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幸せの形「第二章001」

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 人の成長速度は一定じゃない。ハイハイから二足歩行という驚異的な成長を遂げる時期もあれば、年齢記入欄へ書き込む数字が一つ増えるだけという場合もあるだろう。十代の一年というのは、大人になってからの数年よりも遥かに貴重な日々である――そんなようなことを誰が言ったかは覚えていない。ひょっとしたら誰も言っていないのかもしれない。

 だけど。

 成熟していない思考や身体が大人への階段を登っていく時期であることは疑いようのない事実だと思う。成長するはずなのだ。それが正しい方向か間違った方向かは別として。

 それなのに、私の身体は退化しているような気がする。思考のほうはなんとも言えない。どちらかと言えば成長しているのかもしれない。それよりも問題は身体だ。日常生活に支障をきたすほどの変化じゃない。ただ、なにをするにしても異常に体力を消耗する。体調の優れないときは食べ物を咀嚼する力さえ衰えを感じた。

 二年に進級する直前、私はこれまでにないほど体調を崩していた。

「成長が早い年代は悪化の進行も早いんだ」

 高見先生はそう言った。珍しく真剣な口調である。

「しばらく週四回通院してくれ。ちょっと持ち直せばすぐに回復するよ。若いうちは治癒能力も半端じゃないからね」

 とうとう一ヶ月の半分以上を通院に費やすことになってしまった。

 
 ◇◇◇

 
 二年のクラス発表。

 さて。
 三つのクラスに振り分けられる三名の学生が、同じクラスになる確率はどれくらいなのだろうか? そんなことを考えつつ、私は一年のときと異なる校舎へ足を踏み入れていた。どこの学校でもそうなのかもしれないけど、一年だけ二年や三年と校舎が分けられている。おそらく問題を起こさないための対処なのだろう。上級生が無闇に下級生に近づかないよう警鐘を鳴らしているのだ。

「よかったあ、もし違うクラスになったらどうしようかと思ってた」

 教室に入るなり涼子に抱きつかれた。この頃には栗原さんではなくて涼子と呼ぶようになっていた。涼子も私のことを真理亜と呼んでいる。実は私も彼女と同じクラスになれてほっとしている。というのも、狭いコミュニティというのは必然的に分裂しづらく固定化されるものだ。ありていに言えば他所からやって来た私はその輪から外されている。涼子は他人から羨望と嫉妬を抱かれる地位にいたからだろう、誰とでも仲が良かった反面、広く浅い人間関係しか築けていないようだった。

 そしてもう一人の変わり者。

「今年もよろしくー」

 一年間で容姿だけは磨きがかかった二ノ宮が声をかけてくる。二ノ宮の呼び名は二ノ宮のままだ。クラスメイトNに格下げされなかっただけマシだと思ってほしい。

「よろしく」
「こちらこそ、よろしくね」

 ちなみに愛想良く返事したのが涼子である。ちょんちょんと彼女の肩を突きつつ、私は二ノ宮に聞こえない小声で話しかけた。下世話なことを言ってみたい年頃なのである。

「よかったね、今年も同じクラスで」
「うん、神頼みとか黒魔術とかいろいろやった甲斐があったよ」
「……手段はともかく、おめでとう」
「ありがとう」

 嬉々として微笑む涼子。二ノ宮には未だ告白できておらず、友達以上恋人未満というありがちな関係に埋もれてる。涼子曰くそれなりに進展しているらしいのだけど傍目にはまったくわからない。妄想というか思い込みの可能性が高かった。

 好きな席に座って待つのが毎年の恒例らしいので、私たちは三人分のスペースが空いてる場所を探した。結果、決して有益とはいえない前列の廊下側の席に甘んじることになる。

「小鳥遊さんと栗原さんが同じクラスなんて俺は運がいいなあ」

 椅子に腰を落ち着けた二ノ宮はしみじみと語った。嘘ばっかり。べったり懐かれているイメージがあるのだけど、実のところ一緒にいる時間はけっこう短かったりする。そもそも二ノ宮は野良猫のような奴で、いつもひょっこり私たちのもとへ帰ってくるだけなのだ。大抵はどこかへ出かけている。本当に自由奔放な奴なのだ。

「二年は修学旅行があるからさ。絶対に一緒のクラスになりたかったんだよ。昨日なんて興奮しすぎて眠れなかったもん。今日の幸福を神と悪魔に感謝するよ」

 にこやかに怖い台詞を口にする涼子。どこまで本気でどこから冗談なのかわからない話し方をするので余計に怖い。そんな涼子の発言に二ノ宮が笑みを漏らした。

「相変わらず栗原さんは大げさだなあ」
「大げさじゃないよ!」と吼える涼子。
「まあまあ、とにかく同じクラスになれてよかったってことでいいじゃない」と私。

 まったり流れる時間。
 和やかな気分になる。
 他愛ない雑談。それがとても楽しい。

 だけど。
 私にはそれくらいしか楽しみがない。人を好きになることができたなら、もっともっと涼子みたいに日々の出来事を楽しめるのだろうか? わからない。私には未知の世界だ。

 専門分野は専門家に任せるべきですね。間違いないです。一時期あれほど崩していた体調も順調に回復した。油断はできないから週四回の通院はもうしばらく続けてくれと高見先生に頼まれたので承諾する。せっかく復活した身体をまた壊したくはない。

 始業式を終えた私は、いつものように病院へ訪れていた。

「高見先生、二年も涼子と同じクラスになれました」
「ほう、それはよかったな。もしかしたらあの二人はレズなんじゃないかって噂になるほど仲がいいからさ、クラスが離れたら可哀想だなと心配していたんだ」
「……そんな噂が立ってる時点で可哀想ですよ?」
「そりゃあ、まあ、たしかに」

 かっかっかっと高見先生は笑う。

「僕は仲良くなった真相を知っているから笑い飛ばせるけどね。知らない人が聞いたら本気にしてしまうかもしれないからな」
「ちゃんと否定しておいてくださいよ。涼子は二ノ宮が好きなんですから」
「まあ、院内だけの噂だから気にすることもないさ」

 診療とは思えない緩い会話。私の数少ない楽しみ。大半の時間をここで費やすようになって思ったことがある。高見先生のような人でよかった。洒落の通じない堅物先生だったら、苦痛な時間を過ごすことになっていただろう。本当にありがたかった。

 不意に悪い癖が出た。
 涼子や二ノ宮と同じクラスになれて想像以上に浮かれていたのかもしれない。私は思いがけない台詞を口にしていた。最近、魔が差すことが多い。

「先生。もし人を好きになることができたら……毎日もっと楽しくなるんでしょうか?」

 高見先生は鳩が電動マシンガンを乱射されたような顔をした。ぴくりとも動かない。

「失礼です。なんて顔をしてるんですか!」
「おお、すまんすまん。あまりに想定外の質問だったから思考回路が麻痺したんだ。生かさず殺さず人を苦しめ続けるにはどうすればいいですか? とかだったら全然驚かなかったんだけどな。いやあ、すまんすまん」
「私は何者ですか!」
「さてと、冗談はここまでにしよう」
「真顔で冗談を言わないでください。どこからどこまでが冗談かわからなくなるので」

 いちおう釘を刺しておく。高見先生は「はいはい」と生返事をするだけだった。

「とにかく、人を好きになれたら楽しいかどうかだったね?」
「はい」
「答えは至って簡単さ。人による」
「うわ、雑な回答された」
「いやいやいや、適当に答えたわけじゃないぞ。実際そういうもんなんだ。うまくいってるときは世界で最も優秀な精神安定剤になる。しかし歩調が崩れてくると麻薬並みに性質が悪い。傷害、放火、殺人へと発展する場合もあるんだ。そこまで行くのは例外としても、恋愛による揉め事は日常茶飯事だからね」
「なんか私に配慮してませんか?」

 突っ込みを入れてみる。高見先生が恋愛に対して否定的に感じたからだ。

「いや、わりと本音を語ったよ。恋は甘くて優しいだけじゃないのさ」

 それはわからなくもない。もしも恋が甘くて優しいだけならば――失恋なんて存在しないだろう。恋をするというのは想像もつかないくらい複雑なのだ。それを経験することさえできない私は不幸なのかもしれない。世界中でたった一人だけ仲間外れにされた気分だ。

「そんな顔をする必要はないよ。そのために僕がいるんだからね」
「あまり効果は出てませんけど」
「はっきり言うなあ」

 がっくりとうな垂れたあと、高見先生はぽりぽりと鼻先を掻いた。

「それに恋なんて無理やりするものじゃない。自然発火みたいなものだ。そのうえ燃え始めると周囲が見えなくなる。盲目的に落ちてしまう――いつかわかるさ」

 自然発火。
 母が父を好きだと気づいたように、私もあるとき突然気づいてしまうのだろうか? ある日、突然、誰かを好きになるのだとしたら、それはとても危険でまったく笑えない冗談だ。私はこれ以上被害者を出したくない。長井くんと葵くん。どうして私は彼らの顔を思い出せないのだろうか?

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