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母は毒親だったのか?

毒親という言葉を私が初めて聞いたのは、確か2009年ごろだったと思う。12年暮らしたオーストラリアを完全に撤退し、東京に戻ってきた後だった。Toxic parentsやTiger mumといった表現はオーストラリアでも使われていたが、日本で毒親という表現が出てきたことに正直驚いた記憶がある。私がまだ10代だった90年代は、親への苦言は一纏めにただの反抗期みたいなノリで見られていたはずだ。それが10年ちょっとで、毒親の実態が認知され、世間で広がり出したことに驚いたのだ。

私は一見何不自由なく生きてきた恵まれた側の人間だ。実家は一般家庭だが、一人っ子の私はそれなりにお金をかけて育てられたためか、羨ましがられることがよくあった。

「恵まれていますね!」
「凄くラッキーだよね!」
「大切に育てられてるよね!」

などと軽々しく言われてきた。そんな時、複雑だった母との関係を簡単に言語化することができなかった。そもそも、大して仲良くもない他人に自分の家族の話を事細かに話すなんて下品だ。ただ、他人が私に抱くイメージに苛立ちを感じることがよくあり、「うーん。かなり厳しい母でしたよ。」とやんわり返すこともあったが、その度に必ずこう言われた。「それは愛されていた証拠だよ!」と。

そんな私が毒親という言葉に出会った時、いつものように私に対して勝手なイメージを持った人にこう言ってみた。「母は毒親みたいなところがあって、私もそれなり苦しみましたよ。」と。不思議なことが起こった。「そうなんだ。。。」と一瞬で黙ったのだ。今までだったら絶対に話の通じなかった相手が、毒親という言葉を聞いた途端、状況を理解したのか、バツが悪そうにした。

毒親という言葉には確かに賛否があるかもしれない。誰も彼もが自分勝手に親を毒親と言い出す風潮は乱暴だと私も思う。それでも毒親という言葉は、私にとってうるさい他人を黙らせるための実に便利な言葉となった。

今、私の人生もいよいよ折り返し地点に差しかかっている。数年前、母同様に悩まされた祖母が亡くなり、改めて自分が育った環境について考える機会が増えた。うちの母は毒親だったのだろうか。ただの過干渉だったのだろうか。どちらにしても、私が苦しんだ年数はとても長く、40代半ばになった今もなお、私は昔の母を許していない。恥ずかしい話だが、私は自分の子供時代のあれこれに全く納得できていないのだ。

誰もが気軽に綴れる時代だ。私もnoteという場を借りて、自身の人生を少しずつ振り返ってみようと思う。書き出してみたら、案外大した話でもないのかもしれない。もしかしたら、自分について話す機会が少なかったことで、私の心の中の根だけが勝手に伸び続けているだけなのかもしれない。だとすれば、残りの人生を気楽に楽しむためにも、この根はさっさと断ち切りたい。


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