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佇む彼女は遠い存在でした②





ー土曜日ー




「よ、岩本」


『気安く呼び捨てしないで』



デートの約束の日。

彼女は時間通りにやってきた。




登場早々にイラつき気味の岩本ちゃんだが、

まぁ通常運転。



「さ、今日は俺らの日課を教えてやろうと思う」


『なんでそんなやる気なの笑』


「だってさ、お嬢様に庶民の生活を教えるのってなんかワクワクしない?」


『しないよ笑いいから、ほら、早く行こっ!』




何だか、いつにも増してウキウキな彼女。

すげぇかわいい。

何日か前に出会ったばかりなのに

波長がすげぇ合うんだよな。



この運命ともいいがたいこの関係性を

俺は思いっきり楽しむことにした。





 ───────────────




「まずは、マックな」

『うわぁ、これがマクドナルドかぁ…』



岩本さん、そんなに目をキラキラさせるような店じゃないよ。



「俺はビックマックだけど、そっちは?」

『え、あ、じゃあ…ち、チーズバーガー』



そんな緊張する店じゃないよ^_^



「ビックマックのセットでサイドメニューはポテト、飲み物はコーラで」



さてさて、この注文をして隣を見れば…



案の定、この表情。

そんな絶望的な顔をしなくていいよ。

スターバックスじゃあるまいし。



『え、えっと、チーズバーガーに…え、サイドメニューって何?』



なんかキレてるよなこの子。まさかここまでだとは。



「あ、すみません。チーズバーガーのセットでポテトS、飲み物は?お茶で」





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 ───────『何この店‼︎』



多分、マクドナルドの注文方法に怒っているのはこの世であなただけだと思います。



『本当分かんない。なに、サイドメニューって。前菜のことじゃないの?』



俺はそんなお嬢様発言を柔和な笑顔で見守るしかできない。



「まぁいいから。ほら、チーズバーガー食べな」



俺が促すと何とかイラつきを抑え込み、紙袋に包まれたチーズバーガーに手をかける。

ぎこちない手つきでそれを開くと

ほんわりとした湯気に包まれる彼女の姿があった。



そして、一口口に入れる。





『んまっっ‼︎‼︎』




マクドナルドでそんな楽しそうな顔をしているのは多分あなただけです。



『何これ。え、○○はいつもこれ食べてるの』



不意な○○呼びに戸惑う。


もうさ…こういうところがよくないよ。



「いつもじゃないけどよく食べてる」


『だからか…お友達があんなに太ってるのって』



圭介の体型に何かを察したようだったが、そこまで触れないでおこう。







「次は、カラオケに行くぞ」



『え、この中から歌選んでいいの?』






「次は、チーズ系のおやつな」



『ん、美味いっ』




「次はゲーセンな」



『ねぇこれ絶対取れないって』








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「最後は、夜景でも見てこ」




俺たちはデートの終わりに夜景のよく見える高台にやってきた。


高台までの道のりで今日のことを振り返る。


すげぇ楽しかった。



ラウンドワンでは初めてのカラオケで戸惑う挙句にめっちゃ歌下手だし。


ファーストフード食べるたびに目をキラッキラにさせるし。


ゲーセンでは取れない取れないいいながら、財力だけはめっちゃくちゃだし。



新鮮な体験だった。



そして何より



彼女の笑顔は俺にとって最高の幸せだった。




『楽しいねっ!』



もう終盤だというのにこんなにも無邪気な笑顔を露出して…



令嬢とは思えないほど無防備な姿。





俺は気がつくと無意識なままに彼女の頭を撫でていた。





『ちょ、ちょちょ何…‼︎』





流石に慌てた様子で俺の手を払いのける。




「うわっごめん。つい……」




こんなこと、今まではなかったのに。




『……』




彼女は照れ隠しをするように俺に背を向ける。そして塀に手をかけた。




『見てっ‼︎綺麗だよ』




この間の冷たい彼女はどこにいったんだ、と思えるほど無邪気。




「本当だな。これは俺も見たことないや。」


『庶民のくせに?』


「うるせぇよ笑」




また、俺たちは笑う。




彼女の後ろ姿を見ると、俺はどうすればいいのか分からなくなった。

自分の気持ちとうまく向き合えない。


これって好きっていう気持ちなのか…?




『あのさ、○○』




そんな風に思考を巡らせていると、岩本さんがそう呟いた。



「ん?」


『私、どんな家系か知ってる?』



突然だった。

知らないと言えば嘘になる。

でも、答えていいのか分からず黙り込んでしまった。



『知ってるんだね。』

『じゃあさ、なんでそんな私がのこのこ○○とのデートに来たと思う?』



「それは…俺が誘ったから仕方なく……」









『私、嫌なんだよね。今の生活』



寂しげな彼女の姿は

初めて河川敷で会った時の姿を彷彿とさせた。




『いつも連れてかれる食事はフレンチとかディナーばかり』


『どこにいくにも車だから、友達1人できっこない』


『なのに家に帰っても両親は仕事で家にほとんどいなくて一人ぼっち』


『珍しく帰ってきたと思ったらお見合い。戦略結婚の申し出だらけ』





『私、何のために生きてるんだろうって』





彼女の瞳はうるうると水分を帯びていた。





『分かってる。贅沢な悩みだって』


『でも…私は普通になりたい』





『自由に、なりたいの』







夜景の光に照らされた彼女の表情を見るに

俺にどうにかできるようなものではなかった。

でも、俺にもできることはある。と同時に思った。




「そんな、悩むことないよ」




「蓮加は蓮加のままでいい。」




「今日の蓮加は、その辺のJ Kと変わんなかった」




「俺の前だけは、何も考えなくていいよ」






そう言いながら俺は、蓮加をゆっくりと抱きしめた。


初めて、蓮加って呼んだ。


俺を虐げることのない蓮加の優しさが今は心地よい。




『今、蓮加って…呼んだでしょ』



俺の胸の中でゴニョゴニョ言ってる。



「言った」


『初めてだなぁ。他人にそんな風に呼ばれたの』


「いくらでも呼ぶ」


『…初めてだなぁ』


「ん?」






『人に抱きしめてもらうの』






彼女の涙が俺の服を濡らした。

俺はそんな彼女に応えるかのように

さらに、強く抱きしめる。




「いつでも頼れよ」

『○○に頼ることなんか…ないし…』

「じゃあ、胸、貸さないぞ」

『やだ。まだもう少しだけ、こうさせて』




胸に感じる人肌は

今までに感じたことのないほど暖かかった。




『あのさ…○○』




いつになく神妙な面持ちで顔を上げる蓮加。




「どした」


『ひとつお願いがあるの』


「なんだよ」


『来週の日曜日、会社の関係者とか親戚の間でパーティーがあるんだけど』


『お父様から、ボーイフレンドを連れてきなさいって言われてるのね』





ん?もしかしてもしかしてだけど、





『○○、来てくれないかな』





はい。もしかしてのパターンでした‼︎





「え、いや、婚約者とかは?」


『この間お見合い断ったら彼氏の1人くらい連れてこいってことになった』


「てか、俺って彼氏…なの?」





『嫌?』


思いもよらない形で告白されたっぽい。



『逆にここまでしておいて、彼女じゃないって何様のつもり』



彼女は離れるなり肘で俺の腹を突いてきた。

なんか、通常運転に戻ったっぽい。



「俺は、蓮加のこと好きだけど蓮加はどう思ってるのかって思って…」


『好きかどうかは分かんない』


「え?」


『いやだって普通に考えてよ。出会って1週間だよ?まぁでも…』


『居心地はいいなって思う』




それって好きってことなんじゃないの?

素直に好きって言えばいいのに。




「そのパーティー、俺が行かなかったら誰と行くの」


『多分、お父様たちが連れてきたどっかの御曹司』


「じゃあ…今度のパーティー俺行く」


『かしこまり』




こうやって俺たちは猛スピードで

大人への階段を登って行った。










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ーパーティー当日ー


“ちょっと○○。急にスーツが着たいってどういうことよ”


「いや…ちょっと諸事情があって…」



母が奥から引っ張り出してきてくれた父の嫁入り道具のオーダーメイドのスーツ。

時代は超えても中々にかっこいい。



このスーツに革靴を履いて、髪型もこの日のために高めの美容室で切って、上手くセットして…



蓮加に会うのも1週間前以来。



見違えるほどにイケメンになった俺をどう褒めてくれるのかな。





待ち合わせ先の駅に降り立つ。10年間にも及ぶサッカーで培った180越えの身長を生かして高めの視点から人混みの多い駅前で蓮加を探す。



すると、見覚えのある黒塗りの車がこちらに近寄ってくるのが見えた。




「蓮加っ」




俺が手を振る。すると窓の中から驚いた目でこちらを見つめる蓮加の姿があった。



『え?○○?』

「よぉ‼︎」

『違う人みたい…っていうか、衣装はこっちで用意してるのに…』

「そんなことは聞いてないな」



『…かっこいいじゃん。こっちの方が衣装より似合ってるよ』



出会った時よりも笑顔が柔らかくなったな…なんて杞憂なことを考える。


『乗って。結構遠いからね』


そう促されて人生2度目の乗車を完了させた。







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「お嬢様、到着いたしました。ロビーにお父様とお母様方がお待ちです。」


『了解。○○、気を引き締めて。』



着いたのは何やらひっそりとしたホテルだった。ひっそりとしながらもリゾート地にあり、ロビーからは信じられないほどの重厚感が漂っている。




“コツコツ”




と、ヒールを響かせながら蓮加は勇ましく歩いていく。

その横顔は美しくもあり、何か戦いに挑むようなそんな面持ちだった。





“ようこそ、おいでくださいました”





玄関の回転式の扉を潜るとそこには見たことのない世界が、広がっていた。




「なんだ…ここ…」


『いいから』



驚く暇もないまま、スタスタと歩いて行く。


歩いて行った先には





白いスーツを見に纏い、シルクのネクタイを従えたダンディな男性と


何枚もの着物に身を包む、赤リップのよく似合う女性、


この2人が蓮加の両親であることは、すぐに分かった。

しかもこの2人、テレビでも幾度も見たことがある。






「お久しぶりですね、蓮加さん」





あっけにとられていると、突然、蓮加が何者かに話しかけられた。

その男は俺よりも身長は低いもののクソイケメンで清潔感溢れる好青年だった。




「お父様方はあちらですよ」


『分かってる』




そんな男を蓮加はテキトーにあしらっている。

彼は蓮加の隣にいる俺の全身を舐め回すように見つめ、何か不敵な笑みを浮かべた。


そんな男に嫌気がさし、なにか身震いする思いを潜めながらも何とか足取りを進める。



そして両親のもとにたどり着いた。







「本当に、彼氏を連れてくるとはなぁ」



お父さんもまた、俺のことを舐め回すような視線を注いだ。


でも、ここで臆してはならない。


俺は蓮加に紹介してもらうよりも先に一歩、前に出た。




「蓮加さんとお付き合いさせていただいている橋本○○と申します」

「今日はよろしくお願いします」




俺の身長に屈したのか、俺の圧迫感が強すぎたのか少しばかりおののくお父様だったが

すぐに業務的で余裕のある笑顔に切り替わった。




「○○くんか、今日は宜しく頼むよ」




握手を差し伸べるお父様。俺はその手をがっしりと掴んだ。




『○○さん、私の名前はご存知なのかしら』




そんな俺たちの間に割って入ったのはお母様だ。


「秋子さん…ですよね。存じています」



よかった。昨日、ワイドショーで岩本商事の業績が取り上げられていて。



『そうよ、蓮加がお世話になっているわ』



隣に佇む蓮加は俺に驚きの視線を注いだ。



『会場はこの先の広間よ。お祖父様にも挨拶しに行かなきゃね』



とんとん拍子で俺たちは奥へ奥へと導かれて行く。



『○○、うちのこと調べたの?』



移動中、ひっそりと、耳元で囁く蓮加。



「んなわけ。記憶だよ記憶」

『バカ』



何だかこの子、お嬢様とは思えないんだよな。

俺の中でのお嬢様イメージが覆っていく。





『こちらよ』





お母様方に案内された先には大広間が広がっていた。

ドラマで見るような社交的な場で、

着物に身を包んだ女性陣と、美しいスーツを構えた男性陣が会話を交わしている。




『この先は自由に過ごしてもらってかまわないわ。ただ、11:00からのセレモニーの後に岩本家での食事会があることだけは忘れないで』



お母様はそう言ってかたがった俺のネクタイを直し、そのままその会場へと溶け込んでいった。

お父様は俺たちより後に入場し、拍手で迎えられている。




「蓮加…これってなんの集まりなの?」


『これは、岩本商事の138周年記念式典。』


「曖昧な数字だな」


『記念なんかしてない。ただ楽しむパーティー。毎年やってるから』




蓮加の瞳は

1ミリも笑っていなかった。

早くこの場から逃げ出したい、とまでは言わないが

楽しさを見出せていない様子。



蓮加はこんな会を一年に何回も…?



そんな彼女の想いとは裏腹に


美しい横顔が、俺の隣にはある。

俺はその横顔を眺めるだけで幸せだった。



「…何か食べた方がいいんじゃない?」


『食べたくない。』




彼女の瞳は思っていたよりも重苦しい。




『私みたいな令嬢は、差し出されたものしか食べないの。』




なんだ?その規則…。

どうやったらそんなルールが生まれるんだよ。

とは思っていたものの、

蓮加の周りにはすでに何人もの男がグラスを2本持って待ち構えていた。



「なるほどねぇ…」


『ちょっと面倒みてくる』


「見られる側じゃないの笑?」


『うるさい』



そう言うとそのまま蓮加は御曹司の群れの中へと入っていった。

まるで戦にでも行くような面持ちに俺には見える。



俺はその様子を遠くから眺めていたが

彼女の笑顔は偽りの笑顔だった。

この間のデートの時とは全く違う。



人ってこんなにも変わるんだなぁって。乾いた瞳に、貼り付けたような固い笑顔。詩が書けそうなくらい、感情が湧いてくる。



『ごめん、ちょっと長くなるね』



俺を気にして一度戻ってきた蓮加。そして一言そう告げた後、俺の見えなくなりそうなところまで波に飲まれていった。


なんで来たんだろ、このパーティー。



つまんないわけじゃない。知らない世界だらけで経験値が上がることに喜びは大きい。

でも、蓮加がいるからこそここにいるのに俺1人となるとただの一般人に過ぎない。


1人でその辺のローストビーフをつまみながら何食わぬ顔をして富豪に擬態するのに精一杯だった。




「まだかな…」




セレモニーが始まれば蓮加と一緒にいられる、そう思って待ちくたびれていたその時だった。










『ねぇ』



『君、そこで1人で何やってるの?』





ついに、参加者の1人に話しかけられてしまった。


しかも、めっちゃ美人のお姉様に。





「え、あ、いや…その」


『蓮加と一緒に入ってきてたわよね?どうして1人でいらしてるの?』






その言葉口調からもお嬢様雰囲気が漂っているものの

蓮加の知り合いだということに安心した。





「…蓮加は忙しいから」


『そう?自分を忙しくさせてるのはあの子自身じゃないかしら?』


「え?」


『あの子だって誘いを断れば今も貴方と一緒にいられてるはずなのに…ね…?』


「まぁ…そうでしょうけど…。やっぱ、立場上そうしなきゃいけないんじゃないですか…」


『そうね。若い頃からああいう人たちの相手をしないと』



『私みたいに、なっちゃうからね』




少し微笑みながらそう言った彼女だったが、

この人からも蓮加と似たような奥底に秘める闇の雰囲気を感じた。




「何かあったんですか…?昔」




土足で懐に踏み込んでいる気がしたが

自分は一般人だもん、気になるのは仕方ねぇだろ。と納得させた。




『昔…ねぇ…別に私は何もしてないんだけどね…』




彼女は俺の隣にゆっくりと腰掛けた。

暇が潰せる気がして心が跳ね上がる。




「俺になんか話してくれなくてもいいんですよ」


『詳しく話すつもりなんてないわよ。ただ、蓮加の彼氏…ってことだから知って欲しいこともあるなぁ…って』


「なんですか」


『知りたい?』


「そりゃあ…」


『知って損しない?』


「そんなの分かりませんよ」


『…そうね…』



『貴方は、蓮加と付き合うべきじゃない』




まただ。そう言われるの。

圭介にも言われたし

言われなくても、周りからの視線でわかる。


『ってことかな』


「そんなの俺だってわかってますよ。身分不相応だってことくらい」


『貴方たちが見合ってないって言いたいんじゃない。ただ』


「ただ…?」


『蓮加の人生に迷惑がかかるかも…って』


「どういうことですか」


『じゃあ…考えてみて?』



『どうして私が』



『今この場で1人ぼっちなのか』





どういう意味なのか、俺にはわからなかった。

彼女の過去にどんなことがあったのか、

それだけが気になった。



「やっぱり何かあったんですか」


『知りたいんだ』


「ここまで匂わされたら、気になりますよ」


『じゃあ…教えてあげ………』





彼女がそこまで言ったところだった。




俺たちが



真顔で突っ立っている蓮加に気がついたのは。





『何してんの』



少し低めのローボイスが脳に響く。



「蓮加…」


『ねぇ、○○に何か言ったんですか』



彼女の冷たさの矛先は


隣にいる



彼女に向けられていた。


彼女は蓮加に対して

不敵に微笑んでいる。



『別に。何も言ってないわよ』


『じゃあ○○から離れてください』


『そんな強く言わなくてもいいじゃない』


『いいからっ。早くっ!』




少しキツめに蓮加が怒鳴った。


何が起こっているのか、分からない。


俺はただ…美しいお姉様とお話ししていただけなのに。





『いつからそんな生意気になったの?』



女性がゆっくりと立ち上がり、蓮加に詰め寄る。



『麻衣さんが…あんなことするから…』


『やってることは、今の貴方も一緒よ』


『……違う…』




蓮加の身体が震えている。




『何が違うの?一般人と恋仲に落ち………』


「これ以上、蓮加に話しかけないでください」





俺は2人の間に割って入った。

女性は驚いた視線を向けたが、すぐに柔和な瞳へと戻る。




『ごめんね、驚かせて』




彼女はそう告げるとそのままホールの出入り口へと歩いて行き、会場を後にした。


軽く縛っていたポニーテールがフワッと解けて彼女の明るい茶色の髪がバサっと靡いている。


後ろ姿だけでも、蓮加とは違う大人な上品さと恐ろしさが醸し出ていた。




「蓮加…」


『ちょっとだけ、外で話そ』







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『何か言われた?』




ホール外のロビー。蓮加が壁にもたれかかりながら不安そうに見つめてくる。




「別に何も言われてないよ。」




別れた方がいい、と言われたことは隠すことにした。




『それならいいけど』



蓮加はまたホールへと戻ろうとする。俺はその手をギュッと握った。



「あのさ…」



俺はさっきの女性の話を思い返す。


何故、彼女は1人きりだったのか。


会場に入れている時点で岩本商事の関係者であることは分かるが

あんな美貌を兼ね備えていて、若く、岩本商事の関係者とでもなれば蓮加に押しよった男性方のように彼女も話しかけられているはずに違いない。

それなのに…どうして。

それはきっと彼女の過去に原因があるということは何も知らない一般人の俺からしても明白だった。




「さっきの人って、何者なの…?」




蓮加はホールに戻ろうとした足をピタッと止めて振り返るとまた、元の位置に戻る。




『本当に何も教えなかったんだ、あの人』




何か意味深な呟き。



『あの人の名前は白石麻衣』

『私のいとこ』




蓮加はどこか一点を見つめながら語った。





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麻衣は、有名だった。

岩本の家系は代々美人が生まれる、で有名だったけれど麻衣はその中でも格別。それに頭脳明晰でノリもいい。そこたらじゅうの御曹司から誘いを受けて、求婚されて…とりあえず凄くモテた。


だけどある日、麻衣は家にあった財産を持ち出して突然家をとび出した。


彼女が高校を卒業してすぐのことだった。小学生だったけど、よく覚えてる。大学に進学する、となった直前での家出。居場所も分からず、大学にも行ってない。履修登録もできてなくてそのまま退学。しばらくの間音信不通だった。

家の財産は持ち去られ婚約の計画も泣く泣く破談、それに加えてこっちは岩本家の人間がそんなことになっているということを世間から隠すのにお金を使って…とりあえず、苦労したの。



それなのにそれから4年後、彼女はうちの付き人によって街中で発見された。

彼女からはオーラが消えていた。まるで一般人のようだった。



どうやら彼女は高校時代に他校の文化祭で出会った一般人の男と駆け落ちし、そのまま4年間付き合っていたらしい。

普通の生活、をバイトしたりしながら送っていたんだって。



見つかってからというもの、麻衣は家に無理やり引き戻されてお嬢様として暮らしてる。

一応、岩本家の一員として認められてはいるけど彼女をいまだに否定的で侮辱する目で見る人は多い。



『てな感じ』


『だから岩本家からは冷遇されてる。』







何か、納得した。


彼女が俺に蓮加と別れるべき、と言った理由も

彼女が避けられている理由も。


麻衣さんは一般人と恋に落ちることのデメリットを自分の体験として教えてくれていたんだ。

だから、俺に忠告した……


なんだ、それ。




「この家には人権がないんだな」





俺は思わずそう言っていた。



「好きな人とも一緒に過ごせず、常に会社経営の渦中に生きてるってどんな拷問だよ」



蓮加は俯いた。

蓮加も、以前からこの生活にうんざりしていた。

蓮加にも麻衣さんに通ずるものがあるのか

麻衣さんを否定するようなことはしなかった。



「蓮加はこれからどうするつもりだよ」



蓮加はゆっくりと顔を上げる。



『私は抗うよ。正々堂々。財産を持って家出なんかしない』


「でも、俺と付き合ってちゃ麻衣さんみたいに孤立するんじゃ…」


『それでもいいよ』




『○○がいるならね』




どれだけ俺に信頼を置いているんだ。

俺と出会ったのはつい何週間か前。それなのにこの有様。

そんな信頼を裏切ることなんてできるものか。

もし蓮加と逃げ出したとして、また家に引き戻されとしても


俺は絶対に蓮加を連れ戻してみせる。



「はいはい守ってあげますよ〜」


『別に守られなくても1人でも生きていけますけどね〜』


「甘えていいんだよぉ?」


『はいはいキモいキモい』



よかった、いつも通りの蓮加で。





『ちょっと、蓮加、○○くん、セレモニー始まるから早く来なさい‼︎』





ホールから急ぎ足で出てきたお母様。


俺たちは目を見合わせて、笑った。









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セレモニーがさっぱり終わった。


やはりこのパーティーの目的は集まってワイワイすることなのだと悟ったが

富豪も大学生みたいなことしてるんだなぁって物思いにふける。



とはいえ今は重苦しい空気に包まれながら、蓮加と共に同ホテルの7階にある和室へと向かっている。


食事会だ。





『ここでやらかさないようにね』

「おじいちゃんもいるの?」

『お祖父様、ね。いるよ』




お祖父様は現在の取締役である。




『さ、入るよ』





俺は深く深呼吸をし、蓮加の手のひらに触れてからそっと入室した。








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食事会が始まった。


メンツは俺と蓮加の他に



現社長の蓮加のお祖父様、


次期社長の蓮加のご両親、


加えて蓮加のいとこや、叔父さん方。


そして麻衣さん


だけでなく、


会社の何人かの重役や

他の系列会社のお偉いさんなども何人か参加していて総勢10人程度であった。




『あれが、私の結婚相手…になりそうな人』




席に案内されている間、耳元で蓮加が小さくつぶやいた。彼女の視線の先にいるのはロビーで出会った青年だった。

やはり、彼も御曹司だった。


席につき、各々の席に準備された前菜という名の何か分かんない葉っぱたち。




“それでは、乾杯”




優雅なひと時、いや精神が削がれるひと時が始まった。






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『○○さんはどちらの出身なの?』



食事会が始まって20分。気づいたら会話の矛先は俺にあるようだった。

皆が異色である俺の存在に違和感を覚えているのだろう。

俺の出身やら実家の家業やら学校やらなんやなんやと質問責めである。



「出身は東京です」


『東京のどちら?』


「杉並区です」


俺は一つ一つの質問に丁寧に答えていくものの

何か差があることは明確だった。

どこか見下されているようなその目線。

気づかないわけがない。



『そう。杉並区といえばペンギンがいるカフェがあるわよね?蓮加が行きたいってずっと言ってたわね』


『え、あ、はい…お母様』




俺は謎の話の展開の仕方についていけずなんとか微笑みで対処する。




「あの、僕からも一つ」




そんな時に俺の目をしっかりと見ながらナイフを“キッ”と置いて口を開いたのは

蓮加の婚約者の御曹司だった。




「な、何でしょう」


「○○さんが1番大切にしていることはありますか?どんなことでも構いませんよ」




不意打ちだった。

なにこれ、俺試されてんの?


こんな質問、普通突然出題しないって…と思いながら誰かが助け舟を出してくれると想定したのに


周りの奴ら、全員俺のことを見つめている。


全員、箸を置いて、


どんな回答が返ってくるかを待ち侘びているかのよう。



「…え?大切な…こと…ですか」



思わず考える。

ここでヘマをかますわけにはいかない。

でも立派な回答でなければならない。


蓮加を、守るために。








「俺は、小さい頃からずっとサッカーをしてきました。その中で沢山の挫折と成功を味わいました」

「そして俺は大切な試合に挑む前、必ず考えることがあるんです」


「それは仲間の顔です」


「自分が努力してきた事実とか、気合を入れるとかじゃなくて、仲間の顔なんです」


「その時に思い浮かべるみんなの顔は絶対に笑っています。誰1人、俺を嘲笑するような顔をしていません」


「俺は、こんなにも周りの人に恵まれているんだ。それなのにひよってどうする。そう思えると、自然と力が湧き出てくるんです」


「だから今日もこの会に来る前に知り合いの顔を思い出して、自分を鼓舞してきました」


「今後は皆さんの顔を思い出せるように、今日は素敵な時間を過ごせたら、と思っています」



ん…誰も喋ってくれない。

まさか俺、やりすぎたかな………








「それは、素晴らしいよ。もっともだ」








口を開いたのはお祖父様、つまり取締役社長であった。




「誰も1人じゃ生きていけない。それはみんな、もちろん私もだ」

「君はいい人に出会えてるんだね」

「いい話だったよ」



白髪の眉毛がくいっと動く。



「ありがとうございます」



それから、どんな会話をしたかは記憶がない。

ただ、


蓮加がうちの彼氏、やるじゃん。みたいな表情で過ごしていたことは覚えている。













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『今日はありがとう』





彼女の執事の車に乗せられて家の最寄り駅まで送ってもらった。



彼女はロータリーに停めている車の中に乗りながら、窓を開けている。






「こちらこそ。いい経験だったよ」


『ちょっと見直しちゃった』


「ちょっと?だいぶだろ」


『そういうのがいらないんだっつーのっ』




ガラス越しに睨む彼女の目線もなぜだか今は心地が良い。




『ねぇ』




蓮加が呟く。




「なに?」


『お別れの言葉、あるでしょ』




いや知らない知らない。そんなものはない。




「え、なにそれ」


『ほら、愛情表現してよ』




…好きとか言えばいいのかな。


あんま安売りしたくないけど


蓮加とはそんなに会えるわけではないのだから


毎日を最後だと思うことにしよう。









「蓮加、」




「す、好きだよ」









俺は恥ずかしさを隠してそう言ったのに、彼女はポカンとした顔をしている。

どうやら窓越しだからなのか、聞こえていないっぽい。





『ねぇ、なんて』



「好きだよ」



『ん?聞こえない』



「だからぁ…好きだよ」



『聞こえないからもっと顔近づけて言って』







彼女がそう催促してくるから俺は窓ガラスから身を乗り出すようにする蓮加に思い切り近づいた。








「好きだ…………」










“チュ”









近づいた彼女の唇が俺の頬に触れた。










『私も、大好き』








俺は驚きと嬉しさと尊さと可愛さと美しさと今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑えながら


そっと頬を撫でる。





「…蓮加…」




『バイバイっ‼︎ほら爺、早く車出して!』






俺は彼女に何も伝えることができないままに彼女の車は走り去っていった。






俺はしばらく余韻のおかげか動くことができなかった。










……


このまま、蓮加との楽しい生活が続けばいいのに。


蓮加が俺のそばにいて


俺も蓮加のそばにいて


蓮加が自由に生きられるようになって


家柄の呪縛から逃れられれば


本望だ。





駅から見える、夕陽が少しずつ沈んでいく。

この景色に感動を覚えたのも初めてかもしれない。





そして俺は、銀色のチャリンコに足をかけて


また、一般人への世界へと戻っていった。










 ───────────────────






 ──────────────







 ───────



『蓮加。』



『はい、お母様』



『あの男は何なの。あんなぺちゃくちゃ喋る男が本当に彼氏だって言うの?』






大きな家に、落ち着きながらもどこか憤りが滲む声が響く。







『お気に召しませんでしたか』


『お気に召すも何もあなたが結婚する相手は決まっているのよ。』


『彼と付き合い続けることは許さないわ。今回はただ、蓮加に人を選ぶ能力はあるのかを測っただけよ』


『どういうこと…?』





『だから、彼とは別れなさい』





『なんでっっ‼︎』





『嫌なら出て行きなさい。』





『…じゃあ…出て行ってあげるっ‼︎‼︎‼︎』







扉が閉まる音が彼女の駆け足を追うようにして夜の空に響いた。









                 ───────to be continued

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