見出し画像

2023年12月27日(水)

菅江真澄について学びを深める

@秋田県 秋田市

朝早く家を出る、8時過ぎ、いびきを聴きつつ
駅そばを食べる、食欲あまりわかなかったけど食べる

電車に乗って追分駅降りて歩いて15分、博物館へ
お目当ての菅江真澄資料館の前に常設展示のエリアへ

旧石器時代から昭和までの秋田の展示が
蝦夷征討のための出羽国と出羽柵設置、秋田のことかー
前9年後3年の役の話、なるほど、安倍氏と清原氏、源義家
自由民権運動下での秋田事件聞いたことあるなぁ
種蒔く人、プロレタリア文学の火付け役、土崎の印刷所から始まったのか、小林多喜二も秋田の人なのか
そういえば二二六事件を引き起こした陸軍少年将校も東北出身、
東北はいろいろ考えさせられるポイント多いなぁ、好奇心そそられるいい意味で

ここまでも中身多い
お目当ての菅江真澄情報センターへ
いきなり青年期を過ごした地・三河の話
岡崎!!!伝馬通り!!市隠亭で国学を学んだそうで、毎日通ってるところ!
生まれは豊橋とも岡崎とも言われているが、真澄にとって岡崎で過ごした日々は大変印象に残るものであり、秋田滞在時の日記にもたびたび岡崎での日々についての記載もあったそうで。わぁ
「真澄の学問に対する広い知識は青年時代を過ごした三河の地で様々な人々と交流したことで培われた」って僕やん
秋田に来た菅江真澄、藩の公認なく自主的に旅して記録残す、59歳の時に藩主佐竹義政らと太平山登山をして親交を深めるが、じきに義政死去などで理解者を失い、以後数年間は筆をとらなかった真澄。
71歳になってようやく藩から正式に地誌編纂の用命あり、老体に鞭打って取材旅行開始、冬の秋田でも構わず旅する真澄、すごすぎる、執念そのもの、なにが真澄をそうさせたのか
真澄を泊めた家リストも。秋田各地に。泊めたお礼に筆をしたためていたとのこと。かずやさんが第一号、田中が2人目。
命日の7月には墓前祭があるとのこと。行けたらいいな。
ライブラリーコーナーには真澄関連の書籍ずらり、その中に岡崎市史も、秋田に岡崎が、わー不思議
学芸員?パート?の嵯峨さんとおしゃべり、資料をいくつもいただく、岡崎から来たことを話したら、没後190年記念の講演が秋田、東京とともに岡崎でも開催されたそうで、リブラに行なったそうで。それが平成30年、2018年
次は2028年、没後200年の年。その時までになにか功績残したいな。目標できた。秋田と岡崎・三河とを繋ぐ真澄、いいな、わくわく、もっと勉強したくなってきた。まだ時間はある。令和の菅江真澄。

これらが午前中、入場無料とかどうかしてる、タクシー200円で追分駅、あっちゃんとランチ、買い出し合流、営業、頭痛寒気つらいよ、あっちゃん田中ももんが来店嬉しい、はっぴいえんど聴きながら4人でしっぽりおしゃべりいい時間だ、ちょっと体調回復、疲労感は蓄積のまま

今日はこれまでと違う意味で中身の濃い1日、疲れの種類が違う、いい日だ


本日の1曲

暗闇坂むささび変化
はっぴいえんど


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?