伸るか反るか「寿司処 三勇」幡ヶ谷

新宿から京王線で二駅、幡ヶ谷駅からだいぶん北に進むと、ひょっと、小さな飲食店の連なる長屋のような一角があって、三勇はそのうちの一店だ。

なんというか、マンガ、ド根性がえるの世界観。昭和の香りのする寿司屋であり、何か取り立てて訳があるというわけでもないのだが、ずいぶん前から好きな店だ。

そう、おびただしい数の東京のすし屋の中で、何か突出した「売り」があるのかと聞かれると言葉に詰まる。…おいしいんですよ、私が通える値段の中ではね。皆さんも、何かしら、そんな寿司屋の一軒や二軒くらいは思い起こせるのではなかろうか。

こちらではランチ営業もやっている。その昔、ランチ握りをはじめてこの店で頼んだ時に、辛子明太子が半本、握りずしのひとつとしてシャリの上に鎮座していた。本当に「ああ、乗りに乗ってるね、今日も」(ヒカ〇ン風に)といった風情であった。

私の家では、魚卵の塩漬け、食べるべからずという家風であったものだから、これには心底驚いた。おそらく、我が家で一年間に消費される辛子明太子のうち、約80パーセントを人知れず昭和の香りを漂わせる東京の片隅のランチ寿司で消費しなければならないのである。禁断の香りがした。

しかし、こうしてわざわざ提供されたものを食べないというわけにはいかない。もったいない。

以後、こちらのランチ寿司に辛子明太子が提供される間、私は必ず瓶ビールを注文することにした。辛子明太子の握りは、つまみである。また、残りの握りは締めである。辛子明太子はちびちび食べるのも良いが、一口でパクっと口に入れて、一口二口噛んだのを、さっとビールで洗い流してしまうのもオツである。

東京の寿司屋で瓶ビールを頼むと、げその端切れを湯がいたのに、ワサビをちょっと付けたものを醤油皿に入れてお通しにしてくれることが多い。この店もそうだ。これがまた何ともうれしい。パック入りのスーパーで買ったげそを自分で塩ゆでしても、味気も何にもないものだが、どうして寿司屋の手間で「ちょこっと」処理したげそはあんなにうまいのだろう。不思議でならない。

店は一見すると、おとなしい風貌の外観だが、ランチも夜も、美味しい寿司目当てに結構な客でにぎわっている。甲州街道と並行して走っている、三勇の近くを通る道路は水道道路の名残らしい。今も現役なのだろうか?増え続ける都心の人々の暮らしを支えてきたに違いない。ここから新宿界隈の地理に思いを馳せながら、初台あたりまで散歩してみるのも楽しいものだ。

最近はなかなかうかがうことができずにいた。人づてに聞くところによると、辛子明太子をドドンと一貫、握りにする荒業は封印したらしいとのこと。

なんだつまんない。


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