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映画エッセイvol.3

洗骨

あらすじ
洗骨。
今はほとんど見なくなったその風習だが、沖縄諸島の西に位置する粟国島などには残っているとされる。粟国島の西側に位置する「あの世」に風葬された死者は、肉がなくなり、骨だけになった頃に、縁深き者たちの手により骨をきれいに洗ってもらうことで、晴れて「この世」と別れを告げることになる。
沖縄の離島、粟国島・粟国村に住む新城家。長男の新城剛(筒井道隆)は、母・恵美子(筒井真理子)の“洗骨”のために、4 年ぶりに故郷・粟国島に戻ってきた。
実家には、剛の父・信綱(奥田瑛二)がひとりで住んでいる。生活は荒れており、恵美子の死をきっかけにやめたはずのお酒も隠れて飲んでいる始末。
そこへ、名古屋で美容師として活躍している長女・優子(水崎綾女)も帰って来るが、優子の様子に家族一同驚きを隠せない。様々な人生の苦労とそれぞれの思いを抱え、家族が一つになるはずの“洗骨”の儀式まであと数日、果たして 彼らは家族の絆を取り戻せるのだろうか?
この作品はガレッジセールのゴリが本名の照屋年之名義で監督・脚本を手がけた長編作品。
(注)以下結構ネタバレ。

バラバラの家族
物理的距離というのは心の距離も離してしまうのだろうかと感じましたね。お父さんはお母さんと永遠の別れでちょーへこんでるし、隠れて酒を飲んでいるというのも、泡盛【久米島の久米仙】(30度)をコップ一杯一気飲み。はい、アル中です。
感じたのは、沖縄の男性って女性に対する依存結構すごいなって感じてて、2月に農業研修で宮古島に訪れたときに農家のおじいの下で研修させてもらったんですが、そのおじいの嫁さんが病気を患ってらして、那覇に通院しているという状況で、おじいは明らかに元気がなくて、口を開けば、お母さんお母さんといっていて、これは好きとか云々ではなくて依存なのではないかと感じてしまいました。おばあがいるからおじいは生きていられるんだなと、女性のバイタリティによって支えられている男性という県民性を垣間見ることができました。
洗骨のために帰ってきた息子娘もそれぞれ問題を抱えてて、娘は名古屋の美容院で働いてて、そこの店長と一線交えてしまって、子供を授かってしまう。
「とてもやさしくて、私以外にも優しいから、他の人にとられてしまうんじゃないかと思い、安全日と嘘をついてわざと子供を作らせて自分のものにしたかった。」といってて、娘思い切りすぎやろ、そんなに思うほどの男てどんな人なんだと思っていたら、突然派手な柄のシャツを着た洒落た男性が、息を切らしながら家族の前に現れた。(おっ!こいつが噂の店長か!どんなやつや!)すらっとした足元から徐々にカメラロールが上がっていき、顔が映った。長髪のひげ面の汚い卑弥呼さま......いや!Q太郎やないかああぁぁあい!!!(新潟県出身)正直がっかりしたなあ...あんまりいい意味では騙されなかったなあ。あんまり悪い意味で騙されたことないからこれはこれでなんか新鮮な心情だったけど(笑)。でもQ太郎さんの立場がある意味重要というか、鑑賞者の代弁者になっていたのが、易しいなと思いました。風習に対しての、よそ者の素朴な疑問を投げてくれて、そこで聞いてくれてなんかありがとう!ってなりました。
息子は東京で就職して結婚して子供もできていたが、洗骨で帰ってくる前に離婚していて、めちゃくちゃ感傷的になってたんよね。父ちゃんの借金も息子が返してあげて、それでいていつまでたっても情けない親父の姿を見てるとそりゃイライラするよねえ~。そんでもって洗骨という重要な行事に帰ってきたら妹のお腹がでかくなってて、なんかもうめちゃくちゃな感情になるよね。長男としての苦悩は共感できる...。
こんな心がバラバラの家族をまとめて引っ張っていくのが親戚の強烈おばさん(大島蓉子)。最高でした。芸人のQ太郎よりも面白かった(笑)。
なんだかんだお父さんきっかけで事件が起こったり、近所のおっちゃん含めたみんなで急に地引網で魚取りに行ったりして、だんだんと家族が1つになっていくと。

出産シーン
自分としては結構しんどいシーンでした。出産シーン。洗骨を終えかけて、最後の骨をしまうところで娘が破水。病院に連れていくにしても、間に合わない距離にいるので、骨の姿のお母さんの前で出産することに。子宮口が狭く、なかなか赤ちゃんが出てこず、このままではやばいてなり、強烈おばちゃんの指示で、子宮をきって子宮口を広げることに。結構しんどかったですね。俺も、その場にいるような臨場感というか感じて、赤ちゃんが産まれた時にはもうボロボロ泣いてましたね。出産シーンで母親を想い、自分もこんな感じで生まれてきたんかとか、これまでの20年が一気にフラッシュバックしてきて、なんかめちゃくちゃ泣けてきて、お母さん産んでくれてありがとうってなりました。心の底から。
命を繋いでくれた先祖への感謝。それを行為として示したのが洗骨であると思いました。そしてそれは子供、孫の世代にも受け継がれていくんだなと、ラストシーンから感じました。沖縄の家族や友人を大切にする県民性はこういった風習からきているのも大いにありますよね。

はい、それでは終わりです。
さよなら...さよなら...さよなら。

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