3月11日

短いです。思い立ったのでちょっとだけ書きます。東北、太平洋側の県の内陸に当時(現在も)住んでいたのでその記憶をまとめます。


当時はまだ11歳だった。小学5年で5時間目の終わり、トイレから教室に戻る途中、廊下を歩いていたのを覚えている。6時間目が4月に行く修学旅行の班決めだったので気分が高揚していて、なんとなく周りのテンションも高い様子。

地震が起きた。

同級生や下級生の泣く声が聞こえる。廊下には小さなヒビがいくつも入った。教室に戻るように指示がされる。みんな机の下に頭を隠す。余震は止むことがない。少し泣いた気がするけど、当時通っていたスイミングスクールを今日は休むことになりそうだなと呑気に考えていたくらいであまり大ごとだと思っていなかったと記憶している。

しばらくすると下校するように指示があり、スクールバスに乗って家に帰った。幸い食器が数点割れたくらいであまり大きな被害はなかったが、電気は止まっていた。どうにか夕飯を食べてラジオを聴きながら布団に入るが、沿岸部の被害の全貌はわからない。余震は続く。11日は電気がつかなかった。

12日。新聞で津波の被害がわかる。苦しくなった。
余震は続くし電気はつかない。1番ストレスが溜まったのがこの日だったように思う。

13日。ストーブでお湯を沸かして身体を拭けた。気持ちよかった。この日の夕方、ようやく電気が復旧した。

私の中の記憶ではこの3日間が震災による生活の制限が強く感じられた時間だった。その後も1〜2ヶ月間はガソリンが近所のガソリンスタンドには少量しか入ってこないため、日本海側の県にわざわざガソリンを入れに行くなどの通常ではあまり起きないことが起きたなとは思うが、記憶が薄れてしまっている部分が多い。

もちろん、沿岸部や原発事故によって居住区を失った人と比べたら0に等しい被災状況ではあるし、声を大にして辛かったとは到底言えない。
ただ、忘れるべき経験では決してないし、ウザがられても知らない世代に伝えるべきことだと思う。
今すでに記憶から薄れているものは取り戻せないしそこまで大きなことではなかったかもしれないが、今の段階で記憶している当時の出来事はなるべく鮮明にしておいた方が良いよなというのが、最近noteを始めて長文での情報発信を行う術を手に入れたからこそ感じられたことである。
また書きます。では。

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