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映画エッセイvol.2

あの日のオルガン

あらすじ
第二次世界大戦が終局を迎えつつあった1944年。警報が鳴るたびに防空壕に避難していた品川の戸越保育所では、幼い園児たちの命を守るため保育士たちが保育所の疎開を検討していた。様々な意見を持つ親たちを説得してようやく受け入れ先が決まり、埼玉の荒れ寺で疎開生活が始まる。保育士たちは、多くの問題と向き合いながら子供たちと過ごしていたが...。

オルガンて最近あんまりみないよな
自分が保育園児、小学校の時には遊戯室や集会スペースに置いてありましたね確か。足元にあるペダルを動かしながら、加圧した空気を鍵盤で選択したパイプに送ることで発音する仕組みで、鍵盤には数十年触れていない僕にとっては縁もゆかりもその当時においてきてしまいました。
しかしながら、記憶の彼方に置いてきたからこそ、数十年ぶりにオルガンを見て、当時を思い出すツールにもなっていました。

戸越という地
戸越という地にはなんだかんだゆかりがありまして、僕のバイト先が戸越にあります。そこでは酒粕の専門店という珍しく新しい店舗のアルバイトをしています。その店舗がある宮前商店街には古くのお店もあれば、閉じてしまったお店をリノベーションして、私のバイト先のように新たなお店として出店するところも少なくありません。地域の農産物を使用したジェラート屋があったりとか、こだわりのサンドイッチ屋があったりとか、めちゃくちゃおしゃれなお店が多いです。戸越銀座という大きな商店街もあるので観光客も多く訪れる地域です。
そんな中で店番をしていると、子供連れの親子をよく見かけます。近くに戸越公園や文庫の森公園、小学校も商店街沿いにあったりと、子育てには環境のいい地域といえるのではないでしょうか。それはきっと今に始まったことではないような気がします。戸越保育所も教育の立場としての子育てに対する気持ち、日本の将来がかかる子供の安全を強く願ったからこそ疎開保育に踏みこむことができたのではないかと考えます。無理やりかな(笑)。エビデンスないもんな(笑)。

子供を地域で育てるということ
この映画の中でも、疎開保育をするにあたって、親御さんに対して説明会を行っていました。親が子と離れるさみしさ、戦時中だからこその安否の不安。そんな思いから反対する親も多かった中で、保母さんたちに対する信頼感、子供の将来を考えたうえでの判断で子供を預けることに賛同し、疎開保育に出した親もいました。初めは反対した人たちも、賛同側に移行し戸越保育所の子供たちは全員疎開保育に行ったといいます。保育所と親との間での信頼関係があったからこそのことだったと思います。
その信頼関係は現代にはほぼ皆無です。アパートの隣の住民もわからないような世の中で、コミュニティはなく、誰を信じていけばいいのかわからない。信用できるのはお金だけ。今だけ。自分だけ。そんな社会の中で保育士に対して本当に信頼して子供を預けることができるでしょうか。お金を出しているからという理由で保育士に対してストレスを晴らすかのようにすべての責任を押し付けているように感じます。
まずはコミュニティの整備というか、地域内でもっと関わり合いを増やしていくことが必要なのではないかと感じているのです。
だからこそこの作品は親が子育てに従事できない大人が増えてきている状況が顕著に表れてきている今だからこそ、観るべき作品なのではないかと。

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