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完璧な母とそうじゃない娘

私は80年代の東京で育った一人っ子だ。団塊世代の両親は共に大卒で、サラリーマンの父は誰もが知っているような会社に勤めていた。父は勉学などにあまり関心のない貧しい家庭の出身だったが、勉強が得意な方だった。三兄弟のうち父だけが大学に進学し、優良企業に就職。彼の家は周囲と比べると裕福ではなかったし、そのための苦労もあったはずだ。しかし、彼自身は全くガツガツした部分がなかった。むしろ、当時の男性としては珍しく温厚で他人に寛容であり、男尊女卑の匂いなど一切ない人だった。

母は非常に有能な専業主婦で、家事や裁縫がプロレベルだった。特に洋裁は独学だったにもかかわらず、誰が見ても既製品だと信じて疑わないようなスーツやコートまで作っており、ご近所に住む洋服デザイナーの方からは「あなたならこの業界でやっていける」と言われていたほどだった。私が幼少期に着ていた服の9割は母の手作りだった。この母は、勉強も運動も英語もピアノもできたし、達筆で習字もかなりの腕前。タッチタイピングも得意で、英文タイプライターの内職をしていた。温厚な父とは正反対で、完璧を追求する厳しい人だった。

こんな両親の元に生まれた私は、残念なことに非常にノロマでぼーっとした子供だった。運動神経が悪く、要領も悪い。幼稚園の時から集団行動についていけず、一人だけ皆と違うことをしてしまうようなマイペースぶり。そんな子供だったから、私の完璧な母は早くから私に落胆している様子があった。ただ、小学校に入る前までは「この子は早生まれで一人っ子だから、今はまだ仕方がない。」と自分に言い聞かせている部分があったはずで、そこまで怒られることはなかったように思う。

母が私にとって確実に恐ろしい存在となったのは、私が近所の公立小学校に入ってからだ。初日の宿題から字が丁寧に書けていないとガミガミ怒られた。

「ひらがなくらいお手本と全く同じに書けるでしょ?そんな下手な字の子供はうちの家系にはいない!恥ずかしくないの?鉛筆の持ち方!姿勢!もっと集中して!」

彼女は、毎日すべてにおいてこの調子だった。鉛筆の削り方から消しゴムの使い方、布巾の絞り方、お喋りの仕方、ご飯の食べ方、写真の時の笑い方、大人の前での振る舞い方、さらには友達との”ごっこ遊び”に至るまで、事細かに指摘してきた。母はとにかくしつこくて、些細な一つの出来事を大きく大きくする。私がどんなに愚かなことをしているかを、ずっと言い続ける人だった。

例えば、消しゴム。私が、字を消す時に力任せに擦ってしまったことからはじまる。まずは、

「何やってるの?!!」

と大声で怒鳴られる。幼かった私はなぜそんなに大きな声で怒鳴られるのか、何がなんだかわからない。呆然としている私を差し置いて、母は次から次へとまくし立てる。

「なんでこんなに乱暴に消すのよ?!消しゴムっていうのは細かく丁寧に消さないといけないの!なんでわからないの?そんなの教えられなくたったわかるでしょ?常識よ!なんでそんな普通は誰でもわかる事があなたはわからないの?乱暴に消すから紙がシワシワじゃない?紙が破れる可能性だってあるのよ!これに対して何とも思わないの?どうせこのシワシワの紙にまた殴り書きするつもりだったでしょ?本当に信じられない!なんで丁寧にできないの?だいたいね、昔は紙は高級品だったのよ?自分がどんなに恵まれているか考えた事ある?昔だったらあなたみたいな雑な子供は絶対許されなかったわよ!あなたみたいな子はちゃんとした大人になれないわよ!」

入学したての1年生に対して、こんな怒り方を一日何回も繰り返すのが母だった。当然、学校のテストは全て事細かにチェックされ、ミスどころか正解の答えに対してすら、ちゃんと理解して答えたのかと問い詰められ結局は怒られるのだ。ピアノの練習だって毎日隣でつきっきり。母は特に指使いに厳しく、正しい指使いでなければ信じられないほど怒った。母にとって字の書き順やピアノの指使いといった決められたルールは絶対で、ルール通りに行動できないような私はとんでもない愚か者ということだった。

父はというと、まあ優しかったのだが、所詮は昭和のサラリーマン。仕事は激務だったし、家庭のことは全て母に任せていた。私が毎日怒られて泣いていることは知っていたし、庇ってくれることもあった。でもそうすると今度は父も一緒に延々と怒られて、全く頼りにはならなかった。

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