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キリストの子 ②


――
曙のように姿を現すおとめは誰か。
満月のように美しく、太陽のように輝き
旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
――


私は右も左も分からなかった幼少の頃より、信仰によって、次のひとつ事について知っていた。

すなわち、生まれてまだ日も浅く、世における知識も経験もなく、人の悪も己の罪も知らなかったような若き頃から、永遠に生きるイエス・キリストによって知られていた私は、以下のことを信仰によって告げ知らされていたのである。

イエス・キリストを知ることとは、「キリスト・イエスと霊的にまぐわう」ことにほかならずして、

キリスト・イエスから知られるということとは、「イエス・キリストの子を胎に宿し、その子を産む」ことである――と。


その昔、私はこの事についてとある人に話したことがあった。その人とは、この世のキリスト教とかいう世界に属し、名誉牧師などいう呼び名をもって知られていた、生粋の「偽預言者」であった。

この世のユダヤ教キリスト教と、それらの内に今日も棲息を続ける偽りのユダヤ人および偽預言者の類とは、「荒れ野でぶどうを見いだすように見いだされた」頃のイスラエル民族でもなければ、約二千年以前の黎明期における諸教会のようでもなく、むしろそれらいずれの面影のへんりんをさえ留めえない「堕落したソロモン老」にほかならずして、

あまつさえ、「そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった」というバビロンの預言のとおりに成り下がり、

それがゆえに、いつもいつでもバビロンとともにあり、バビロンそものものでもあるところの彼らからは、「全身全霊において離れ去れ」という神の預言はすでになされており――

というような話は、これまでにももうさんざっぱらやって来たので、ここでは割愛しておきたい。

が、かつて私が言葉を交わしたことのある、その名誉牧師たるクソジジイ様においても、例によって例のごとく、神学校で何を学び、諸教会でいかな礼拝を重ね、己が人生でどんな神を知り、なんという名をした神から知られて来たのか知らないが、しょせんは生粋の、生来の、生まれながらの偽預言者であったがそのために、その時うら若き少年の口にした言葉などまったくもって理解できず、いささかも共感共鳴することもままならなかった。

だから彼は、「イエスとの霊的なまぐわい」だの「キリストの子を胎に宿す」だのいう私の言葉を耳にした時、怪訝な顔をもって鼻先で冷笑し、「信仰に入ったばかりの人は面白いことを言いますね」などとお茶を濁したばかりであったのである。


で、こんなバッタモンの信仰者のことなどこの世の終わりまでどうだっていい話なのであるが、彼のような偽教師とは、どんなに聖書を読みこんで、どんなに教会で礼拝して、どんなにバプテスマを人々に施して、どんなになにをどうしてといった活動をば積み重ねてみたところが、その首の上にいただけるものとは「名誉牧師」とかいう称号ただそれだけであり、かつ、そんな「名誉」が純然たる「人」からの贈り物にすぎずして、けっしてけっして「神」からのそれではないという単純明快な真実にさえ、死ぬまで気がつくことのないという、さながらダチョウ並みの鈍感と無分別と低知能ぶりなのである。

それゆえに、

”霊”によってはっきりと言っておくものだが、

私がかつて苦悩の荒野においてした事と、および荒野から上がって来た時にもした同じひとつ事とは、わたしの神イエス・キリストとの、「(激しい)霊的なまぐわい」にほかならなかった。

そしてまた、同じ信仰によってはっきりとはっきりと言っておくが、

「主が胎を閉ざしていた」ために子を産めず、それゆえに悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いていたハンナが、その祈りの中で必死に行った事というのもまた、キリスト・イエスとの「(命をかけた)霊的なまぐわい」であったのである。

どうしてそんなことが分かるのだろうか。

それは、信仰によって文字(聖書)を読み、信仰によって自分の人生を生きて来た者だけが、ハンナがイエスと霊的な交わりをつづけたことによって、はじめてその胎は開かれて、子を宿すことができたことを、己の身をもって知る(実体験する)からである。

だからこそ、ハンナは信仰によって自分が身ごもったことを知ると、信仰によって神を誉めたたえ、信仰によって生まれた子にサムエル(その名は神)という名を与え、信仰によってかつての誓いを守り通し、信仰によって乳離れしたサムエルを自分の懐から切り離し、祭司エリの下へゆだねるという行いに及んだのである。

であるからして、

同じ信仰によって、もう一度、はっきりとはっきりと言うものである。

主なる神(イエス・キリスト)は、なにゆえにハンナの胎を閉ざしていたのだろうか――

あるいは、閉ざさなければならなかったのだろうか――。

信仰によって文字(聖書)を読み、人生を生きる者ならば、それは主なるイエスが、ハンナという一人の女の心と、霊的にまぐわいたかったからであることがはっきりと見て取れる。

すなわち、ハンナを「悩み嘆かせ、激しく泣かせる」ことによって、ハンナをハンナのための「荒野」へといざなって、そこでハンナとふたりきりになることによって、ハンナの心に語りかけ、またハンナからも語りかけられることを切望したからにほかならないのである。

「それゆえ、わたしは彼女をいざなって
荒れ野に導き、その心に語りかけよう。
そのところで、わたしはぶどう園を与え
アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。
そこで、彼女はわたしにこたえる。
おとめであったとき
エジプトの地から上ってきた日のように」

というハンナの時代よりも後に編纂された預言書にも、はっきりと詠われ、書き表されたとおりである。


それゆえに、

信仰によってさらにはっきりとはっきりと言うものであるが、

主なる神は女ハンナの胎を閉ざすことによって、ハンナにその夫エルカナの子ではなく、「キリストの子」を与えたかった――それ以外に、あえて人の胎を閉ざすような、その時代の女にとってなににも増して辛く悩ましい「非道なる仕打ち」に及んだ理由がどこにあろう。

主なる神が与えた悲しみと嘆きの日々において、ハンナはひとり、主なる神となんどもなんども霊的にまぐわった。

なんどもなんどもまぐわり、交わり続けたことによって、ついには神にささげ、主にゆだねるべき子サムエルを授かったのであった。

その日が来るまでは、エルカナの妻ハンナは子を産めないということについて、もう一人の妻ペニナからの毎日のような執拗ないじめに苛まれ続けなければならなかった。

さりながら、「主の御前であまりに長く祈った」結果、ついに訪れたその日にあってハンナに与えられたのは、ひっきょう神に捧げるべき子であって、ペ二ナに与えられていたような自分の懐の中で慈しみ育てるべき子ではなかった。

それゆえに言っておくが、シロの神殿において、激しく泣きながら祈り始めたハンナにおいては、はじめから「キリストの子」を祈り求めていたはずもなかった。

ハンナもまたひとりの凡庸なる女であり、一人の男の妻であり、その男の子を生んで母になりたいという平凡極まりなき願いを抱く者にすぎずして、ために思い悩み、滂沱の涙に顔を濡らしながら、まるで終わりのないような祈りを捧げ続けていたにすぎなかった。

がしかし、長く激しい祈りのはてに、はじめてハンナは気がついたのであった――

すなわち、これまで自分の胎が閉ざされていたのは、けっして偶然でも不運でも、己が罪や失敗の報いでも、三代四代にまで及んだ父祖の罪の罰でもなく

主なる神があえてそうしていたのであったということを――

「誰が「あれ」といってあらしめえようか。主が命じられることではないか」という言葉の真実であるということを――

それゆえに、はじめの頃はその理由も意図も悟ることなく、神の御心を知ることのなかったために、ただただ痛みと苦しみのために嘆き悲しむばかりであった自分の心が、すこしずつすこしずつ、あるいはまた、猛々しく降り注いでいた雨があがり、ひとつの美しい虹が天蓋にかけられたように、「神のほんとうの思い」にまでたどり着き得たということを――。

その時、

くまなくそぼ濡れた顔をもたげ、ハンナは目を輝かせた。

そして、いつのころか知らないが、きっとはじめて心に思うようになった、そのはるかな以前から、ずっとずっと抱きつづけてきた主なる神への「想い」を言葉にするならば、

「今がその時である」と思ったのである。


――ここまで語ったならば、冒頭の二つの「女の姿」が、どうして大変に似通っているかが分かったであろう。

神の腕に寄りかかって荒野から上って来たおとめにせよ、神の御前に心からの願いを注ぎだしていたハンナにせよ、

「今この時が、神ともっとも近しき瞬間」であり、

それゆえに、「父母未詳以前からの神への想いを言葉にするならば、今しかない」と信じたのである。


そうして、

始めに述べたように、これが今の私の姿なのである。

自分の人生の荒野から、半死半生の体で上って来たおとめの姿は私であり、

まるで白昼から酒に酔って、堕落した女ようにしか見えなかったハンナの祈りの姿もまた、私自身なのである。

私はこれまでの人生でもっとも苦しく、もっとも楽しかった荒野の日々の思い出について、わたしの神イエス・キリストに向かって、誰よりも美しい文章をもって書き綴り、また誰よりも拙い言葉をもって語り聞かせて来た。

同じように、来る日も来る日も子を産めない女のごとく激しくむせび泣きながら、悩みと嘆きと苦しみの祈りを祈り、祈り、祈り、、書き、書き、書き連ねることによって、わたしの神イエス・キリストの父なる神の御前で心を注ぎ出すような、誓いを立てたのである。

すなわち、

私は幼き頃より荒野にいざなわれ、血反吐を吐きくだし、血涙を流して狂いまわって来たけれども、わたしの不可視の胎はかたくなに閉ざされつづけ、これまで子を宿すこともなく、子を産むこともできないでいた。

がしかし、今は信仰というイエス・キリストの生きる”霊”を宿し、月が満ちればその”霊”の「子」を産むことのできる、開かれた、顧みられた、祝福された胎となった。

それゆえに、私は私の胎に宿った信仰と、その信仰によって生まれる「子」とを、わたしの神イエス・キリストにささげ、ゆだねるものである。

その「子」とは、イエス・キリストとわたしの間に生まれた子であり、わたし自身であり、また、キリスト・イエスはその子の「父」である。

「その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」

という言葉のとおりである。

だから、私はその子の一生を自分が子育てを楽しむための一生とすることなく、その子の一生が、サムエルの生涯のようにイエス・キリストの父なる神の御手の中にあり続けることを、信じて疑わない。

その子の生涯こそ、これからの私の人生だからである。

だから、サムエルが堕落した祭司エリとその息子らに代わって、神の言葉をゆだねられたように、イエスとわたしの子もまた神の言葉をゆだねられ、託されるのである。

預言者サムエルが堕落したサウルの代わりに、エッサイの子ダビデを見出して油を注いだように、キリストとわたしの子も、堕落して腐敗しきったこの世のユダヤ教キリスト教に代わって、この終わりの時代の「少年ダビデ」を見出すことになるのである。


このようにして、

私の人生は荒野の章を書き終え、その中にしたためられたひとつひとつのかけがえのない思い出を永遠に記憶するために、「雅歌」をもって結んだ。

そして、ひとつの新しい「誓い」をもって、今、新しい第二章が始まろうとしている。

いや、もうすでに始まっている。

なぜとならば、わたしの誓いに先立って、イエスはすでに、わたしの心に語りかけていた。

すなわち、

あの神の憐れみの山頂の朝まだき、新しいイエスの秘密の名をわたしの耳元だけにそっとささやきかけることによって、わたしの顔は流れる血潮よりも、駆け昇る太陽よりも、もっともっと純粋な緋色に染めあげられながら、ややひさしく、イエスの顔を見つめていた――

その時、わたしたちは同時に、まったく同じことを心に思い、感じあって、見つめ合って、微笑み合った。

私の心はイエスの心に、キリストの心はわたしの心に重なり合って、ひとつとなって、一体となった。…


「曙のように姿を現すおとめは誰か。
満月のように美しく、太陽のように輝き
旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。」

――それは、ハンナの子サムエルである。

そして「サムエル」こそは、今日これからの私自身であり、

そしてまた、永遠に生きるイエスとわたしの子、「キリストの子」なのである。



追記:

この作文を仕上げてから、およそ半年の時を経て、そこに込めたわたしの思いに対するイエスからの回答として、『産めよ、増えよ、地に満ちよ』という文書を書かされて、しかりしこうして、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」というその調べ通りの、神の祝福の言葉を与えられた。

https://note.com/t_j304/n/n5e3c1b1b054e

「産む」のは、キリストの子である。「増やす」のも、キリストの子である。「地に満たす」のも、キリストの子である。

祈りに応える神は、必ず祈りに応え、しかりしこうして、神の言葉は必ず、その通りになるのである。

だから、だからこそ、この私もまた、その身と心と霊をもって、神の回答に呼応する――すなわち、キリストの産み、増やし、地で満たすのである。


2024年5月25日
無名の小説家


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