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妻の強迫症を倒します。必ず倒します。

こーぞーです。

妻が強迫症です。
今、タイトルのような決意で書いてます。

強迫症とは

強迫症とは人によって症状が異なりますが、私の妻の場合で説明すると、「手や体を洗っても、汚れが落ちていないかもしれない、という強迫観念から、手や体を洗うのが辞められない症状」です。
強迫症についてよく知りたい方は以下の動画あたりをご覧いただけるとわかるでしょう。

非常によくわかります。私は強迫症ではないですが、観ている自分が苦しくなって倍速にしてしまいました。
この動画で、相当苦しい疾患であることが伝わると思います。

強迫症に立ち向かうための本の紹介

さて、妻の強迫症に立ち向かうため、本を手に入れました。トップの写真の本です。
亀井士郎・松永寿人(2021)『強迫症を治すー不安とこだわりからの解放』、幻冬舎。

写真の著者紹介がどれだけ読めるかわかりませんが、亀井氏は強迫症になった精神科医、松永氏は強迫症の第一人者のような方です(どうでもいいですが私も松永です)。本書は認知行動療法(CBT)による治療を紹介しています。
なお、松永氏は以下の動画でも紹介されています。

じゃ、妻の話でもしていきましょう。

妻の症状

私の妻は不潔恐怖、洗浄強迫と呼ばれる症状が主です。体についた汚れが落ちない、という感覚が強いです。
1番の強敵は入浴で、彼女の入浴は3時間くらいかかります。
ボディソープや水の使用量も多いです。ボディソープは3日くらい?で詰め替えてます。水道代はまだ請求が来てないのでわかりません。

そのほか、トイレ、手洗いの辺りは時間がかかります。手洗いは結構短くなってきた方です。
あとは料理があんまりできません。元気な頃は料理作ってもらったこともあるんですけど、今は食材を触るのが一苦労です。なので料理はだいたい私がやってます。妻は盛り付けしたり、手が食材に触れないような料理というか作業をやってもらったりしてます。1人だと食べられるものがちょっと制限されますね。

ざっくりとこんなところでしょうか。

さて、買った本を読んで学んだことなどを書いていきましょう。

『強迫症を治すー不安とこだわりからの解放』から学んだこと、考えたこと

不安はピークを乗り越えると低減する

手洗いを例に挙げると、もう十分手を洗ったのに「(まだ汚れが落ちていない…)」という強迫観念があるとします。

しかし、そこで手洗いを辞めると、直後に不安が募ります。下の写真右のグラフ、図6。

ただ、不安はグラフのように落ちていきますこの不安のピークを乗り越え、耐えていくのが本書で紹介されている認知行動療法のうちの、暴露反応妨害法という方法です。

しかし、強迫症を患うとこの不安に耐えるのが難しく、強迫行為を繰り返してしまいます(図6の点線)。
手のひらを15回くらいゴシゴシ、手の甲を同じく15回くらいゴシゴシ、指の隙間も、手首も…とかやるわけです。そして、それでもなんだか不安が残るような気がしてきて、この回数が増えていきます。20回、30回…あれ、何回やったっけ…じゃ最初から…

気付いたら家から出かける時間をすっ飛ばしたり、職場の休憩時間が終わってたりとかするようになります。

手洗いなんて、1分くらいあれば終わります。3分もやれば十二分です。しかし、まだ汚れが落ちていないかもしれないと不安になって、手洗いをし過ぎてしまいます。

妻の場合はそんなに長い時間手洗いをしていませんが、入浴時間が長いこともあり、今でも冬の時期のような荒れた手をしています。

この不安の強さを乗り越えると、つまりちょっと時間が経つと、そんなに手の汚れは気にならなくなります。この、不安のピークを乗り越えて、強迫行為をしなくても不安がなくなったと感じることを、亀井氏は「勝ちを拾う」と表現しています

しかし、これが大変なんです。不安のピークを乗り越えるということが。

トレーナーが勝ちを拾う手助けをする

家族はトレーナーになれる可能性がある、と亀井氏は書いています。私もそのつもりで妻と過ごしています。
手洗いを側から見て「もう十分だよ」「もう綺麗だよ」とか、食事前後とかに手になんかついたんじゃないか?と確認を求められたら「洗わなくていいぞ」とか言っています。

この時、妻を責める感じにならないように最大限気を遣っています。

強迫症の人は、自分がおかしいことをやっていると気付いています。しかし強迫観念に抗えずに強迫行為をしてしまいます。亀井氏は、この強迫観念は、その人ではない「強迫大魔王」が与えるものだ、と考えるように言っています
亀井氏はこれを外在化と言っていて、強迫症を俯瞰して見て、メタ認知の形成を促すことができると言っています。ただ私としては、「罪を憎んで人を憎まず」みたいに、強迫観念や強迫行為を、強迫症を患っている人から切り離して考えることがしやすくなると思います。
患者はだいたい自己肯定感とか自尊心とかが低いと思われます。できることが少ない、人の世話になることが多い…しかしそれは、患者のせいじゃないです。患者を責め立ててよくなるほどこの強迫症は単純じゃないです。強迫大魔王のせい、と考えると、周りの人も患者に対する接し方が少し変わってくるんじゃないでしょうか。そう、ここ数日は自己肯定感とかそこら辺にアプローチするのがいいんかなとか考えてもいます。

不安階層表は不安の正体がよくわかる

本人がどの行為にどれくらい不安を感じるかを、不安階層表というものに書き出すというワークがあります。不安の程度を自覚的障害単位(SUD)という単位で表します。

妻の不安階層表2024.6.8

これを作るために色々と妻に聞いていくと、何が嫌なのかという傾向がつかめてきます。食べ物なら脂っこいものとか肉とか、液体っぽいものは手に残る気がするようで、クッキーのかけらなんかは、乾いているし大して気にならないみたいです。

食べ物を丼や皿に盛り付けるにしても、食材によってSUDが異なるので、できることが見えてきます。

勝てる戦いからやる

不安階層表において、SUDの高い行為はやるのがしんどいです。気力を奪われます。妻の場合は、風呂場で体を洗う時に汚れが残っている気がするようで、SUDが高いです。SUDが高いのは置いといて、10とか20とか、そこら辺の行為を成功させていけるようにするのがいいようです。
毎日やらなきゃいけないことがSUD高いってしんどすぎ…まだ洗い物とかの方が楽なので、そこからやっつけていくようにしたいんですけど。手洗いや風呂で、水とかボディソープの無駄遣いはよしとはしないのですが、使用量が減ったらよし、くらいに思っています。スモールステップで、ちょっとづつでも進歩があればいいです。CBTは魔法ではないので、突然強迫症が治るわけではないですし。

絶対に倒します。

このnoteのタイトルは、FF10というゲームのキャラクター、ユウナが作中で言う台詞です(一部の人にしか伝わらない)。
でも、そういう気持ちでいます。

最初は加害恐怖、本書で言う「確認系」の強迫が観られるようになりました。スーパー等で脇を通った子どもに体がぶつかって怪我をさせているんじゃないかとか、物を棚から落としていないかとか…振り返り立ち止まり、その辺で買い物をすることに不安を感じるようになってしまいました。そして、車の運転が殆どできなくなっていきました(運転中は確認が難しいので)。
今は確認系の強迫は少な目になりましたが、洗浄強迫の方が目立つようになりました。

しかし、亀井氏の本書で私は勇気づけられました。亀井氏は強迫症を患い、回復した後に、強迫症に対する復讐を誓いました。「駆逐してやる」とも言っています。

私は、妻が元気な頃を知っています。しかし、入浴後に疲労して出てくる妻、日々の生活に憔悴して涙を流す妻を観た時は本当に切なくなりました。

今の私は、亀井氏と似たような心境なのかもしれません。目の前の妻を苦しませる強迫症を絶対に許しておけません。強迫大魔王という奴がいるのなら、そいつを必ず倒します。

ここを私の知り合いが見ていたらお願い

彼女は真面目な人間なあまり、強迫行為にも努力や集中力を注いできました。これまでかなりしんどい思いをしてきました。
私の知り合いの方がもしここを読んでいて、もし妻に会うことがあって、強迫行為を目にすることがあれば、彼女自身を責めないでください。「次の行為に移ろう」とか「強迫大魔王の言うことに耳を貸しちゃだめだ」とか(これを公の場で言うのは勇気がいるかも笑)、行為を辞めさせるのはいいんですが、傷付けないような言葉掛けをしてやってください。でも、最近は手洗いの時間なんかはわりと短くなってきました。具体的に時間は計っていませんが、工程が減ってます。

彼女はあんまり周囲を巻き込むことはないと思いますが、安心を得たいために、他者に〇〇は大丈夫かと確認する場合があります(保証の要求という巻き込みです)。彼女の巻き込みには応じる必要はありません。何かを確認するために立ち止まってたら、前に進ませてください。いつまでも手を洗ってたら、手を拭けと言ってやってください。

おわり。
いつか妻が元気になりましたと、ここで報告をしたいですね。

頂いたサポートは、多分知識を得るために使われると思います。