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キャッチボールより打ちっぱなし

今日はサークル内の数名で共同制作しているゲームの背景に使う写真を撮りに中野へ赴いた。余裕をもって起床したのに、結局洗濯物干すのを忘れて「ちょい遅刻するかも」という詰めの甘さが、私の生き方を象徴してるように思えてならない。ともあれうどんやカラオケなど楽しく過ごせて良かった。今日撮った写真を加工するのは私の仕事なので、さっさとボールを相手方に渡したい。

大体のことにおいて、人において、自分側にボールがある状態が嫌で嫌で仕方ない。メルカリなら受け取り評価待ち、原稿なら校正待ち、イラストなら確認修正待ち、課題なら採点結果待ちの状態がもっとも心地よい。全てを誰かの出方を伺っているという状態に置いておきたい。人からの疑問文のLINEも放置したくない。何なら相手からの返信を待っている状態にするために疑問文で追撃したいぐらいである。

思えば、後ろ足で砂を掛けられたことよりはるかに、後ろ足で砂を掛けたことを頻繁に、鮮明に覚えている。一度一度はそれほど気にすることではないとしても、わたしは例えば「毎回5分遅刻してくる、定時に来れたことがないひと」のように思われるのが嫌で、かなり自分に対する「砂掛け判定」が厳しいように思う。他人に対してはそこまで厳しく考えているわけではないが。

「毎回待ち合わせの5分より前には現れて、毎回遅くとも締め切りより12時間前にタスクが終わり、『また連絡する』『あとで確認する』を忘れない」人が私の理想の人だ。


そうはいっても、理想を完璧に追走できているわけではない。「掛けちゃってるわ~、すっごい掛けちゃってるわ~」という自覚はありつつも、怠惰が勝つことは大いにある。時折やる気になったときには自分の与するプロジェクトの進捗を小まめにあげたり、多めにタスクをこなしたりすることで、相対的に砂の量をゼロに近づけたいのかもしれない。


冒頭の出来事は、小田急線新宿駅からJR新宿駅にかけての大ダッシュにより定刻到着にすることができた。いつもこうならいいのだが。よくはないか。

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共同制作ご一行の写真。オタサーの姫のさらに劣化版みたいな集団だった。

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