パリのぞっとする話
夏の風物詩と言えば怖い話である。まだまだ残暑が厳しい折、昔パリで経験した恐怖体験について書いてみよう。
一九八九年、つまりフランス革命二百周年の年である。日本のあるホラー漫画雑誌の依頼で、グラビアページの特集記事の取材を引き受けたことがあった。その企画は「パリのミステリーゾーン」といった内容で、要するにパリのいわくありげな場所を取材し、写真と記事を送って欲しいという依頼だった。
お隣のイギリスとは違って、フランスは幽霊に関しては冷淡である。誰も幽霊だの心霊現象だのに興味を持っていないのだ。たとえばイギリスだと、幽霊の出る史跡ツアーのようなものがあるが、フランスでは見たことがない。ロンドンの書店に置いてあるような、「幽霊名所ガイドブック」の類いがあるわけでもない。一般的なフランス人は幽霊の話もしないし、信じてもいないのだ。幽霊の話などしようものなら、頭のおかしい人だと思われるらしい。「我々はカルテジアンだから」つまりデカルト主義者で合理的だから、というのが理由である。インターネットもない当時、パリのミステリアスな場所を探すのは意外と大変だった。
別に幽霊の出る場所とは指定されていなかったので、歴史的にいわくつきの場所を取材することにした。
取材に行ったのは、カルチェ・ラタンにある「カヴォー・デ・ズブリエット」というシャンソニエ、つまりシャンソン酒場である。店名は「地下牢の酒場」という意味で、その名の通りフランス革命まで使われていた、「シャトレ牢獄」の一部をそのまま店舗に利用している。
この店は、観光名所として日本人の間でも有名で、店先に大相撲の有名力士が訪れたときの写真が飾ってあった。伝統的なシャンソンのライブの他に、帰りがけに昔の地下牢と、拷問道具のコレクションを見学できるのが、大きな呼び物になっている。
言われを知って、何となく薄気味悪かったのと、夜遅くしか開いていないこともあって、日本人の友人を誘っていった。
血の色を思わせる真っ赤な扉を開け、石造りの地下に降りていくと、賑やかな歌と演奏が聞こえた。地下室独特の湿ったような臭いと、胸が潰れるような閉塞感がある。見学前に飲み物を注文し、シャンソンを聞かねばならない。そのときはシャンソンは二の次で、早く取材を終えて帰りたい気持ちになっていた。勘定をすませると、いよいよ地下牢の見学である。
店のガイドのお兄さんに導かれ、さらに地下への狭い階段を降りていった。そこには水牢と呼ばれる狭い独房があり、少し離れた場所に井戸が掘られている。昔は井戸とセーヌ川が繋がっていて、春になるとセーヌの水位があがり、水が独房に流れ込んでくるのだそうだ。恐ろしい水責めの牢獄である。よく見ると水に浸かっていた部分だけ、壁の色が黒く変色している。囚人は溺死する前に、恐らくは寒さと飢えから衰弱死したのだろう。今は塞がれているが、このような水牢がここから一キロにも渡ってずらりと並んでいたそうである。
その他にも色々なまがまがしい物を見せてくれた。拷問用具の展示室には、ペンチのような細かい拷問道具の他に、革命期に使用されたという本物のギロチンまであった。ガイドの説明によると、ヴァンデ地方で使われたものだという。
私はこういうたぐいの物には本当に弱い。犠牲者のことを色々とリアルに想像してしまうのだ。ところがガイドのお兄さんは、「よかったら、ギロチンに横になってみますか? 刃は固定されているから、安全ですよ」
などと勧めてくる。私も友人も丁重にお断りした。
「では、代わりに私がやってみますから、写真を撮ってくださいね」
あれよあれよという間に、お兄さんは断頭台に腹ばいになり、ギロチンの刃の下にある首かせの中に頭を入れて見せた。
――怖い……。たとえ刃が固定されているとしても怖すぎる。実際に使用され、多くの犠牲者の血を吸ったギロチンに首を入れるなんて、悪趣味過ぎる。そして、何かの弾みで固定された刃が落ちてきたりしたら……。
早く終わらせたい一心で、断頭台に頭を入れたお兄さんをカメラに収めた。
身体を張ってくれたガイドにチップをはずんで、外に出ると夜のカルチェ・ラタンの賑わいが別世界のようであった。どうも胸苦しさが取れないので、気分転換に友人たちと近くのカフェに入った。そこで私はこの雑誌の仕事を紹介してくれた日本の友人の話を思い出し、同行者に話したのである。
その友人は漫画家で、同じ雑誌に実話を元にした怖い話を描いたところであった。それは、溺死した男の子の幽霊が出るという内容で、描いている間に、それまで何ともなかったトイレが壊れ、外に水があふれ出すという出来事が二度も続いて起きたのだそうだ。
「そういえば今回の取材も水に関係があるよね」
「家に帰ったらお手洗いが壊れていたりしてね」
などと言って笑いあったが、私は内心、「冗談じゃない」と思っていた。
もう夜中を過ぎていたので、タクシーを拾って家に帰ったのだが、アパルトマンの扉を開け、電気を付け、荷物と上着を置いてから手洗いの扉を開け、明かりのスイッチを入れた。私はそのまま動けなくなってしまった。トイレの床は水浸しだったのである。水牢の水が怨念によって時空を越え、うちのトイレから溢れ出したのだろうか。
私は震えながら、さきほどついてきてくれた友人の家に電話をした。
「水が出てる! さっき笑ってたけどうちのトイレからも水が出て、床がびしょぬれなのよ。怖くてたまらないから、お願いだからすぐ来て!」
受話器の向こうで私よりもっと怖がりの友人は絶句していた。
「いやだ! 怖いから絶対行かない!」
思い切り拒否された。こんな夜遅くにいきなり呼びつけられた友人にしてみればいい迷惑である。それでもあまりにも恐ろしかったので、タクシー代を払うからと無理を言って泊まりに来てもらった。その晩はそれ以上何かが起きるということはなかった。飼い猫が何も気にしていない様子でトイレのあたりをうろうろしていたのには、大分慰められた。
後日、水漏れの原因はタンクに入ったひびのせいだとわかった。水回りのトラブルはパリではよくあることで、冷静に考えると、セーヌ川の水牢の水が、何キロも離れたこのアパートまでやって来るはずもないのだが……。
いっそ幽霊を見た、というのなら気の迷いだとか、錯覚だと言えるかもしれない。だが実際に水が出る、という物理的な現象は、かなりくるものがある。幸いこれ以来いわゆる恐怖体験はしたことがない。
単なる偶然なのか、目に見えない何かの力が働いたのか、信じるも信じないもあなた次第である。
カヴォー・デ・ズブリエットとギロチンの現在
ここまでは、以前別のメディアに掲載した原稿を手直ししたものである。
今回noteに書くにあたり、そういえばあの「カヴォー・デ・ズブリエット」はどうなっているだろうと気になって、検索してみた。 すると現在はシャンソニエではなくジャズ・クラブになっていることがわかった。
https://www.parisjazzclub.net/fr/618/club/caveau-des-oubliettes
今も地下牢の見学などが行われているのかどうかはわからない。
さらに、ガイドが本物のギロチンと言っていたものは、実は19世紀のレプリカだということがわかった。
詳しいいきさつはよくわからないが、このジャズ・クラブが一度売却された折にこのギロチンがオークションにかけられ、フランスの企業家に8,008ユーロもの高額で落札されたという。
レプリカだったのには少しほっとしたが、悪趣味なのと怖い思いをしたのは事実である。
ここに実際の地下牢の一部やギロチンの画像が紹介されている。
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