期待、言葉

期待に応えるという言葉は私の中では不安定に近い。
応えなんて誰も分からないし決まりなど広い視野で見てしまえば無いに等しいようだと思ってしまう。身勝手に相手に自分の理想を押し付けているだけでその先は無く、ひたすらに解決など見つからない。
そもそも応えとはなんなのか、応えなんてこの世に本当にあるのか。あるとしたら人間が作り出した数字上のパフォーマンスと同じでしかないだろう。1+1が数式上では2になるような、私たちの扱う言葉に答えはあるのか。
たしかに答えも人間が生み出したひとつの財産ではあるが、生み出した者たちはそれらの答えを示す数式のようなものや似通ったものなど残してはいない。それらは全て紡いできた私たちの経験という名の身勝手に過ぎないのである。
言葉というのは時に残酷で物悲しささえ感じさせる。自分の感じている感情を全て伝えきるには同等の言葉の解釈というものがいるが、実際相手と会話をする時があるとしても、大抵その言葉一つ一つから受け取られるニュアンスや解釈というのは人それぞれで、100%伝えるというのはすごく難しい。言語とは人とのコミュニケーションを円滑に進め、より深く親身に相手に寄り添うものという解釈が私自身の解釈であるが、他にも沢山の解釈がある中で、果たして全てを伝えきることは出来るのだろうか。
やはり期待に限らず、言葉というのは不安定であると感じる。

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