6/14 「美術館女子」ってなんだよ

Twitterで「美術館女子」なる単語が上がっていた。不思議に思って見てみたら、どうやら読売新聞の企画記事のようだ。

AKBのアイドルが東京都現代美術を訪れるグラビア記事、なのだけれど、企画主旨としては「(アイドルが美術館を訪れている写真を通じて)アートに触れる楽しさや地域に根ざした公立美術館の魅力を発信していく」というものらしい。
デジタル版に一通り目を通してみたのだけれど、うーん違和感。
案の定Twitterでも色々と炎上していたのだけれど、とりあえず私も私なりにこのもやもやをどうにかしておきたいと思います。まだ上手く消化できていないのだけれどね。

多分ここには大きく分けて、二つのモヤモヤポイントがある。
まず第一に「アートに触れる楽しさや地域に根ざした公立美術館の魅力を発信」できているのか?という点。
次に「〇〇女子」としてカテゴライズされることへの違和感の存在、だ。

「美術館の魅力を発信」に対する違和感

まず、これは私の勝手な憶測だけれど、今回の企画に関して、美術館側はあまり関与していない気がする。
美術館では「貸し館」という形で、撮影場所を提供することが多々あるのだけれど(場合によってはこれが収入の命綱になっているところも割とある)、これはほとんどその状況だった気がする。
それに、一応母体が都ですしね…美術館連絡協議会に加盟している美術館の中でも「使いやすい」館なんだろうと思うので…上のそういう諸々の事情で現美になったんだろうな、と邪推…。現場はほとんどノータッチだと思うな…。
だって、学芸とかが企画に入っているなら、流石にこんな見せ方はしなかったのではないかと思うのだ。

ここでは徹頭徹尾、美術館がいわゆる「映えスポット」として紹介されている。
ただ、それ自体は問題ないのだ(個人的には今ですら人が多いなーと思っているので、「映え」目的でこられるのもなぁ…という気持ちも正直あるのだけれど)。
美術館に来るきっかけが「映え」だったとしても、それは個人の問題だ。全く問題ない。きっかけはなんだっていい。他人がつべこべ言うことじゃない。
しかし、特集の最初から最後まで、「映えスポット」であることが重視され過ぎている印象だった。

多分、もう少し踏み込んだ作品紹介や解説があってもよかったのだ。
記事の内容がずっと「美術館!インスタ映え!作品わかんなくても楽しい!」で進行するのが違和感なのだ。待ってそれって本当に「アートに触れる楽しさや地域に根ざした公立美術館の魅力を発信」できてる?っていう。
これは後述する「〇〇女子」の話に繋がるのだけれど、「アートに触れる楽しさや地域に根ざした公立美術館の魅力を発信」するために、「美術なんて何にも知らなくて、インスタ映えに目がない若い女の子」という設定は必要ですか?
という部分への違和感。

これ、単純に「アイドルと美術館デート」というシチュエーションのグラビアとして出されれば、とてもいい、おそらくファンの方々も満足いく、写真だったろうな、と思う。その聖地巡礼的にファンが美術館に来る、とかありだと思う。
下手に「美術館の魅力を云々」などと言う大義名分を付けたのが、モヤモヤポイントなのだ。
美術館がずっと「映えスポット」として紹介されているのも、「グラビアである」と考えれば、さもありなんだし。

そもそも美術鑑賞ってなんだ

さて、少し余談かもですが、「美術なんて何にも知らなくて、インスタ映えに目がない若い女の子」という前提をとりあえずは受け入れるとして、ここで出されている「美術館楽しいよ!」アピールそのものに対する違和感の話。

ここに載せられているのは、「芸術って難しそうだし、理解できるのか?」と心配していた彼女が、作品を目にした瞬間に、ただ作品の圧倒的なパワーでもって「感動した」という記事である。
「知識がなくても大丈夫!感動する!アートってすごい!」という、よく見かけるお話だ。
勿論、本当にそれが、「彼女」の心からの感想だったら全然問題ないんですけれど、これ、誘導されてない?大丈夫?って思ってしまうのは、穿ち過ぎでしょうか?
でも、この「企画」はおそらく、「知識がなくても大丈夫!感動する!アートってすごい!」という結論ありきで作られているんじゃないだろうか。

まず前提として、私は作品鑑賞に絶対的に知識が必要だとは思わない。特に現代美術の業界における、「過去のこの歴史的運動を前提としている作品ですからね」とか「この作品に対して、この理論を把握しないで語るのはどうなんですか?」とかいう無言の圧力や、「知識を前提とする」閉鎖的な空気感ははんと嫌いだ。
美術業界は内輪の仲良しこよしで繋がっている部分も多いし、「知らない」ことを見下すような人が存在することも否定はできない。だから正直言うと、美術業界の閉塞感にはうんざりしている。こんなんだから美術業界はお高く止まってるって言われるんだよ…。

ただ、その一方で、「考えるな!感じろ!」という「感動」の押し売りになっているのもおかしくないか?と思うのだ。
そもそも、「考えるな!感じろ!」ってめちゃくちゃ難しい無茶振りだ。「一体この珍妙な物体を見て、何を感じればいいのか…」ってなるでしょ普通に。私はよくなる。しかもその「感じたこと」をただその感性のまま「肯定」に結びつけるのなんて、ほとんど無理では?と思ってしまう。
感じる「だけ」の方が、知識があって観るよりよっぽど難しい。

もちろん見ただけで、何かしらの感想を抱ける作品については、それで全然問題ない。「綺麗だなー」とか「大きいなー」とか「なんか好きだなー」とか。それこそ本当に「感動した!」とかあったらそれはめちゃくちゃいい出会いなので大切にしてほしい。
印象派の絵画が人気なのは、一目見て、感覚的に「綺麗!好き!」ってわかるからだろう。

ただ、勿論そういう作品だけじゃないのだ。そうじゃない作品の方がなんなら多いだろう。ミケランジェロは「なんか有名なやつ」と思うかもしれないし、ヒエロニムス・ボスは「なんかきもい」と思うかもしれないし、ピカソは「何この変なの」と思うかもしれないし、ポロックは「塗装現場?」と思うかもしれないし、デュシャンは「何この子供のいたずら」と思うかもしれない。
でも、それでいいのだ。というか、美術なんてそんなもんだろう。肯定的な感想を抱けなくていいし、ましてや「感動」なんてしなくてもいい。ぶっちゃけ感想なんてなくってもいい。
それなりに高いお金払って展覧会観て、「なんもない」ってなるのは損した気分かもしれないけれど、美術鑑賞なんて、そんなもんだと思うのだ。めちゃくちゃ展示巡っても、ほとんど「まあ、こんなもんだよな」で終わるなんてよくある。
ただもし、その中の何か一点でも、「好き」って思える作品に会えたら僥倖だし、些細な、肯定的な、あるいは否定的な、なんらかの「違和感」を感じたらめっけもんだ。
だってそこからが「美術鑑賞」の一番面白いところだと、個人的には思うので。

私はバリバリ現代美術の作品論で卒論も修論も提出したのだけれど、研究理由は「意味わからないから」だった。
全然好きなわけじゃない。どちらかと言うと、「それってどうなの?」という批判的な気持ちがあって、だから、知りたくて、調べて、考えたのだ。
全然「意味がわからない」ような、私にとって「未知」のものの存在を、知って、自分なりに考えるために。

私が「美術」を面白いと思うのは、私が思いもつかなった世界、存在すら知らなかったような思考、思い、現実、を、「ただ提示してくれる」点だ。
誰かからの押し付けではなく、ただ、私の知らないことを、知らないもののまま、「はいどうぞ」と見せてくれる。だからこれをどうやって受け取るかは私次第だし、受け取らないことも可能だ。「わからないな」って見て見ぬ振りしても全然いいし、そもそもそれが「私の知らないこと」だと気がつかないことだってあるかもしれない。「あーどうせあれでしょ?」って舐めきってスルーしてる可能性大有りだ。
だけどそんな中でも、何かしらの「違和感」が得られたなら、きっとそれは私が知らなかった「何か」だ。
「わからないな」「嫌だな」「何これ」そんなものを、それでも「わかりたい」と思った時に、今度は多少の「知識」が必要になったりするんだと思う。
どういう作者が、どういう時代に、どういう主題で書いたのか、という情報。それだけでも「わからない・未知の存在」がちょっと腑に落ちたりする。
「ああーこういう時代背景があるからなのか」「そもそも、こんな出来事があったのか」「この人にはこの出来事がこんな風に見えていたのか」なんて。
ただ、現代では作者も鑑賞者も「作品」の前に平等なので、作者がめっちゃ「こんなことを表現してます!」と言ってても、「でも私にはこう見えます!」って反抗してもいい。そこが面白い。「知識」は必要だけれど、特に近現代美術に関していえば「知識」は絶対じゃない。ただ、自分が自分の中でそれを咀嚼するために、「必要な知識」を取捨選択するのは、自分のためにプラスだ。お助けアイテム的な。

だから、逆に「知識に拘らずに感じましょう!」というのも、それはそれで押し付けなのだ(ここは日本の美術教育に対する問題もあって、鑑賞教育、が機能していないという問題は、教職課程履修時に何度も聞かされた)。
知識を持っている必要はないけれど、感性だけで見る必要もない。本当はいろんな手段を知っていて、その上でいろんな見方をできれば一番なんだろう。
そもそもそういう多様な、「自分では思いつきもしない世界がある」「自分とは絶対に分かり合えない他人がいる」という多様性を突きつけられるような場が「美術」なんだと思っているので。

まあ、これも私個人の美術の楽しみ方なので、全然違う楽しみ方をしたっていいんですけどね。それこそインスタ映えのためでも全然いいんだ。

「〇〇女子」への違和感

ようやく本題に戻るのですが、それじゃあ、なんでこんなにモヤモヤするのかといえば、ここには「〇〇女子」と表現することに対する、根本的な抵抗感がある。

そもそも乱暴なカテゴライズ自体が苦手ではあるのだけれど、ここで提示されている「美術館女子」像が、先に言ったとおり「美術なんて何にも知らなくて、インスタ映えに目がない若い女の子」である「必要性」はどこにあるのか、という点が、問題なのだ。
誤解しないで欲しいのは、「美術なんて何にも知らなくて、インスタ映えに目がない若い女の子」自体を批判しているわけじゃない。
「美術館」のアピールのために、「美術なんて何にも知らなくて、インスタ映えに目がない若い女の子」が用意されること、がモヤモヤするのだ。

少し前に炎上していた「美術館ナンパ」にも通じる嫌悪感なのだけれど、ここにはどうしても「若い女の子は何にも知らなくて、ただ可愛くニコニコしていてね」という無言の圧力の存在を感じてしまう。
多分、ツイッターで反応している人の多くは、ここに「うっ」ってなっているんじゃないかなあ。

「理系女子」とか「歴史女子」などの言葉の裏側には、「女の子はなんにも知らない存在」なのに「理系」、とか、なのに「歴史が好き」とか、必ず「若い女の子は何にも知らなくて、ただ可愛くニコニコしている存在」という思考が前提にある気がする。だからあえて「〇〇女子」なんて括るのだろう。

「美術館女子」はこうした「〇〇女子」と同様に、「若い女の子は何にも知らなくて、ただ可愛くニコニコしている存在」を前提としつつ、更に「なんにも知らない女の子」を「何にも知らないままでいいよ」と肯定しながら、「インスタ映え」という「可愛くニコニコしている存在」が好みそうなものと接続することで、「何にも知らなくて、ただ可愛くニコニコしている存在」を保存しながら、そんな子達と一緒に「美術館」に行って、色んなことを「教えてあげる自分」という立場を夢見させるものだ。
「なんにも知らない女の子」に「何かを教えてあげたい」という、ある種の支配的な欲求の存在が、この背後にはあるのだろう。

そして、ここで想定されている「美術館女子」という言葉は、ただ「美術館を楽しむ」人を、そんな支配的な欲求を受ける客体に落とし込む言葉になり得るのだ。
作品が好きな人、課題で仕方なく来てる人、レストランが好きな人、デートの人、映え写真を撮りたい人…そんないろんな楽しみ方をしている人たちを、「美術館女子」という言葉で十把一絡げにしてしまうことで、みんながみんな「なんにも知らない女の子=そのまま、何にも知らなくて、ただ可愛くニコニコしているだけの存在でいてね」という無言の圧力に晒すのだとしたら、これはなかなかに乱暴だ。

まあ実際には、「美術館女子」は、そこまで訴求力のある言葉じゃないと思うのですが、「〇〇女子」と括られることの嫌悪感の大元には、この危機感があるので、どうしても敏感にならざるを得なかったりするのだ。
というより、私の運が悪いのか、日常において無意識のマウントを取られることが多々あり、その度に「う」ってなっているので、余計敏感なのかもしれない。私怨だ。

いややっぱりこれ「美術館女子」なんて言葉も出さずに、ただ「アイドルと妄想デートin美術館」なら問題なかったじゃん。これを美術館の云々、みたいな大義名分に接続したから気持ち悪さが増したのだ。
その背後の「欲望」まで隠して、いかにも「教養がある」みたいに、上から目線で自分本位なアピールをしているように感じる。
「グラビア」ならまだ「欲望」に素直な分、許せる。加害者なら意識的な加害者でいてほしい。それともこちらが気が付いていないと思っているんだろうか?バカにしているのか?

いけない。ただの私怨になって来てしまった。
いやでもとりあえず私の中のモヤモヤはこんな感じだろうか。

誰のための「美術館女子」か

うーんそもそもターゲットの設定がわかんないんだよな。
そもそも美術業界って女性が多い。学芸員さんは女性の方が多いし、客層も女性の方が多く感じるし、特に現美の客層は、若い女の子、もとから多いように思うんだけど。
美大も女性の方が多いし、私は美大の理論系の学科だけれど、そこでも男性はほんとに少なかった。7割近く女性だ。
まあ、それなのに大学教授や館長に女性が少ないのは美術業界の問題だけれど。

ただ、実際に女性の方が業界的にも、お客さんにも多い(であろう)状況を鑑みると、やっぱりこの「美術館女子」という言葉は、そういう「女子」を求める立場の人のために作られたものなんだろう。
「美術館女子」という言葉で本当に「美術館の魅力」をアピールするつもりがあるのなら、そのアピールの対象は、「なんにも知らない女の子」に「何を教えてあげたい」という支配的な欲求の保持者に対してなんだろう。
美術館に来れば、「美術館女子」とお近づきになれるよ!という。いや、これじゃあ例のナンパ術じゃないか。

うーん。世界地獄。

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