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進撃の巨人を見て、国際協力の必要性について考えた

最近進撃の巨人を久しぶりに見た。
今どこまで進んでるんだろうと思ったら、なんと次回で最終回!
漫画もアニメも一気見したけど、やっぱ面白い。そしてダーク。

この漫画は中心人物っぽい人もどんどん死んで行くし、容赦なく最後の最後でどん底に突き落とすし(最新話138話を見た人はわかるはず)
最終的にはみんな助かってハッピーエンド!とは絶対ならないから、毎度ハラハラする。
あとは人が大量に死ぬんだけど、その死ぬときの叫び方とか言葉とか、リアルで本当に怖い。もちろん実際に見たことはないけど、あんな恐怖に直面したら、たぶんあんな感じになるんだろうなあ、、って思う。
ストーリーももちろんそうだけど、いろんな点で本当にすごい作品だなあと思う。

・・・とまあ作品自体は普通に楽しんでるのだが、
こないだ見ている話の中で、エレンがそもそもどうして外の世界に行きたいと思ったのか、回顧するシーンがあった。
彼はもともと幼少期から壁の外に出たい、と思っていたわけではなかったけど、
アルミンに外の世界のことを教えてもらったから、外に行きたいと思ったんだ、と。

このシーンを見て、ふと学生時代に海外ボランティアに行ったことを思い出した。

当時大学生で、なんとなく経験として海外ボランティアでも行ってみようと思い、東南アジアでいくつかボランティア活動に参加した。
ボランティアなんていうくらいだから、現地で生活に困っている人を助けるのかなあなんて思ってたのだが、
いざ行ってみると、現実は全くそんなことなかった。

確かに日本みたいにきれいな建物があるわけでもないし、コンビニでいつでも買い物ができるわけでもない。
でも現地の人は本当に楽しそうに、いつも笑いながら生活していた。
私たちがいかなくても、もともと幸せに生きていたのだ。

その現状を見て、当時の私はボランティア活動の意義が何なのか、わからなくなった。

すでに人々が幸せそうだったことに加え、経済的にも環境的にもよりよい環境を整えればもっと幸せになれるのかっていうと、そうとも言えなかったから。
だって現地より圧倒的に発展しているはずの日本の自殺率は世界トップクラスだし、いろんな調査で幸せだと感じている人の割合は本当に低いと証明されている。
経済力=幸せ度じゃないことは明らかなのに、じゃあ発展させる必要があるんだろうか。

あとこれは私個人の意見だが、選択肢を持ちすぎると、人は幸せを感じづらくなってしまうような気がする。
国が経済的に発展すると、選べる選択肢はどんどん増えていく。
教育、家、場所、仕事、子供などなど、貧しければ選べないような選択肢がごまんとある。
それ自体はよいことだけど、選択肢が多すぎてどれがいいのかわからなくて悩んでしまったり、選択肢が増えたことで画一的な基準や正解がなくなり、自分の人生に自信が持てなくなってしまう人も一定数でてくるのではないだろうかとも思っている。
またそういう社会だと一部の人が極端に成功するし、特にもともとお金持ちでも何でもない一般の人が成功することも多いので、そういう人と自分とを比較してしまい、結果的に自分は不幸せだと感じてしまう人も多く出てきてしまうのではないかと考えている。

こういう理由もあり、当時はボランティア活動や途上国の支援の必要性にずっと悩んでいた。

進撃の巨人のエレンで言うと、アルミンに外の世界のことを教えてもらった=選択肢を増やしてもらって世界が広がったといえるけど、
その思いを持ってからは今の壁の中の生活により不自由を感じ、不満を感じ始めている。実際の生活は何も変わっていないのに、選択肢が増えたことで、現状に満足できなくなっているのだ。

新たなステップといえばそうだけど、もし世界を広げられなければ、
何も考えずただ今のままで幸せだ、満足だと思えていたと考えると、
選択肢が増えること、経済的に発展することが必ずしも正だとは言えないのかもなあと思ってしまった。

結局答えは出ていないし、経済力だけでなく教育とかいろんな要素が絡んでいるから一概にどうこう言えないけど、
本当にこういう人がどうやったら幸せになれるのか、という話は難しいなと感じた。

とまあいろいろ思うところを書いたけど、とりあえず、進撃の巨人はおもしろい。

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