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3/30 女子高生による注意喚起デマの所感

Twitterのタイムラインに「注意喚起を目的とした作り話」、所謂「注意喚起デマ」が流れてきた。私は「あーデマだろうな」と思っていたのだけれど、フォロワーの友達は結構信じているようだった。
中には「デマだと思っているけど、それで注意喚起になるならいいんじゃない?」と言っている子もいて、なんだかモヤモヤしていた。
モヤモヤしていたので、友人のささきさんにラインした。ささきさんは私にこのnoteを勧めてきた友達で、小説とかいっぱい読んでる子だから、彼女ならこのモヤモヤを形にしてくれるんじゃないかと思ったのだ。

やり取りはちょっと久しぶりだった。学校が休校になってから、ずっと会ってないしね。でもラインでこう、モヤモヤしてることを吐き出したら、すぐにぴんときたらしくって、
「目的と手段を一緒くたに考えてるのがなんか違う気がするよね」
と返ってきた。
「あー、というと?」
「目的はどんなに良いことでも、手段が悪い、ってことは十分ありえるじゃない? 例えば、いじめっ子を助けるためだったら、そのいじめてた子を殺して良いのか、世界平和のためだったら戦争して良いのか、とか。まあこれは極端で大げさかもだけど」
「あー、まあね」
「どんな理由があれ、どんな目的のためだって、ダメなものはダメってしないと、社会成り立たない気がするんだよね」
「それもわかるけど、でも情状酌量の余地、っていうのもあるよね?」
「でも、情状酌量の余地、って、「手段が悪いこと」は大前提じゃない? あなたがとった手段=直接的な行為、は悪かった。これに対して罰します。ただ、その目的は悪くなかった。だからその分、罰則を軽くしましょう。的なことじゃないの? 法律的なことはよくわかんないけど」
「あくまで手段が悪いのは前提ってことね。まあ、実際に目に見える「手段」に関してしか、客観的判断できないもんね。本当の「目的」なんて、目に見えないし」
「だから、今回の場合なら、嘘をつくのは悪いこと、って言う前提は崩しちゃいけないのかな、って思うよね」
「嘘も方便って言うけど、嘘をついたことには変わりないし、それで良い結果になったとしても、それは結果論だったりもするもんね」
「そうなんだよ。だから、注意喚起のデマってよくあるけど、やっぱり手段は良くないんじゃないかな? 正しくないことを広めたことで起こるリスクもあるしね」
「ただ、まあ、その行為の「目的」が注意喚起にあるなら、まあ情状酌量の余地はあるかも?って感じかな?」
「うーん。客観的な良い悪いと、感情的な好、不快はまだ別に考えないとって感じかな?受け手が感情的になりすぎるのはやっぱり怖いよね。それにその目的が本当に注意喚起なのか、わかないところも怖いしね。人の心は目に見えないから」
なるほど。だから目的と手段を一緒くたに考えるのは危険では?ってことね。

「でも、じゃあ、もし注意喚起したかったら、どうすれば良かったと思う?」
「あくまでも「正しいことを伝える」か、「嘘だとわかる嘘を吐く」か、のどっちかかな?」
「嘘だとわかる嘘を吐く、って?」
「嘘って、要は、「本当じゃないことを、本当のことみたいに言うこと」でしょう?」
「あ、そうか、フィクションですって言っちゃえば良いんだ。でも、作り話だとわかってて、ちゃんと話聞いてくれるかな?」
「はしもとは小説とか、漫画とか、ドラマみて、泣いたりしない?作り話だって、そんな人間存在しないんだってわかってるけど、登場人物の死を悲しんだりできるでしょ?」
「私めっちゃすぐ泣くよ。あの花のアニメで一人で号泣した」
「もうちょっと受け手の想像力を信じても良い気がするんだけどね」
「確かにね」

ささきさんとのラインでちょっとモヤモヤは収まった。
そうか、「嘘」を「小説」にしちゃえば良いのか。あのツイートも、話の最後に、「これはフィクションですが、起こり得る明日の話です。」とか付けちゃえば良かったのだ。そしたらきっとみんな、ちょっと安心して、でもその最悪の可能性にいかないように、気をつける気がする。
作り話を本当のことみたいに言うからいけないんだ。
ああ、でも。
私はふと、怖くなった。もしかすると、Twitter上で繰り広げられる全てが「作り話」という可能性はないだろうか?あのツイートも、それに反応するツイートも全てが「作り話」で、ひょっとすると「正しいこと」なんて一つもないのかもしれない。みんな一々「これはフィクションです」と言わないだけで、もしかすると全ての呟きに見えない「これはフィクションです」が、ついているのでは?
私が知らないだけで、「Twitter」は「Twitter」と言う一つの「小説」なのではないだろうか? いやいや、そんなバカな。
だって、私の友達も実際に色々呟いている。
「こう休みが続くとちょっと学校行きたくなってきた」
「部活できないの、本当に死活問題なんだけど」
「吹部、楽器持って帰ったんでしょ? 自主練?」
「住宅街でペット吹き鳴らすのは無理」
タイムラインをスルスルと滑る友人たちの呟き。
ああ、でも、文字で見ただけで、どうしてそれが「本当」だなんて言えるんだろう?それが一人の「人間」の「本当」だって確証はどこにもないのに。
一度嫌なことを思いついてしまうと、それが頭にこびりついて離れなくなるのが私の悪い癖だった。
そうだ、もう一回、ささきさんにラインしよう。ナイスアイディア。きっとささきさんなら、「また悪い癖でてる。ばかじゃないの?」って笑ってくれる。

ラインのトーク画面を開く。さっきまでラインしてたから、一番上がささきさんのはずだ。ささきさん。ささきさん。ささきさん、ささきさん。
あれ?ささきさん?
どこだ?え、なんで?おかしいな。だって、さっきまで、実際こう、ラインしてて。しばらく会ってはなかったけど。だって、学校が、休校で…。

そうか。嘘つきは、私だったのだ。




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