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普通なんて環境次第

空を撮るのが好きです。昔から。

なんでなのかはわからないんだけれど、見るたびに違う色が広がるのが楽しいのかもしれない。眺めるのが好きだから、撮るのもその延長線上にある感じがしています。

でも昔、それこそ『写ルンです』が主流の15年くらい前に空ばっかり撮っていたら枚数もすぐなくなっちゃうし、かといって写メっているとそれはそれで「あいつ空なんか撮ってやがる」みたいに言われたわけです。主に言われていたのが高校生とか大学生の思春期だったこともあり、恥ずかしくなって人前で空の写真を撮ることは少なくなったわけです。

でも大人になってからはスマートフォンが普及して好きなものの写真を撮ることが前よりも格段に一般化したのもあったし、わたし=空港好きのキャラが定着したのもあって、きれいだからと空の写真を撮っていても後ろ指差されることは減ったんですよね。

まあわからんでもないのよ。空の写真とってポエマー気取ってる人が異質に見える感じ。わからんでもない。わからんでもないんだけど、振り返ってみるとやっぱり思うんですよね。別に好きなんだからよくない? って。

いや、今日は好きなんだからよくない?という話をしたいわけではないんです。本題に徐々に戻すからもうちょっと待ってね。

そう、空の写真。

この前、わたしが入ってるコミュニティ『.colony』で「今日は一段と夏っぽい空ですね」なんて話題が出たんです。写真付きで。そのときに「うちもです」とか「夕方もすてきです」なんて、次々と違う人からも空の写真がアップされていたんですよ。

それを見て「ああ、"普通"なんてのは近くにいる人のものさしでしかないんだよなあ」なんて思ったわけです。

学生のころ、わたしの周りにいた人はたまたま空の写真を撮る人が少なかっただけで、もしくは「空の写真をあげちゃうなんて。くすくす」みたいな人の声が大きかっただけで、同じように空を見上げるのが好きな人は、同級生や学校やバイトのつながりからもうちょっと遠くに、あのころもたくさんいたんだろうなあ、なんて思いました。

これは空の写真に限ったことではなくて、"空の写真"を洋楽とか邦楽とかアニメとかアイドルとかコスメとか花とか、なんでもいい、かつて蓋をした好きなものに置き換えてほしいのだけれども。

蓋をしたものがない人は、たぶん幸運なんだと思います。

要するにちょっと遠くに足を伸ばしたら、普段の"普通"とかそういうのとは別の価値観や世界観が広がってるんだろうな。なんてことを思いました。


ということで、これからの人生、わたしは法や倫理に背かない限りは自分のはもちろん人の好きなものや推しをむやみに否定しないで生きていきたいと改めて誓いまーす!


という日記です。

おやすみなさい。

読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!