人と人とは決してわかり合えないという話

タイトルを「人と人とは」にするか「人は」にするかで3、4分悩みました。
どうも、後関貴大です。

今回は僕の持論の話。

「人と人とは決してわかり合えない」

というのが僕の持論です。

とはいえ、全くもってネガディブな話ではないし、なんなら僕にとってはポジティブな考え方。

昔から他人の気持ちを推し量ることが苦手だった僕は、なんか知らないうちに人に嫌われたり、相手の求めている行動が取れなくてイライラされたりといったことが多々ありました。
と、同時に「この人にこっちの考え伝わんないなぁ」と呆れたり諦めたりすることもしばしば。

自分が全面的に悪いのかと思うことも多々ありました。(実際そうだったケースもごまんとある)
が、様々な状況を経験したり、いろんな人と関わっていく中で、最終的に僕が行き着いたのが「人と人とは決してわかり合えない」という考え方なのです。

わかり合えないんだから仕方がないね!

……逃げみたいかな、この書き方だと。
いや、まあ、実際そうかもしれない。自分の悪い部分を棚上げしてる部分もあるし、そこは否定しない。

んー、そうだな。
じゃあ、自分の一番近しい人を思い描いてください。
……思い描きましたか?
では、その人が考えていることを全て当ててみてください。100%、寸分の違いもなく。

さて。
その相手に確認してみて、全部合っていた人はおめでとうございます!
エスパーの可能性があるので、その力で世界を救ってください!(?)相手があなたの答えに合わせてくれてる可能性も否定できませんが。

まあ、とにかく、自分が考えていることなんて100%他人がわかる訳がないと思うんですよ。
なんなら自分自身ですら自分のことを100%理解出来てる訳じゃないだろうし。

人は、わかり合えない。

わかり合うことが出来るのなら争いも起こらないし、少なくとも人の持つ感情、喜怒哀楽のうち、怒と哀は殆ど無くなるはずです。たぶん。
人間っていう種族全体がもうちょっと賢くなってるはず。

でも、それって「個性」だと思うんです。
別々の個体である以上、そこに差が生まれるのは当然のこと。
分かり合えなくて、ぶつかり合って、だからこそ生まれるものもある。
少なくとも僕は、ものにもよりますが自分と違うものを持ってる人を面白いなぁって感じます。自分の好き嫌いは置いといて。

それに、わかり合うことは出来なくても、わかり合うために歩み寄ることは出来る。
これって似たようで結構違うことだと思うのです。

完全にとはいかなくても、相手を理解してあげようとすることが、思いやりってやつなんじゃないでしょうか。

だからこそ、もっと広い心を持った自分になりたい。

……うーん。毎回文章を書き始めると話がとっ散らかるので、締め方がわかりません。
とりとめなくなりそうなのでこの辺で。
ではでは。

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