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稲葉たかひろのこれまで

こんにちは!今回のnoteは想いや政策についてではなく、私自身について改めて書き綴りたいと思います。もし良ければ読んでみてください!

小学生時代

昭和60年10月31日に東京都の立川市という町で生まれ、立川市立第一小学校という東京で最も古いと言われる公立小学校で6年間を過ごしました。小学生の頃は地元のサッカークラブに所属し、たくさんの友達と共にサッカーを楽しんでいました。平均より身長が高かったというだけでゴールキーパーを任されましたが、市内の大会では最優秀選手賞を受賞しました!

中学生〜高校生時代

中学からは中高一貫の暁星国際という寮のある学校で親元を離れ、6年間を過ごしました。中学からは硬式テニス部に所属し、ダブルスの新人戦では(ダブルスのペアが上手だった為)県3位に入賞をしました!その後、高校3年まで硬式テニス部に所属し、6年間テニスに打ち込んできました。高校2年の時には生徒会の役員になり、体育祭や文化祭の実行委員としても学校を盛り上げる為に頑張ってきました。また、文化祭ではメロコアというロックのジャンルのコピーバンドのボーカルとして生徒の前でライブをした事も。今思うと意外に目立ちたがりだったのかも?

大学生時代

高校を卒業し、東京都武蔵野市にある成蹊大学の法学部法律学科に入学しました。大学では主に国際法と国際政治を専攻していました。私にとって、この専攻が政治に関心を寄せる原点だったと思います。また、夜や週末はカフェや居酒屋のアルバイトに明け暮れ、バイト代は一人旅や友人との旅行に費やしていました。

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また、大学では裏千家の茶道部に所属をしていましたが、男性が2人しかおらず、重いものを運ぶ男手として地味な活躍をしていました。

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社会人時代

大学在学時から家具の通販事業を行っているベンチャー企業のリグナ株式会社にインターンとして働かせてもらい、他の会社の就職活動を行ったものの、そのままリグナ株式会社に就職をし3年間働きました。
その後、株式会社ジェイ・シータウンというモノづくりを行う小さな商社で仕事をしています。作るものは主にホテルや店舗で使用する家具関係で、中国の工場で製作し、日本の現場に搬入と設置を行っています。

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佐賀に移住を決断した理由

東京にいた頃に、佐賀市生まれの妻と出会い、結婚をして2人の子どもを授かりました。妻と結婚した事で佐賀にご縁を頂き、定期的に佐賀に訪れる度に、佐賀の自然や食の豊さ、住環境の良さに魅了されていきました。そして、「このまちで子供たちを育てたい」という気持ちが湧き上がり、佐賀への移住を決断しました。今では、お陰様で子どもが一人増え、5人家族になりました。この子供たちが、このまちで、のびのびと育っていく姿を見ると、移住の決断は間違っていなかったと思わせてくれます。

おわりに

佐賀に移住をしてまだ4年しか経っていません。ですが、佐賀を想う気持ちは地元の人に負けない自信があります。佐賀の魅力に惹かれ、惚れ込んで移住をしたからこそ、このまちの為、佐賀市の為に一生懸命、自分が出来る事に取り組んでいきたいと思います!

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