SNSとかいうコミュ狂御用達ツールに疲れが爆発して強くてニューゲーム
180。
そう、180。
ここnoteで毎週投稿を続けてきた私が残した、毎週連続投稿の記録。
途切れました。
ギリギリのところで維持されてきたジェンガが崩れた感覚。
なんかこう、noteのエディター開いても書けない。
書いたとしても面白いとか、これなら読んでもらえるとか、そういった手ごたえが全くなくてボツ。
しまいにはエディターを開くことすらできない。
私の数少ないアイデンティティだった文章を失いました。
全てはストレス。
もうSNSでの交流に疲れ果ててしまいました。
でもSNSで交流する相手がいて、その人にアプローチするような記事みたいな感覚で書いていたフシがどこかにあって。
そんな人が見えなくなった結果、私の中の思考がまとまらなくなってしまいました。
とりあえず書けることを書く、死に体の記事です。
コミュニティに属せない生まれながらのボッチ
ぼっち・ざ・ろっく!いい作品でした。
対人コミュニケーションが壊滅的なぼっちちゃんでも、圧倒的なギターの実力と心優しい人々によってステージで輝くサマはドラマチック。
そう、ドラマなんです。
現実はそう甘くなく、コミュニケーションに難がある人間というのはどこかしらで取り返しのつかない失敗をしてしまうものなのです。
だからこそ周りから人がいなくなっていく。
私は属していたコミュニティを抜けました。
いや、居られなくなった。
それは認知の歪みゆえの拗れであり、ネット上のコミュニケーションならではの難しさであり。
しかし10年ほど前にも同じようなことをしていたので、生まれながらにしてボッチとして生きることを宿命づけられていると言っていいでしょう。
友達という概念が理解できない。
コミュニティにおいては、何かしらコミュニティに対して利益を提供し、見返りとして居場所をもらえるという考えが自動的に発動する。
継続して利益が提供できない、例えば写真を投稿するとか、技術提供するとか、イベントを開催するとか、そういったことを続けられないなら周囲から大した扱いを受けられなくなるのです。
いや、本当は”普通の”コミュニケーションによって関係を構築できないだけ。
”普通なら”小中学校でクラスメイトと関わりながら醸成するはずの「距離感」や「友達作り」みたいな概念が欠如している。
周りから見たら厄介者だし、こういった事情を知ったとて「自己責任だろそんなもん」で済まされてしまうような。
でもそんな人ってこの世界に数えきれないほど存在していて、救いようのない存在として世間様の端っこで息苦しく生きているんでしょう。
SNSをやる才能とかいうもの
私が生息しているのは写真界隈、および演劇界隈。
かつてはプロレス界隈にもいましたが今は足が遠のいています。
今回取り上げるのは写真の方。
何せ写真界隈は「いかにしてSNSでのインプレッション・リアクションを稼ぐか」というSNSの攻略情報で溢れかえっているのです。
承認欲求を満たすという目的もさることながら、それが収入に繋がることもあり、写真をどのように投稿すべきかというメソッドが日々流れてきます。
本来であれば私もそれに乗っかるべきです。
でも先述のコミュニケーションにおいて難がある私には特大のハードルがあって断念しているのです。
「積極的にメンションや引用で会話しましょう」
どう考えたって無理です。
旧TwitterでもInstagramでもnoteでも、孤立して生きるのけもの。
写真や記事を見たところでポンポン感想なんて出てきっこないです。
ましてや一時的な感想に意味などなく継続できなければ、という不完全嫌悪が発動して程度の低いことは言えない。
もっと言うとSNSをずっと見てるわけでもないので熱量を維持できない。
よくよく考えると「ソーシャルネットワーク」のサービスですから、お友達作りが得意な方に有利なように出来ているわけです。
SNSの才能が欠如した人間にとっては、何者かになることもかなわず日陰でコソコソと生き続けるだけの場所であるのでした。
文章を書く原動力って何なのか
コミュニティを追い出されたのか抜け出したのかよく分かっていないですが。
数十人から一斉に嫌われるというイベントは、その人たちと金輪際関わらないとしてもダメージを負うものではあるのです。
ストレスは私の筆を折るには十分なエネルギーを有していました。
前回の記事を投稿してから1か月。
「自分にとって文章を書く原動力って何なのか」と考えに耽っていました。
どうにか言葉にするなら「居場所づくり」であろうという結論。
別の言い方をするなら「仕事としてのアウトプット」をしていたのでした。
プロレスで思ったことを文章にして、他の人があまり手を出していなかったnoteという媒体で発信すること。
ポートレートへの雑感や作品を載せることで、新規の案件獲得に向けたプロモーションをすること。
コミュニティの中で自分の要素を開示するためのツールとすること。
全ては自分の居場所を作るために行っていたことで、この度その全てを手放してしまったのです。
プロレスを定期的に見に行くだけのお金を捻出できず、ポートレートの新規依頼については受付を停止し、コミュニティからも去った。
書く目的がなくなったし、発信する相手も具体化できなくなったのでした。
書く目的探しをしたい
これまでの思考ロジックやメンタリティでは書き続けることは出来ない。
ポジティブに考えよう。
ここからは強くてニューゲームだ。
なので新しいことを考えたい。
写真集を読むのはもう少し続けてみたいなぁと思いつつ、暑くて恵比寿まで行くのが面倒…だから涼しくなってからやる。
それまでの間で、たとえば役者さんのインタビューとか、撮られなれてない人向けの簡単なポージングとか、何か自分が出来ることを提供していけたらいいなと思ってます。
映像にも手を出してみたいし。
協力者求む。
自分語りは以前からそこまでしていなかったけど、メンタル落ち込んできたときに心境を吐露してしまうのが常套化している気がしていて。
自分色は出していきつつも、自分という人間性が前面に出るというよりはコンテンツ自体の質の中にぼんやり出てるくらいを目指したい。
目指すは11月の写真展に向けてのステートメント執筆。
それまでに復調させる計画で。
具体的にこうするああするは無いけど、自分のアイデンティティの一つとして廃れさせないための意地。
もし読んでくれるよ~って人がいるなら私は前に進めるので。
無理せずがんばるまん。
おわり。
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