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ヨハネの洗礼、キリストの洗礼 ②


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アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。 この人たちは、皆で十二人ほどであった。
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上の一節のように、ヨハネの洗礼ではなく、「イエスの名によって洗礼を受けた」人々と、まったく同じ洗礼を受けたこの私は、それゆえに聖霊と信仰とに満たされて、かく言うものである。

すなわち、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と答えて言った、ペトロやほかの使徒たちのように、

「この世のユダヤ教キリスト教による宗派教義神学の類には、いっさい従わない。聞き従うのは、今も昔も永遠に生きるイエス・キリストの声だけである」、と。


この言葉の現実的かつ物理的履行として、今日の今日まで、私は書いてきた。

たとえば『アダムとイエス』でも、『ギブオンの夢枕』でも、『アブラハムが生まれる前から、わたしはある』でも、私自身、右も左も分からなかった幼少の頃より、イエス・キリストの”声”を聞き分け、聞き従い、また聞き従おうとして来た日々について、書き表してきた。

だからして、「いやいや、どうしてこの俺も少期の頃から”声”を聞いた。それがゆえにこそ、この世のユダヤ教キリスト教の世界に生き、働き、貢献してきたのだ」という種類の人々に対しては、私にはもはや、何も言うことがない。

さっきも言ったように、”霊”やパウロも、最後には彼らを突き放したように、そんなバカの頂点を極めたバカに向かっては、この私もまた、もうとっくに見放しているからだ。

『喜びの神殿』でも、『あなたへ』でも、『聖なる神、熱情の神』でも、私はもっぱら、この私と同じようにキリストの洗礼を受けて、もはや「歴史の穢れ」でしかなくなったユダヤ教キリスト教なる世界からすっぱり足を洗い、身を清め、自らを聖別した「あなた」に向かってこそ語っている。

そうすることによって、あなたの神であり、わたしの神でもある――すなわち、わたしたちの神であるところのイエス・キリストと父なる神の憐れみによって、わたしたちがついに出会い、二人の者が一体となるという言葉のとおり、心一つとなれるようにと。

それゆえに、

そんなあなたに向かって、あるいはあなたの神にむかって言うべきことがあるとしたら、たとえば、私の詠んだ『楽しき荒野へ』という短詩以上に、申命記の頃のモーセの心情を巧みに詠んだ詩が、この世界のどこにあるのか。

遊び半分とまでは言わずとも、あの程度の、たかだか替え歌として歌った遊び心満載なものに如くような、当時のモーセのための、あるいはイスラエルの民のための、あるいはいま荒野を生きるすべての人間のための「真の約束の地」のどこにあるのかを雄弁に語った詩歌が、ひとつでもいいから他にあるのかと。

――もしもあなたが知っているのなら――私のまだ与り知らない「感動」をあなたが知っているのなら――この場を借りて、ぜひにと乞うものである。


同様に、

『わたしは主である』という文章についてはどうだ。

私は同じ文章によって、出エジプト記や申命記はおろか、聖書全体をくまなく探し回ったってただのひと言でさえ見出すことのできないような、「モーセの最晩年の日々」について、精確に、鮮明に、克明に、またそして誰よりも美しく、雄々しく、力強い文章をもって書き表したのである。

ヨシュアらと共に、ヨルダンの向こう側へ渡ることを許されなかった老兵モーセが、主なる神に促されて登った「ネボ山の頂」において、いったい誰に出会い、何を思い、何に感じ入って、どんな祈りを捧げたその末に、誰によって、どこに葬られたのか――この私はそのすべてを、まるでまるでこの目で見て来たかのように書き綴った。

それがなぜかと問われたならば、私という人間が生まれながらに類まれな想像力と洞察力とに恵まれた芸術家であるからでもなく、あるいはたんに誇大妄想癖のある半狂人にすぎないからでもない、

ただひとえに、私自身のたったひとつの身体と人生とをもって、文句なしの神の憐れみの山であるところの「イエス・キリストの山」に登り、その頂にたたずんで、イエスの微笑と父なる神の笑顔とを、この目(心の目)をもって見つめたという、その実体験を書き記したからである。

それゆえに、私なんかの文章以上の文章もって、私なんかの信仰以上の信仰をもって、私なんかの語ったものよりもはるかにはるかに神の霊感に感じ入った佳美しき神の言葉によって、私の『わたしは主である』をあますところなく論破し、沈黙させてくださるというのならば、私はいつでも諸手を挙げて歓迎したい。

というのも、「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と、イエスをさえ驚かしめた異邦人の百人隊長の持っていたような「いまの自分以上の信仰」をこそ、私は常に探し求め、尋ね求めているのだから。

――もしも、「あなた」においてそれを持っているのならば、どうかどうか、ぜひにと乞うものである。

また同様に、

『ソドムとゴモラ』という文章はどうだ。

私はそれを書くことによって、かつて私の生まれ故郷を毀壊し、すべてを奪い去ってしまった神など、ほんとうにこの手にかけて殺してしまいたいと心に憎み、恨み、呪いに呪い……そのようにしして、いかに憎んでも憎み足りなかったその瞬間においても、私はわたしの神に向かって絶えず祈り、訴え、論じ合うことを忘れなかった。

だから私は、その時、聖霊と信仰に満たされてはっきりとしたためた――すなわち、ソドムとゴモラの破滅にまみえて、ただただ恐れにばかり憑りつかれたアブラハムは、ソドム地方から背を向けて逃げゆくような、薄情かつ不信仰な行いしか示せなかったけれども、この私は、永遠に生きるイエス・キリストの霊に導かれて、我が人生におけるソドムとゴモラの焼野原を訪って、塗炭の苦しみという瓦礫をばかき分けた――

そのような私の、真に愛情深い行いと、身命を賭した信仰の方をこそ、イエス・キリストも、イエス・キリストの父なる神も、アブラハムのイサクを捧げた信仰と行いなんかよりも、はるかにはるかに喜んだのである、と。

すなわち、アブラハムは自分の甥たるロトが、ソドム地方に移り住んでいたことを知っていた――だから破滅の日の前日に神に食い下がってまでして、ロトが破滅を免れるようにと交渉を試みた――しかし、ついにその地に破滅が訪れたことを知ったとたんに、背を向けて立ち去っていった――あるいはロトがまだ生きているかもしれぬと確認しようともせず、あるいは、もしも死んでしまったのならば、墓のひとつでも作ってやろうとさえしないままに――

私はそんな「薄情にして冷酷な信仰の父」なんかとは、母の胎にいた頃から違っている――ほかならぬ「愛」において違っている――それゆえに、まるでその父が約束の子を神に捧げたように、私は私の手をもってかき分け、掘り出し、拾い集めた、私の愛する者たちの記憶の欠片をば、まるでまるで投げつけるようにして、わたしの神に捧げたのだった。

そして、そういう私の頬をとめどなく伝った血涙にこそ、イエス・キリストの指先は触れ、父なる神の憐れみの柔手は拭ってくれたのだった。

だから、私の書いた『ソドムとゴモラ』とは、ほかならぬ私の人生において私自身が経験し、身を引き裂かれながらも見つめつづけた、れっきとした「幻」である。

そんなたかが「幻」の書き留めにすぎずとも、イサクを捧げたアブラハムの信仰と行いにけっして劣らず、むしろそれよりもずっと神に喜ばれるような「捧げ物」だったのである。

――それゆえに、「あなた」にあっても、もしも捧げたことがあるのならば、いったい何を、どのように捧げたのか、文章の巧拙を問わず、ぜひとも教えてほしい。


私はいったい、何を言わんとしているのだろうか。

すでにもうこれだけの、まるでパウロのように長たらしい話をすることによって、私はいったい何を伝えようとしているのだろうか。

とりもなおさず、キリストの洗礼とは、「真実の感動」であるということだ。

もう一度言うが、聖霊の洗礼とは、感動の洗礼であるということだ。

私は子供の頃から、いつもいつでも、その感動をこそ、追い求めて来た。

さかしらな、小賢しい、それらしいばかりの教義神学や、優等生的な聖書のご解説なんかではなく、たとえそれが一銭の益をも私の上にもたらすことのないようなものであっても、自分の心を激しくうち震わせたり、あるいはしみじみと感じ入らせたりするような、真実の独り子たる感動をこそ追い求め、探し求めて来た。

もしもあなたの内に住む「言葉」が、私にとってそのような感動をもたらしむるものならば――きっとそうであると私は確信している――ぜひともぜひにとも、この私に向かって、大胆に語ってほしいのである。

そのようにして、

お前は腹を膨らませただけの自大な蛙にすぎないとでも、お釈迦様の手の内を飛び回っていただけの猿の妖怪にすぎないとでも言って、笑い飛ばしてほしい。

その時には私もきっと、まことに清々しい心をもって、あなたとともに大いに笑い、快活に笑い、腹の底から笑いあげるであろうから。

またその時には、私の足は牛舎の仔牛のように躍り出し、唇はぶどうのように熟れて、真夜中ごろ、牢獄にあってパウロとシラスが歌い、ほかの囚人たちが聞き入った讃美歌のような、新しい歌をあなたとともに歌い上げるだろうから。


それゆえに、

私はここで聖霊に満たされて、まるでその場に居合わせて、当時の様子をこの目で見て来たかのように、語るものである。

ペトロにせよステファノにせよパウロにせよアポロにせよ、誰にせよ、神の言葉を力強く語った者たちとは皆、その心を真実の感動に満たされていた。

さながら私が『わたしは主である』や、『ソドムとゴモラ』を書いた時のように、自分の人生の上を訪ったあらゆる痛みや苦しみを通して、彼らはその身をもってイエス・キリストと出会い、キリスト・イエスを通して父なる神の憐れみの顔を見つめて、心の底から感動した――

そんな燃えるような心をもって語ったからこそ、彼らがたとえ無知無学無教育無教養な者であろうとも、過去において無垢の人間を殺めてしまったような大罪を犯した者であろうとも、大胆に、恐れずに、力強く、「イエスがキリストであること」を語ることができたのである。

また、そのような「炎」が、自分の上にも、自分の心の中にももたらされたからこそ、エチオピアの宦官であれ、イタリア隊の百人隊長であれ、ティアティラ出身の婦人であれ、誰であれ、イエス・キリストの物語に感動して、同じその名前によって洗礼を受けたのである。

それゆえに、

はっきりとはっきりと言っておく、

神の御心とは、いつの時代においても、いついかなる時にあっても、そのような喜びと賛美に満たされた心と唇によって、父なる神を誉めたたえ、イエス・キリストの名を歌いあげることにあるのである、と。



つづく・・・



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