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この手は暴力を振るうこともできるけど【TEDxKyoto2018レポ】

TEDxKyoto 2018に参加してきた。
元々涙もろいのもあり、毎セッションぼろぼろ泣けた。
練りに練られたトークは、人の心を動かす。
広める価値のあるアイデア(Ideas worth spreading)をより効果的に伝えるために、素晴らしいキュレーションがあり、スピーカーは練習を積み重ねたことが察せられた。
 
なんでぼろぼろに泣かされたかというと、どん底を見せるのがうまいからだ。
 
例えば、国境なき医師団の白川優子さん。紛争地域で十分な医療資源もないまま、次々に手足がもげそうな人たちが運ばれてくる。戦争に加担しているわけではないのに、空爆や地雷で自分の体の一部や家族を失う人たち。
「仕事中は泣かないようにしてるんですが、あるとき、空爆で片足を失った女性が運ばれてきました。彼女は同時に夫と子供たちを失ってしまいました。彼女は麻酔から覚めたとき、こう言ったんです。『死なせて』と。私は思わず彼女を見つめ、涙が止まりませんでした」
 
例えば、株式会社ミライロの垣内俊哉さん。
「自分の足で歩きたいという夢を持っていました。今もです。10年前、私はその夢を叶えるべく、リハビリに励みました。毎日まいにち、一生懸命、死に物狂いで。そして最後のリハビリの日……。私は、やっぱり、歩けませんでした。絶望です。ベッドの枕に顔を埋めて、さんざん泣きました。歩けないなら、もう死のうと思いました。でも私は、ひとりで飛び降りることさえできなかった」
 
例えば、ライフセーバーの和田賢一さん。人の命を守るライフセーバーの競技種目・フラグシップで世界一になるため、近所の公園の砂場で10万回練習し、世界王者のいる地で練習を重ね、走るスピードを上げるためにジャマイカでウサイン・ボルトらのチームと吐くまで練習し、見事世界チャンピオンとなり、日本に戻ってきた。でもそこは、道端で倒れた若い女性が50分弱も誰にも助けられず、携帯から母親の「どうしたの、大丈夫なの?!」と泣きながら呼びかける声が鳴り響いているという、とんでもない社会だった。50分弱、路行く人々は倒れている女性に声を掛ける余裕もなかったのか。自分の身体は人を救うために作り上げてきたのに、そもそもこの社会では救える命も救われないのか。
 
印象的なスピーカーほど、絶望の表現が巧い。
 
たまたま時同じくして、ひょんなことから、私は「暴力」という絶望を思い出していた。
私が暴力を振るわれたわけではない。でも私は、暴力を振るう人と、振るわれる人を見たことがあった。手が人を殴り、全身が泣き叫び、顔にアザができる。たとえそれが1回きりのことだったとしても、もう殴った人は元の人ではない。加害者である。その後どんなに優しい態度をとったとしても、改心しても、以前の関係性には戻れない。被害者とその周りに与えたダメージは一生残る。私もずっと忘れていたのに、本当にささいなきっかけでTEDxのセッション中に思い出してしまい、涙が止まらなくなってしまった。トラウマ、というやつだ。会場が暗かったからまだしも、左右の人には不審がられていたかもしれない。
 
手は暴力を振るうことができる。
一方で手が、大きなおおきな正の力を生むことも、今回のTEDxが教えてくれた。
最もそう感じたトークとして、先述の垣内さんを引き合いに出そう。
「私の障がいに対する見方を変えてくれた人の話をしましょう。私には、車椅子を押してほしくない人がいました。当時お付き合いしていた人です。出かけるときは横に並び、彼女は歩き、私は自分で車椅子をこいでいました。ところがある日、彼女は私と手をつないで歩きたい、と言い出しました。私はすぐに断りました。車椅子の私と手をつないで歩くなんて、周りから奇異な目で見られるに決まっています。でも彼女はこう返しました。『付き合ってるんだから、当然じゃない』と。それから私は片手で車椅子をこぐ練習をし、彼女とは手をつないで歩くようになりました。この歩き方にも慣れてきたある日、出先で坂道にさしかかりました。坂道ではどうしても車椅子のスピードのほうが遅くなってしまうため、手をつないでいたら彼女が私を引っ張っているような格好になってしまいます。さすがに自分でこぐよ、と手を離すと、彼女はこう言ったのです。『車椅子を押すなとは言われたけど、引っ張るなとは言われてないよ』私は返事をする前に、目から涙が溢れていました」
 
障がいがあるからふつうの人と同じことはできないとか人に迷惑をかけると考えるのではなく、障がいがあってもふつうの人となんら変わらず生活していいし、生活できる社会であるべきだ、と気づかせてくれた彼女の手。その力の大きさは、計り知れない。
 
今回のTEDxの裏テーマは”身体性”なのではないかと思う。
人と人が触れ合うこと、一緒に踊ること、スポーツをすること、他者と面と向かって相対すること。その素晴らしさ、大切さを伝えるトークが多かったし、イベントのあちこちで体験させてくれた。
 
ぶっちゃけ、今回 Ideas worth spreading として紹介されたもののほとんどは、既に知ってるし、一部は実践しているものだった。でも普段頭のはしっこでぼやーっとしているものを、印象的なプレゼンテーションでガツンと想起させて、揺さぶりをかけて、再認識させられた。ナマの熱量は、画面越しとは全然違う。TEDxというイベントはそこに価値がある。
 
TEDxKyoto2018を作り上げたスタッフ、スピーカー、パフォーマーの皆さん、本当にありがとうございました。
 
《終わり》


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