正す達人の会―2024/2/26日記

何周も回って、最近再び誤字が許せなくなってきている。
というか、いよいよ世の中に誤字が多くなってきていて、もう誤字なんかツッコむだけ体力の無駄遣い、みたいな雰囲気を感じてつらい。

今日はABEMA NEWSの記事で、高等裁判所が一審の判決を"指示"していた。"支持"の間違いである。

こうした、明確に意味が変わってしまう誤変換とは違って、完全に間違いとは言い切れないものもある。例えば、私の仕事のデスクにいつの担当者がつくったか分からないファイルが置いてあって、その背にテプラで「規定」と書いてあり、私は見るたびに「規程だろが」と思っていたのだが、今調べるとギリギリ許容範囲内と言えなくもないかもしれない。(個々の条項は「規定」で、一連の規則の総体が「規程」とのこと)

言語は変化するものだから、どちらが正しいということはない。とはよく言われるが、それは学者の視点であり、神様の視点である。
言語の運用者たる我々が、正しい言葉で正確に意図を伝えようと思うのは必然であって、個々人の中に「正しさ」は確かに存在する。正しい用法を選ぼうという意識があればこそ、従来とは違う用法のなかでも合理的なものが残っていき、そうして言語は成長する。正しくあろうという意識を欠いたまま言語が変容していくならそれは退化と言っていいと思う。

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