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月曜日午後、コロッケの味《母の闘病手記》

ちょっとだけ過去のお話。

亡き母との思い出の時間で感じたことを、まだ鮮明なうちに文字起こししておきたいと思います。

月曜の午後

職業柄、お仕事はお昼から。
店長と私の二人で2店舗を営業している。
一人1店舗だから、営業時間自体は短いんです。

2店舗とも小さいお店で、マニアックでニッチな需要を拾っていくようなお店なので、アルバイト店員を雇うだけの余裕もない。

私としては、東京進出なんていう夢のような展望も抱いた事があるが、そんな話しももうしていない。


いつもの通りのお昼の日差しを浴びながら、店長に挨拶だけをして、担当の店舗に向かっていた。

今日は月曜日。
週に一度だけ、13時から17時までという非常に短い時間の営業にさせてもらっている。

理由はというと、、、

あ、スマホの画面が光っている。
どうやら≪電話ですよ!早く出て!≫と言っているみたいだ。

母からの電話だ。

月曜日にかかってくる電話

毎週月曜日の昼過ぎ頃に電話が掛かってくるのは、もう恒例になってきていた。

ーピッ!ー

「はーい、どうしたん?」
『えぇと、今日来るん?』

いつも月曜日は行くんだけどな~と思いつつも、なるべく優しく返す。

「行くよ~」
『そうかそうか。今日は何時くらいに来るんかなぁ?』
「5時に終わったらすぐ行くよー。5時半くらいかなぁ。」
『そうかそうか。』

毎週同じような内容で始める電話。
こういう会話をすると必ずといっていいほど、このあとに一瞬の空白の時間が訪れる。
今日も、少し話しにくそうに次の話題を振り絞ったように口にする。

『……今日は何か買ってきてくれるんかなぁ?』
「何でもいいよ~何買ってく?」
『ん~、RF1のコロッケとメンチカツが欲しい』

【RF1】っていうのは、神戸発で今や全国展開している惣菜チェーン店だ。
百貨店の食品売り場なんかでよく見かける。

RF1を知っている人は、サラダや揚げ物がずらりと並んでいるのを見た事をがあるはず。
そんなRF1は【神戸コロッケ】をルーツに持つ。コロッケは一つの大きな売りでもあるのだ。

「OK~。あれば買ってくわ~。なかったら他の店のでもいい?」
『うん。いいよ』
「OK~。それじゃ、早めにいけるようにする~」

たまに他の話題を振ってくる事もあるけど、ほとんどこれだけで電話を切る。

デパ地下のお店でコロッケとメンチカツを頼まれた。使命感に燃える私である。

これが出し巻き屋の『う巻き』の時もある。
『う巻き』食べた事があるだろうか。
出し巻きの中に、うなぎが入っているのだ。
この世にこんな美味しい食べ物があったと知ったのは成人してからだった。
凡庸な子供時代を過ごした私には贅沢すぎたのかもしれない。

病院で食べるコロッケの味

今日はコロッケとメンチカツを買っていった。
デパ地下で、コロッケ&メンチカツと一緒に、私自身のお弁当も買っていく。

月曜日の夕飯は母と一緒に食べるのが習慣になっていた。

母は必ず毎週月曜日には、電話で頼み事をしてくる。
さっきの電話はそれだ。

なにも月曜日だけ特別買いに行けないからという訳ではない。

母は長期に渡る入院しているのだ。

ー・-・-・-・-・-・-・-

とある何でもない普通の日の、普通の夜。
帰宅してお風呂に入って上がると、母が倒れて起き上がれなくなっていた。
言葉がうまく話せない。
何とかベットに移動させたが、左半身が動いていない事に気づいた。

救急車で大学病院に運ばれ、その間も気丈に振舞おうとする母。
不安と身体の不調に苛まれていたはずなのに、母の強さを感じた一面だった。

ー・-・-・-・-・-・-・-

母は脳梗塞が原因の脳出血を起こし、脳自体に大きなダメージを負っていた。

非常に危険な状態になっているという。
ドラマのワンシーンでよく見た『非常に厳しい状態です。今夜が山場になるかと思います』という台詞のような事実を、本当に突きつけられた。

その後、母は九死に一生を得たものの、左半身がほとんど動かない状態となったのだ。

ショックは大きかったが、実は驚きはしていなかった。

元々の心臓に持病があった母は、ペースメーカーと人工心臓を取り付けていた。
もう何年も、知識のある人の介助無しでは生きて行けない体で過ごしていた。

そんな母には、運動の制限と共に、食事にも厳しい制限がかかってきた。
運動の方の制限は、一人で動くことが出来ないため介助が必要なだけで、出来る限り動ける方が良い。

しかし、食事は制限が厳しかった。
人工心臓は血栓が出来やすい。血栓が原因で引き起こされた脳梗塞だった。
そうなると当然、油っこいものや塩分は控えないといけない。

しかし、母は揚げ物が大大大大好きなのだ。
人工心臓を取り付けるまでの入院中に、秘密でコロッケを買って食べていたと、本人が後から言っていた。ローソンのコロッケがお気に入り。


脳や血液の病気に、油の多い食べ物は命取りになるかもしれない。
しかし、それでも病院側は暗黙の了解という形で許してくれていた。

というのも、元々、大の野菜嫌いで偏食家だった母は、病院食は深刻なほど食べるものが無いのだ。

夕飯にも関わらず、フルーツ味のジュースとゼリーだけしか食べられない事もあり、体力低下の方が深刻な問題となった。
リハビリの回復にも影響はあったのかもしれない。

担当の先生や看護師長さんにも相談し、暗黙の了解という形ではあるが許して頂いていた。


精神的にも滅入りそうな病院での長期に渡る生活の中に、『大好きなおかず』が一品加わって、母は明らかに食事への意欲が沸いていた。


人は好きな物を食べられる事だけでも、幸福度がぐっと上がるものなんだ、と感じた瞬間でもありました。

当たり前に食べていた母の作るご飯が、もう食べられない事に絶望したりもしたけど、今まで子供たちの成育を考えながら作ってくれていた事に感謝を伝えられるようにもなった。
野菜嫌いの母が、野菜をふんだんに使った美味しい料理を作ってくれていたのは、今考えるとすごいことだと気づく事もできた。

「大好きなおかず」を食べて元気になる母を見て、自分が今元気でいられる源となった母の味を、いつか再現したいと思う気持ちが芽生えたてきた。

直接レシピを聞いた事もあったし、母自身が入院するまで綴っていた≪レシピ日誌≫の在り処も教えてくれた。

レシピはたくさんの料理が載っていた。
今では、レシピを見ながら再現したりしている。

月曜の午後のコロッケを食べるひとときの思い出と、
一生モノの宝を母は残してくれていた。

T-Akagi

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