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悲しいニュースを見ながら思うこと

「今日は疲れちゃったからもう一本飲んじゃおうかな」と同じテンションで、生きることをやめてしまえると思っている自分がいます。「今日は疲れちゃったから」は割と明るめのテンションです。絶望の淵の明るさ。

それでもわたしがそれをしないのはいくつか理由があって、一番の理由は普通に痛いのが嫌なだけなんだけれども、想像上では何度もシュミレーションしてしまっているくらいなので生きるのをやめる選択をする気持ちがわからないでもないと思っているんです。背中をふっと押される些細な何かがないだけで。

状況や気持ちを100%理解できはしないけれど、有名人の訃報を見ていてついそんなことを考えてしまいました。

今日は平井堅さんの『ノンフィクション』を思い出したんです。この曲は平井堅さんが自ら命を断った友人への思いも込めて書かれたのだそう。

静かで重たい雰囲気の曲の序盤のわたしが今日思い出した一節は、以下の部分。

惰性で見てたテレビ消すみたいに
生きることを時々やめたくなる

そうそう、それ。ニュアンスとしてはそんな感じ。ふっとやめたくなるんだよな、と聞き進めていたら。同じメロディの2番は少しニュアンスが違っていて、

消えそうな炎 両手で包むみたいに
生きることを諦めきれずにいる

と、生きることをやめたくない気持ちが歌われていました。久しぶりに聞いて、ああそうだったな、なんて思っています。絶望の淵にある些細すぎる希望を見つけてしまうので、わたしもまだ、諦めきれずにいるみたいです。

自ら生きることをやめるかやめないかの選択が紙一重な人はたぶんたくさんいるんだと思います。たぶん言わないだけで、すぐそばにも。


だからなんだという話はないんだけれども、今日はそんなことを考えていました。

たぶんしばらく『ノンフィクション』が頭から離れない日々になりそうです。


『ノンフィクション』にどっぷり浸かったあとは、『POP STAR』あたりを聞いて浮上してこようと思います。

『魔法って言っていいかな?』も好きです。



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