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神の力の源

ホセア書に、こんな言葉がある。


『わたしは激しく心を動かされ

憐れみに胸を焼かれる。』


これこそ、神の本質であり、神の力の源である。


―― 憐れみと慈しみ ――


これこそ、奥義であり、キリストであり、神の名であり、神その方である。

これこそ、イエスが与えると約束した聖霊であり、イエスという生ける水であり、そしてまた、内から生きた水が川となって流れ出る、ということである。


ホセア書の11章は、とても面白い。

お前(人間)なんか、絶対に許さねーからな!

という怒りに燃えるような言葉が吐かれた直後に、

突然、

ああ、お前(人間)を見捨てることができようか!

わたし(神)は激しく心を動かされ、胸は焼かれる!

わたしは、もはや怒りに燃えることなく

(人間を)ふたたび滅ぼすことはしない!

という、何とも言えない、

熱烈な愛の告白ような、

掻き抱きたい衝動のような、

横溢した涙のような、

――そんな情感を爆発させている。



もう一度言うが、

これこそ、神の本質であり、神の力の源である。

絶対に許さない! という怒りの直後にほとばしり出てしまった、


―― 憐れみと慈しみ ―― 


これこそ、奥義であり、キリストであり、神の名であり、神その方である。


信じる力は、

創作をする力は、

生きる力は、

本当に生きる力は、

死んでも復活する力は、

永遠に生きる力は、


『わたしは激しく心を動かされ

憐れみに胸を焼かれる。』

という「ひと言」に詰まっている。


はらわたが捩れ激しく痛むほどの、

はらわたから湧きいで、もはや止めどないような、


―― 憐れみと慈しみ ――


こそ、「全財産を売り払って買う畑に隠された宝」であり、「鳥が宿る大樹にまで成長するからし種」であり、

こそ、始めからある言であり、神と共にある言であり、神である言であり、


…もはや何も言うまい。こんなところには書ききれない。

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