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偽りのユダヤ人たち ①


――
見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。
――


アブラハムが生まれる前から、わたしはある。

イエスにこう言われたために石を投げつけようとした集団が、「偽りのユダヤ人たち」である。

同様に、

復活したイエスは、ユダヤ人ではない。

それを分かっていない連中が、「偽りのユダヤ人たち」である。

同様に、

アブラハムの子孫とは、キリストのことである。

それを否定する勢力が、「偽りのユダヤ人たち」である。


私は復活したイエス・キリストに繋がった者として確信しているが、

冒頭の聖書の言葉の「わたしがあなたを愛していることを…」の、「あなた」とは、まずもって、イエス・キリストのことである。

そしてまた、復活したイエス・キリストに繋がった者のことであり、イエス・キリストの再臨を待ち望む「信仰」を、父なる神から与えられた者のことである。

このような「信仰」という神の霊がその内に宿っている人々をこそ、

「内面がユダヤ人である者こそユダヤ人である」

と、聖書は言っているのである。

なぜとならば、「信仰」が人の内に宿ること――これこそ、インマヌエルのイエス・キリストであり、「神の約束のことごとく然りとなった」という「出来事」だからである。

そのような「信仰」よりも、ヘブライ語の辞典や古代ユダヤの歴史書やといった、そんなドーデモイイものを握りしめながら読み込めば、聖書が分かったようなカンチガイを起こしたり、

あるいは、

そうすることをばマトハズレな「集会」において声高に主張したり、「献金」と引き換えに無垢な人々にすすめたりするトンチンカンな「共同体」が、「偽りのユダヤ人たち」である。

そんなアホの道を極めたおバカ様たちが信ずる「場所」に、イエス・キリストの再臨が起こることは、けっしてない。

そんな彼らを待ち受けている未来とは、「わたしが愛しているあなた」のところへやって来て、「その足元にひれ伏す」という「神の言葉」ばかりである。



それゆえに、

生まれながらの、骨肉の、血肉の、系図的なユダヤ人だからといって、すなわち「内面がユダヤ人である」ということでは、けっしてない。

まことにまことに残念ながら、

かつて2000年前の今日この頃、外見上のユダヤ人たちの手によって、内面がユダヤ人であるイエスは十字架につけられて、殺されたのである。

それが、「偽りのユダヤ人たち」の歴史であり、

そして、

今なお継続せられている現実なのである。


―― 実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ ――

私は、こういう人々を知っている。

隠然たる勢力であれ、顕然たる権力であれ、なんであれ――聖書が示している「偽りのユダヤ人たち」の誰であるか、よく知っている。

彼らが過去に何をしたのかも知っているし、この時代において何をしているのかも、知っている。

そして、

彼らがこれから何をしようとしているのかも、どのようなやり口でやろうとしているのかも、知っている――すべては、神の知恵によって見抜かれており、それが「信仰」によって私にも示されたから。

しかししかし、

はっきりとはっきりとはっきりと言っておくが、

そんな彼らの「陰謀」はことごとく失敗する。

かつて、私の同胞の上に落とされた原子爆弾によって、私の先祖が滅ぼし尽くされることのなかったように、

彼らは、私のような虫けらのごとき人間一匹さえ滅ぼしえなかった――それゆえに、彼らののたまう「秩序」など、すでにことごとく破綻している。

もし、

もし私のような虫けらを根絶やしにしたり、上手く惑わしたりしたつもりでいようとも、彼らの「たくらみ」も「はかりごと」も、けっして達成されることはない。

なぜならば、

「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた。」

地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。

‐――と、預言されているとおりだからである。

また、

「彼女の罪は積み重なって天にまで届き、
神はその不義を覚えておられるからである。
彼女がしたとおりに、
彼女に仕返しせよ、
彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。
彼女が注いだ杯に、
その倍も注いでやれ。
彼女がおごり高ぶって、
ぜいたくに暮らしていたのと、
同じだけの苦しみと悲しみを、
彼女に与えよ。」

と書かれている通りに、彼らの結末はなるばかりである。

それが彼らの受ける分であり、彼らを待ち受けている「神の言葉」なのである。

それゆえに、

その主(あるじ)のように、すでに敗北が決定されている「偽りのユダヤ人たち」なんかに、何ができよう。

たとえこの地上世界をあまねく支配するような大資本家であれども、しょせん「人」にすぎない者たちが、私にたいして何ができよう。

顕然たる強権であれ、隠然たる政(まつりごと)であれ――人間的な、あまりに人間的な、地上的な、あまりに地上的な「偽りのユダヤ人たち」などに、何をなしえよう。


「偽りのユダヤ人たち」に、シャロームなどない。

永遠の命もない。救いもない。

「偽りのユダヤ人たち」には何もない。ありえない。ありはしない。

ただ、永遠の裁きをおいてほかには。


だから、いつもいつも言っていることではあるが、

永遠にさようなら…!


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