佇む彼女は遠い存在でした⑤
暖かい日差しが目の前を照らす。
何だろう、体が温かい。
ぬくぬくとしていて暑くもなくて寒くもない、ぬるま湯に浸かっているような気分だ。
目を瞑っているはずだが視界は白く、どこかふわふわしている。
ゆっくりと目を開ける。
…ここはどこだ。
俺は、高校2年生のあの日蓮加と一緒に電車に乗っていて……それで……何だっけ。
むくりと起き上がる。しかし周りには誰もいない。ただ、柔らかい布団が擦れる音だけが響く。
辺りを見渡すと、すぐそばにあるその特徴的なカーテンとベッドの横に併設されたテレビ…
「ここは病院か」
と、すぐに分かった。
でも何で俺は病院にいるんだろう。
何だか髪がうざったらしいな。やけに長い。この間切ったばっかりじゃなかったっけ。
ちょっと外の様子を見に行きたいな。
と思って立ちあがろうとしたが、どうにも立ち上がれそうにない。俺の腕や鼻先についているチューブのせいもあるが
それ以前に足が全く動かないのだ。
「え、ちょ、何で…」
しかも腕にも力が入らない。指や腕は動くのに。
しかも俺、肌色…白くね…?
俺がベッドの上で1人でに暴れていると、どこからか足音が聞こえてきた。なんだろう、軽々しくて、スニーカーみたいな、そんな足音。看護師ではなさそうだ。
『体拭くよ』
カーテンの外で寂しげにそう聞こえた。そして俺の空間を仕切っているカーテンが“シャッ”っと開けられる。
「あの、一体これって何なんですか………って」
「か、賀喜……?」
開けられたカーテンの先には固まる賀喜の姿があった。
賀喜は俺を目にして何も発さない。
あ…そっか…俺…賀喜に告白されたばっかりだっけ。あぁ、で、俺はそれにまともな回答ができずそれっきりだったはずだ。
『…………』
きっと賀喜は返事をなぁなぁにしたままの俺に腹が立っているのだろう。
今なら、言えるチャンスだ。俺は蓮加のことが好きなんだって。
「あのさ賀喜、俺賀喜には言わなきゃいけないことが───────」
『…○○…………‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』
賀喜は俺の名前を叫ぶと同時に俺に抱きついた。
賀喜のあまりにも必死すぎるその表情に
俺は状況を把握することが、できなかった。
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賀喜は俺から離れるとすぐにナースコールを呼んだ。
すると、病室の外から1人の看護師と1人の医者と思われる人物が走ってやってきた。
そして俺を見るなり息を呑む。
“まさか…目を覚ましたのか…?”
「え?」
その医師たちの驚きように俺が驚きを隠せない。
するとその医者たちの声を聞いたのだろうか、病室の外からさらにさらにと医者や看護師がゾロゾロと入室してきた。
そして皆が皆、俺を見つめている。
「橋本○○さん、あなたは今何歳か、そして西暦何年かを答えられますか?」
担当医師らしき人物が俺にそう投げかける。
「…え…?」
「答えてください。正直に」
「…え、今は17歳で西暦2023だったかな」
その俺の回答に、周りの医療関係者たちは険しい表情をした。中にはそりゃそうか…と呟く者もいる。
「落ち着いて聞いてください」
「今は2026年、あなたは今年20歳になります」
「え?」
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「あなたは△△線無差別殺傷事件によってこの3年間、昏睡状態でした」
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医者からの報告を聞いて、俺は何の夢を見ているのだろう、と何度も自答した。
しかし、何度頬をつねっても目の前の状況は一切変わることがなかった。
…は…?あの日から3年?
確かに俺はあの日蓮加と2人で電車に乗っていて…
………え?蓮加は?
「あの‼︎‼︎蓮加は‼︎⁇蓮加は無事なんですかっ⁇蓮加は…蓮加は…‼︎」
医者は俯いた。
もれなく看護師も。
そして賀喜も。
まさか……
「残念ながら………」
「事件によって、亡くなっています」
そこからの記憶は
ベッドで暴れ、蓮加、と連呼し続けた自分の姿しかなかった。
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窓の外を見ると、3年前と変わりのないような青空が広がっていた。
白い雲が風に乗って動いていく。
緑の生い茂った木々を見るに、夏なんだなって分かった。
落ち着いて、涙が出尽くした俺の体は力尽きたようでベッドの上でぼうっとしていた。
横には、賀喜が座っている。
「なぁ賀喜」
『…ん…?』
「質問してもいい?」
『うん、いいよ』
「俺って、告白の返事…してた?」
賀喜は俯いて、微笑んだ。
『あぁ…笑あれね。してないよ』
「ごめん、あの日は。気の利いたこと、言えなかった」
『眠ってても罪悪感は残ってるんだね』
「あの日が最新の記憶だから。俺にとっては昨日なんだ」
『そっか、でももう気にしないでいいよ。3年経ってるんだから』
「そうか…3年…か…。え、てか何で賀喜は俺の元にいるの…?」
『……』
「20歳…ってことはもう大学生とか?」
『うん、大学行ってるよ』
「じゃあ尚更なんで……」
『もう、何度も言わせないでって』
「どういうことだよ」
『好きだからだよ。ずっと』
………
話によると、蓮加は俺が刺された後に逃げようとしたところを背後から刺されたようだ。
背中を何箇所か刺され、そのうちの一箇所が致命傷となって事件3日後に息を引き取ったとのこと。
「賀喜はこの3年間、俺のことをずっと好きでいてくれたのか?」
賀喜は黙った。
そうだよな、いくら好きだからといって昏睡状態の俺のことばかり考えているわけない。
あれだけモテた賀喜のことだから、ちゃんと彼氏とか作ってるのかな。
「…ごめ、偉そうなこと言っ…………」
『3年じゃない』
「え?」
『何十年も前から、好きだった』
『だから、今もそばにいるんでしょ』
その一途な姿に思わず心が動かされる。
賀喜は、俺への気持ちに正面から向き合い続けていたのか?この、3年間もずっと?
涙がポツリポツリと溢れ出てきた。
「…そっか…っありがとう…」
『泣かないでよバカ笑』
賀喜は俺の肩を軽く叩く。
あぁ…これも何だか久しぶりだなぁ…。
『あ、お母さんたち着いたみたい。じゃあ私行くね』
「え、あ、うん、もう行くの」
『また来るから。心配しないで笑』
「し、心配なんかしてないし‼︎」
『ふふ笑じゃあまたね』
そう言ってカーテンを開けると同時に病室の外から母が入室する姿が見えた。
『あっ、遥香ちゃん‼︎いつもありがとうね』
『いえいえ』
いつも……?もしかして、賀喜はこの3年間俺のことをお世話してくれていたのか?体を拭いたり…?
不思議だ。何だろう、この形容し難いこの気持ち。俺の記憶ではつい最近まで蓮加のことが好きだった。
でも突然に蓮加の死をつきつけられて。
俺の頭はやっぱりぐちゃぐちゃになってるのかな。
結局、この気持ちの正体を突き止めることはできなかった。
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俺が奇跡の復活を果たしてから約1ヶ月経った。
圭介にも会った。あの!あのデブの圭介が!
大学デビューに失敗してさらにデブになっていたのには笑った。
クラスの同級生も見舞いに来てくれた。みんなあの頃とは変わっていて髪を染めていたり背が伸びていたりと身なりが変わっていて随分と別人に見えた。
変わってないのは俺だけだったんだ…と実感させられる。
そして、過ごしていくうちにさらに事件の詳細を図らずとも知ることになっていく。
犯人である男の犯行動機は勤務する会社での扱いに対するストレスからくるものだった。
そんなことで殺人を犯すなんて馬鹿げてる、とは思ったが、蓮加を失ってしまった以上怒る気にもならなかった。
結局、犯人は蓮加が刺されてすぐに取り押さえられ被害者は3名、最初に刺された男性1人と、蓮加は死亡。そして俺が重症というわけだ。
事件の概要を知ったところで蓮加は戻ってこない。
だから俺は事件の詳細を知ることをやめた。もう、どうでもよかった。
この1ヶ月のうちに蓮加の親もお見舞いにやってきてくれた。
蓮加を失った時は俺に対しても憤りを感じたそうだが、蓮加を守っていた、という証言によって感謝していた部分もあったとのこと。
あのパーティーで見た時よりも痩せこけたお父様とお母様の表情は今も脳内にこびりついている。
きっと事件後相当な精神の苦労があったことだろう。
───────
「賀喜、まだいてくれるのか」
午後13時46分
賀喜は今、俺の病室の花瓶の花の水を変えてくれている。
『いつもこんな感じだったよ。毎日大学終わりとか、授業の空きコマに病院に通って○○の体を拭いたりしてた』
「ありがとう、記憶ないけど」
『いいんだよ、起きてくれただけで私は嬉しいから』
「なんか…賀喜、自分の気持ちに素直になったな。逆に違和感だわ」
『元々素直だし笑』
「いや、昔はもっと反抗的だったよ」
『…そうだったかなぁ…忘れちゃった笑』
賀喜の姿を見てもやっぱり時の経過を感じる。
こんなに大人っぽかったっけ。
この3年間のうちに、彼女は彼女で色々あったんだろうな。俺が失った3年間の重みを痛感する。
『まだ歩けないの?』
「うん、片足が麻痺してる。これでもラッキーな方らしいよ」
『じゃあ…いつかは歩けるんだね、よかった』
「まぁいずれはね」
『歩けるようになったら』
『一緒に色んなところ、行こうよ』
よかった。
変わってない。
あの天真爛漫で無邪気で、世界の悪い部分なんか何にも知らない、とでもいうような満面の笑み。
カラオケの日見た笑顔と一つも変わってない。
「うん、色んなとこ連れて行って」
『任せて』
そうやって俺は少しずつだけど
3年後の世界に慣れていく。
ただ一つ慣れないことと言えば
────蓮加がこの世にいないことだった。
*
『えっ、彼、目を覚ましたの?』
『うん、起きてからもう2ヶ月くらい経ったよ』
大学の食堂で、同じ学部の友達である柚菜が目を丸くして私を見ている。
『やっぱり届くもんなんだね〜、幼馴染の何十年にも渡る愛情って♡』
『は?馬鹿にしてる?』
『してないしてない、そんな怒んないで笑』
彼女には、私には好きな男の人がいるけどある事件に遭ってから目を覚ましていないということを伝えていた。
そして、私が毎日病院まで会いに行っていることを知っている。
『…起きて2ヶ月経ったってことは…もうそろそろ彼、遥香のこと好きになってくれた?自分が寝てる間ずっとお世話してくれてたなんて知ったら好きになる以外ある?』
『…どーかな…。分かんない。』
無理矢理、頬を上げて誤魔化すように食堂のカレーを掻き込ませた。
多分、○○は今も私のことを好きになんてなってない。
○○の頭の中は蓮加ちゃんでいっぱい。
しかも高校時代とはその種類が違う。
今は、私が口出しできるような時期じゃない。
でも、
『…ねぇ、遥香はさ、それでいいの…?学生時代の青春をさ全部、ぜんっぶ昏睡状態の彼に捧げてるわけじゃん』
『……』
『それでもって、彼から死んだあの子が忘れられないってずっと言われ続けるの、私だったら耐えられないし遥香がもし言われたとしたら見てられない』
『……』
『彼がその…亡くなった子のことが好きなんなら、もうそろそろ彼を追うの、やめてみたら…』
『─────私』
『絶対に○○を、諦めたりしないから』
いつかは、私のことを好きになってくれるって信じてるから。
いつかは、必ず。私の想いがあいつに届く日が来るって。
『…まぁ、遥香がそれでいいんならいいんだけど?』
柚菜は呆れるようにそう言うと同時に、カレーを食べ終わったみたいで席を立った。
私も、追うようにして食器を片付けるとそのまま病院に向かった。
──────────────────
『やっほー○○。元気?』
ベッドに佇む、○○。
○○は私の方を一瞥するとそのまま口角を上げて笑った。
「今日も元気そうだなお前は」
その顔を見ると、私はどうしようもなく嬉しくなる。この笑顔のために、私は病院に通い続けているのだ。
『私から元気を取ったら何になるの。はい、これジュースね』
「元気を取ったら…馬鹿が残るな。サンキュ」
『私のことなんだと思ってんの笑』
こんな会話が楽しくて楽しくて仕方がなかった。小さい頃からずっと、こんな他愛もない話が。
私と話している時の○○も、とても楽しそうだ。高校時代と同じように笑ってるし、キラキラしてる。
『あ、私の分買うの忘れてた。買いに行こっと。○○なんか欲しいものある?』
「あ〜いや、ない。早く帰ってこいよ」
『うん、じゃあ行ってくる』
私は立ち上がって、病室の外に出た。
私はこうやって○○の元を離れる瞬間、私は病室の扉から○○の姿を眺めてみる。
「……」
○○は私がいなくなった途端、いつも頬杖をついて窓の外を眺め始める。何もせずに、ただ、ぼんやりと。
『……』
そんな姿を見て、この時、私は実感するんだ。
─────────────────
───────────
───○○の頭の中に私はいないんだって
蘇る、今日の柚菜の言葉。
“…ねぇ、遥香はさ、それでいいの…?”
……
…いいわけないじゃん。
でも、どうしようもない。
私は、唇をぐっと噛み締めて涙を堪えると同時にそんな現実から逃げるようにして病室を後にした。
───────────────────
*
『やっほー○○。元気?』
賀喜が、やってきた。
慌てて、脳を切り替える。
蓮加のことを忘れるように。
「今日も元気そうだなお前は」
思いっきり、笑顔を作る。
決して、賀喜と会うのが億劫なわけじゃない。もはや賀喜と話す時間は何よりも楽しい。
でも、
今はそれよりも、蓮加で…蓮加のことで頭がいっぱいいっぱいだった。
蓮加が亡くなっていた事実
最後まで守りきれなかった悔しさ
犯人への憎しみ
全ての色がぐちゃぐちゃに混ざり合った絵の具が頭の中のキャンバスに無秩序に塗り広げられているよう。
そんな状態で、賀喜と何気なく会話するのはとてもじゃないが難しいのだ。
それに
賀喜は俺を何年にもわたって好いてくれている人。支えてくれた人。
そんな賀喜に“蓮加のことで頭パンクしそうなんだ”なんて突き放すような態度を取ることもできない。
────何より
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『やっと2人きりになれて、漫画の話でいつもみたいに盛り上がれるかと思ったら、蓮加ちゃん、蓮加ちゃん…蓮加ちゃんのことばっかり…。』
『私のことなんかこれっぽっちも意識してないって突き付けられてるみたいだった』
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あんな告白をしてくれた賀喜を、これ以上悲しませるのは許されないことだ。
そう、自分に戒める。
彼女が見舞いに持ってきてくれたジュースを手に取って、蓋を開けると同時に
『あ、私の分買うの忘れてた。買いに行こっと。○○なんか欲しいものある?』
と彼女は売店へと病室を後にした。
あぁ…
1人になれた。
見せかけの仮面から解放される。
俺はその瞬間に、脳のスイッチをオフにして
ぼうっと外を眺めた。
外には新緑も終わりかけの秋が始まる草木たちがそよそよと風に揺れていた。
「……」
蓮加…俺は蓮加に会いたいよ。今、突然病室に見舞いに来てくれたらどんなに嬉しいことか…。
俺に最期の顔も見せずに、1人で逝きやがって。
逝くなら俺も連れてけよ…
あの生意気な声、
生意気な性格、
なのに、甘えたがりなところ
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『わっ‼︎‼︎‼︎驚いた?笑』
『そんな見つめないでよ、いくら私のこと好きだからって笑』
『ねぇ…似合って…る…?』
『いつか…私のこと、こんな家から攫ってね。それでどこか遠くでずっと一緒に過ごそ?』
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…あぁ…やっぱりダメだ。受け入れられない。どう頑張っても、どう足掻いても、蓮加の記憶が俺を沼へと引き摺り込む。
…賀喜、ごめん。
やっぱり、俺、蓮加のこと忘れられそうにない。
そして、いつまでも
賀喜の人生を滅茶苦茶にするわけにもいかない。
賀喜は俺に尽くす人生じゃなくて、自分のために、自分の好きなことに全力を注いでほしい。
彼女が今することは俺の看病じゃない。
でもきっと賀喜は、どれだけ俺が蓮加を想っているとアピールしても
どれだけ丁寧に彼女の優しさを拒んだとしても、
俺を拒絶することはないだろう。
だから、俺が…俺が、賀喜に強く、強く言うしかないんだ。
─────俺を、忘れろ
と。
“ガラガラ”
『ただいま。…また物思いにふけてたの?はい、これ。スイーツ買ってきたし一緒に食べよ?』
賀喜が帰ってきた。
また、仮面を被る。
「サンキュ、気が利くな賀喜は笑」
言わなきゃ。
言わなきゃ。賀喜に。もうこないでいい。俺に会わないでいい。俺は賀喜の想いに応えることはできないって。
なのに、
なのに…
あんなに強く、賀喜を拒まなきゃと思っているのに…
こんな笑顔を目の前にしたら
結局、何も言えなくなるんだ。
俺はどこまでも、情けない男だ。
結局俺は、賀喜に本音を伝えることができないままズルズルと仮面を被り続ける生活を続けた。
いつかは蓮加が頭からいなくなる、そう信じたが
蓮加への想いはその熱量も何一つ変わっていかない。
そして、気がつけば冬を迎えて
春を超え
夏を通り越して
また、秋。
何も変わらない関係性のまま、俺が目覚めてから
『23歳の誕生日おめでとう、○○』
3年の月日が、経とうとしていた。
───────to be continued
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