出会い・伝説・牛丼・納豆、「丼太郎」 茗荷谷

丼太郎というと、いろいろな意味で、伝説的な茗荷谷の牛丼店だ。

ご存じのない方に、概要だけご説明すると、80年代から90年代、つまり日本のバブル時代、その真っただ中に「牛丼太郎」という東京の牛丼店が、吉野家や松屋に追いつけ追い越せとばかりに店舗を急拡大した。本社は文京区。一時期は関東一円に店舗展開するまでに至ったが、結局バブルは崩壊。牛丼太郎もその影響を免れず、急拡大がかえって仇となり、営業を終了するに至った。しかし、当時の若い店員(たしか、拓殖大学のアルバイト店員等が中心)たちが店の存続を要望…

なんと、茗荷谷店の外看板の「牛」の文字を隠し、「丼太郎」に店名を変更して二店舗(のちに一店舗に)で有志が営業を続け、今に至ったということだ。外食チェーン店の仕事は決して楽な仕事ではないはずだが、閉店するかしないかの当時、営業の存続を望む従業員が多くいたという。…なぜ?そんなに居心地がよかったのだろうか。

現在、この「丼太郎」は茗荷谷駅からすぐ、春日通り沿いで営業を続けている。こうした逸話を知らなければ、店に入ることはなかったかもしれない。いや、逸話だけは知っていたので入るか入らまいか、もじもじしていたところ、友人が「このまえ、行ってみたら、結構おいしかった。安いし。」とのこと。それでは行ってみようと相成ったものである。

店外の窓に張り付けてあるメニューや写真を見ると、ずいぶんとジャンクな感じだ。女性は入りにくいに違いない。おなじみの牛丼に、いろいろとセットメニューを頼めるようになっているのだが、何の運命のいたずらか、私はその日、吉野家でも頼みそうにない牛丼と納豆のセットを頼むことになった。

注文を受けた従業員の方はおもむろに業務用冷蔵庫を開けると、大きなステンレスのボウルを取り出した。お玉でそのボウルから何かをすくい取ると皿へ。そう、すでに醤油を入れて混ぜ混ぜしてある納豆を冷蔵庫で冷やしているのだった。それ、納豆が苦くなるやつですよね。

牛丼も、納豆も、いい意味でも悪い意味でもなく、本当に見たまんまのお味。お値段が値段だけに、一切の悪口を排しよう。納豆にはびっくりしたけれど。50歳がらみの従業員の方は、「創業」当時の方だろうか…いろいろ聞いてみたい気もするが、そんな野暮はやめておこう。この世知辛い世の中にあって、人と人とが巡り合って、素晴らしいケミストリーが起こったのだ。なんでかはわからないがこのジャンクな牛丼屋で。

丼太郎の店の前では、見慣れない遠方ナンバーの車が止まっていたり、スマホで外看板を撮影しながら汗をぬぐう若者、中年男性などを見かけることがある。この店の、この味と、その物語が人々を今も惹きつけているようだ。

牛丼で利益を出していくことは難しいだろうが。お店に「愛される物語」が生まれると、日本国内では最強。意外とこのまま、長く営業してくれるといい、心からそう思う。



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