、私の足は本能的にここへ向かっていたのかもしれない。高見先生の勤める総合病院だった。受付で先生を呼び出してもらう。本来なら診療時間を過ぎているので相手にされないのだろうけど、このときの私は蒼白な顔をしていたに違いなく、受付のお姉さんは迅速に取り次いでくれた。

 ほどなくして、お姉さんは言った。

「いつもの場所へ来てくれって」

 診察室へ入ると高見先生が声をかけてきた。

「おう、こんな時間にどうした――」

 私の顔を見るなり高見先生は声を潜めた。仕方がないのでこちらから切り出す。

「どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞だ。そんな泣き腫らした顔で登場されたら、とんでもない被害に遭ったんじゃないかと話を聞く前から不安になる。女の子が男に乱暴され――なんて言ったらいいか、その手の話を聞かされるのは大の苦手なんだよ」

 そう言って、高見先生は視線を落とした。私は首を傾げる。顎先から一滴の雫が床に零れ落ちた。慌てて顔に触れると冷たい涙が頬を伝っている。それでようやく気づいた。

 あれ? 私、泣いてたんだ。
 状況を理解した私は端的に説明する。

「高見先生が想像しているようなことは起こってません。安心してください」

 気休めにしかならないだろう。目の前で私が泣いている事実は変わらないのだから。

「さあ、そこへ座って」

 いつものように促されて私は椅子へ腰を下ろした。
 先生はなにも言わない。私から語り出すのを待っているのだろう。すべて吐き出してしまえばいい。なにもかも洗い浚い話せば楽になれるかもしれない。

「私なんて生まれて来なければよかったんですよ」
「小鳥遊さん?」

 高見先生の顔が歪んで見えた。
 鼓動が高まっている。緊張しているからではなくて、きっと無理して全力疾走したからだろう。身体が悲鳴をあげている。発作を起こさなかったのが奇跡なくらいだ。

 だけど。
 すぐそこまで終わりが近づいてきているような気がする。それならそれでいい。もう被害者を出したくないのだ。私は深い眠りに落ちる。最後の記憶は机に突っ伏してしまうところだった。それ以降のことはなにも覚えていない。

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