見出し画像

療育:いつやるの?→今でしょ🌈✨


前回のはじめましての記事で書かせていただきましたが、今まさに日々古墳奮闘する場面が多く、三歩進んで二歩下がったり、時には四歩下がったり、ゾーンディフェンスを決め込んでるつもりでも、まったくガラ空きで、何かしらどこかしらカウンターをうけ返り討ちにあったり、ふとぼんやり一日があと数時間長ければな~などと思ったり思わなかったりする、軽度知的障害&発達障害の子を持つひとり親かあさんのアカウントとなっております。



このアカウントを作ったのは見切り発車も良いところで、書きたいことはたくさんあるけれど、どうやって書いていくかはまったく考えずに走りだしております。


ただ、そうして見切り発車してでも書きたかったことが今回のタイトルである「療育はいつ始めるのか」ということです。


粗削りで発展途上な知識や経験のもと書き連ねておりますので、どうぞあくまでも参考として、お読み頂ければ幸いです。





そもそも「療育」という言葉になじみがない方も多くいらっしゃると思います。


私も、息子の発達の遅れに直面するまでは知らなかった言葉です。



「療育 意味」「療育とは」などで検索してみると、なかなかどうしていろいろな答えが返ってきます。




私が思う療育は、障害を持つ子どもの特性=どんな得意、不得意があるかなどその子の「特別に持ち合わせている性質」にあわせて、知識や経験を持つ各分野の専門家が課題の解決に向けてサポートすること、かなと思います。


主には、未就学児、つまりは小学校に上がる前のお子さんに使う場面が多いのかな、という印象。


小学生になると、支援級だったり支援学校、そして放課後等デイサービスなどが療育にあたるんだ、と以前お話を聞いたお医者さまがおっしゃっていました。



よく言われるのが、療育の開始は早ければ早い方が良い、ということですね。


これ、ほんとそうだと思います、以上!…とこの記事を締めくくりたいほど、本当にその通りだなと実感しています。





お子さんの発達に気になるところがあって、「療育」という言葉を知ったら、「いつやるの?→今でしょ」というブーメランを自らに投げていいと思うほど、気づいたらすぐに門を開いて良いものが「療育」だと考えます。



別の機会に詳しく書いていきたいと思いますが、我が家の場合、何となく言葉の発達が遅いかな~と思っていたところに、コロナがやってきて、4歳児健診の時期が遅れ、そこでも言葉の遅れなど指摘されて、自治体の担当課に相談しては?と言われたものの、仕事やら引き続きコロナやらで、なかなか行けず、あれ?いよいよこれはまずいのでは?と思った頃にはすでに年中さんの冬。


それでもそこから門を開いて療育を開始することができました。

子どもの発達をうながすことにも大いに役立ちましたが、親としてもそこから学ぶことがかなりあったと実感しております。



だからこそ、タラレバを語っても致しかたないですが、やっぱり思うんですよね。


もっと早く始めていれば良かった、と。



知的障害があることには変わりがないかもしれませんが、早く開始した方が子どもにとってより良いサポートや環境を準備できて、その後に突き当たる問題や課題などが軽減される可能性がありますよね。


あくまで可能性であって、絶対、ではないと思います。


さまざまな療育の方法、サービスがありますし、さらには、けっきょくは人と人との関わりの中で進んで行くので相性みたいなものもあるな、と。





ちなみに、療育開始が遅れる原因について、相談機関やお医者様など、多くの「専門家」がポソッと放たれる言葉があります。





「子どもに障害があるって認めたがらない親がいるんだよね」




実際に何度か聞いたことがありますので、専門家の皆さまの常套文句なのだろう、と思ったりもします。



「常套文句」というのは、ちょっと皮肉じみているかもしれませんね。



おっしゃりたいことは、わかります。

わかってると思います。


つまりは「障害」というものを認めて、どんな障害なのか、特性なのかを認めていかないと、そのお子さんに本当に必要なサポートが受けられない、という意味での「認める」ということだと理解しています。



しかしながら!


立場を変えると、必死に子どものことを考える親として、ワタクシのように心身ともに頑丈な武士タイプはさておき、そうでない方は剣山の上に立たされているようなお気持ちになったりするんじゃないかな、と感じます。


剣山はちょっとハードかな…。


けれども、何だかチクチクするんですよね。



何か責められている。


何を責められている?



というか、そもそも認めるって何を?


そもそも「障害」ってなに?



という感じで、「療育」という言葉を初めて知った時点の、ここでいう「障害」に関する知識ってそれほど豊かではないはずなので、何を認めるの?ハテハテ?っていうのが本音ではないかな、と。



専門家の皆さまは、いろいろなケースを見てきて、知識やご経験も豊富であるため、保護者が「認めない」ばかりに適切なサポートを受けられないお子さんをたくさんみてきたからゆえのご助言なのだと思います。


とはいえ、認める/認めないをジャッジさせるのは、その認める対象について十分に説明してからだよね、って思うんです。


療育にたどり着くまで、その「そもそも」について説明を受ける機会って、なかったな、と。

それを自ら学ぶ術や意識も乏しかったような気がします。



「障害」といったら、漢字から言っても、障る=妨げとなる「害」であって、まったくもって言葉そのものがマイナスイメージなので、大切な我が子と抱き合わせでいきなり目の前につきつけられたら、それは拒否したくなるものですよね。




なので、認めるとか認めないとかは置いておいて、とにかくお子さんの発達にアレ?と思ったら、各自治体の担当課へご相談してみるのが良いと思うんです。


必ず、発達検査を経ることになると思いますので、そこで一つの指標が出ますね。

ここまでの時点でさらに新たなワードがパレードしてきますので、自ずと知識もついていくはず。


検査結果によってはサポート不要と判断され、療育が利用できないこともあるでしょう。

まぁ、それは年相応に成長しているということなので良い結果とも言えますね。


もし、サポートが必要となったら、自治体によっては利用者の負担なしに専門機関でサポートが受けられる場合もあります。

医療機関でも療育をしているところもありますが、自費(なかなかのお値段)となり、医療的な意見も踏まえてまた別のアプローチがあるかもしれません。


療育を受けてみて、効果があって発達に問題なし!となったら、それはそれで良い結果ですよね。


効果は限られていて継続的なサポートが必要な場合も、その中でそのお子さんの特性や課題などがわかっていくので、やっぱり良いことだと思うんです。


自治体の申込も時間がかかりますし、いざ利用となった時に希望のサービスに空きがない場合などもあるので、そういった意味でも早めにまずは動くというのは「百利あって一害なし」と言えるのではないでしょうか。



徒然なるままに書いてまいりましたが、まず言いたかったことはお伝えできたと思いますので、次回はどんなことを書こうか思いを巡らせつつ、この辺で締めさせていただきます😌


ここまでお読みくださりありがとうございました!

💜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?