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森の仕事をしているけれど

そのカフェは吉祥寺駅近くの路地裏の古いビルの上にひっそりとあった。森の中の臆病な動物たちが隠れる木の洞(うろ)のような、東京の街の僕の避難場所だった。
残念ながら昨年末にお店が閉店してしまうことが決まり、久しぶりに立ち寄った。その日は「靴下まつり」という手編み作家たちの展示会をしていて、店内には天井から大量の靴下がぶら下がっていた。靴下は蔦のようで店はますます洞のようだった。
ドアを開けると厨房の中から、毛糸の帽子を被ったオーナーのあけみさんが顔を出す。「あら、久しぶり。ところで、いま水道管が壊れて困ってるの」そして言う。
「君は森の仕事をしているけど、水道管はなおせないのかな?」

たしかに僕は森の仕事をしているけれど、森で木を伐ることもできないし、森の木で家具をつくることもできない。ましてや水道管はなおせない。
では、いったい僕になにができるのだろう?
あけみさんはそれ以上僕の仕事のことを追求することはなかった。結局僕は何の役にも立てないまま、色とりどりの靴下を眺めながら黙ってチャイを飲んで店を出た。

僕が森や木に関わる仕事をするようになっていつの間にか10年がたった。
海に囲まれた小さな町に生まれ育って、東京に憧れて上京し、いまは森に囲まれた小さな町に移り住んで仕事をしている。そこでおかしな名前の会社をつくり、ものづくりカフェや宿の運営をしている。建築家やデザイナーと一緒に森に入り、木のものをつくる。けれども、(くりかえすが、)僕自身は木を伐ることもできないし、家具をつくることもできない。

人に説明しづらい仕事をする中で毎日いろんなことがおこり、それらは(壊れていない)水道管を流れる水のように過ぎ去っていく。おしゃべりではない自分でも誰かに話したくなるようなこともたくさんあって、そのうちのほとんどは忘れていってしまう。最近いくつかのきっかけが重なり、仕事を通じて出会った森に集う人たちのことを書き留めておきたいと思うようになった。

僕は森の仕事をしていて水道管はなおせないけれど、もしもあの日水道管が壊れていなかったらあけみさんに話したかったようなことを、ここに書いていきたいと思う。

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