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【準備、イベント中の生活、思い出編】WCS Korean open

5ヵ月も経ってからの振り返りだが、WCS 半年弱やった記念で参加した「WCS Korean Open」についての記録を残そうと思う。

レッスンやパーティー、ショーなど、とにかく盛りだくさんな3日間だったが、これらを書く前に、素晴らしい Team 日本、そしてTeam 地方やTeam東京の皆さんとの思い出について、まずは感謝と共に触れたいと思う。

Team地方の手厚い準備サポート

私が住んでいる場所でWCSは、他のダンスのように週1頻度でのパーティーやレッスンは行われていない。

それでも、他の場所では開催すら定期的にされていないことを考えたら、時々でもレッスンやイベントがあるだけでも有難い。
海外にも頻繁に遠征してトレーニングとWCS 普及を続けて下さっているキャサリン先生のレッスンが2週間に1回、務めていたダンスバーで行われていたから、それを半年近く前から毎回受講した。

週1程度で習っていける他のダンスと比べると、進度は2分の1になるから、熱心な皆様は自宅やスーパー(!)で自主練をされたり、プロダンサーの動画をチェックしているようだった。
対して私は、密室で何かに取りくむことは大の苦手で、5分を確保するのも大変な人間、というか、もはや動物だった。
だからイベント以外で自習練やプロダンサーの動画チェックをすることもできず、皆様とちがい、カメのような上達具合だったと思う。

スローペースな上に、他の3つダンスも細々は続け、どれも中途半端に並行しながら呑気に受講する私にも呆れず、ずっと優しく、かつ熱心にレッスンしてくれたキャサリン先生、温かく励ましてくれた地方WCSの皆様に、まず感謝しかない!
キャサリン先生のレッスンは入門者にも分かりやすく、続けたい気持ちを持たせてくれるから、始めの第一歩にも完璧だった。

そして、この皆様の熱意が通じたのか、月1回ほど地方に遠征してWCSイベントを主催下さっている、日本WCSを引っ張って下さっているAya先生が、なんと「korean open対策講座」まで、3ヵ月強にわたり開催して下さった!

私は仕事と重なり2回の参加だったが、気になることがみるみる内にクリアになっていく、これまた手厚いサポートに感動した。
地方のWCS人口を増やしたいーその想いで熱心にサポートを続けて下さっているAya先生、キャサリン先生のおかげで、私はWCSをゆっくりでも続けられ、そして、あっという間にやって来た4月。
私は初めての世界規模のWCSイベントで、韓国へと飛んだ!

大人の修学旅行気分で、気軽な出国

でも、それは一人ではるばるヨーロッパへ行く時とはだいぶ違い、修学旅行で沖縄や北海道に行くような気軽さだった。
韓国は時差もないし、食べ物や雰囲気も日本と似ている。
しかも地方の空港に着くと、Team地方の皆様がほぼ精揃いしていて、
「タンツちゃん!こっちこっち〜!」
と家族のように、親しげに手をふって下さる。

まさに空港集合で行った、修学旅行そのものだ。
更に色々な世代が混じっているから、面白さが増す。
フライトの待ち時間は、Aya先生から座学の対策講座で頂いた資料を「旅のしおり」のように取り出して、ワイワイおしゃべりする。
この辺りも、自由時間にどこを観光するかで班の友人達ともりあがった、あの頃を彷彿とさせる。

「夜できるだけ踊りたいから、夕方に仮眠ですかねー?」
「でも、J&J(試合)のセミファイナル中だよー!」
「あ、でもタンツちゃんは試合でないし、先月みたいに倒れないように、どっかで寝といた方が確かにいいかも!ファイナルになる時に、連絡するね」
身体が強くない私の体調のことまで気にかけて下さる皆様の優しさも、とても嬉しかった。

お喋りしたり、フライトでウトウトしている内に、あっという間にソウル・インチョン空港に到着!

ウォン両替や食事では多少の違いがあるものの、行き交う人々も同じ東アジアの人ばかりで、ホテルへのシャトルバスでも皆様と楽しいお喋りが続いていた。
だからこれまでのダンス旅と違い、まだまだ海外に来た実感はわかなかった(笑)

ホテルにて、一気に海外の雰囲気に

イベントがある会場のホテルにシャトルバスが到着し、チェックインを行っていると、ロビーには世界中から集結したWCSダンサー達が、くつろいだり熱心に動画を見たりしていた。
たくさんの人種の人々がいて、一気に海外に来た実感がわいた。

そこでは、Aya先生が私達を出迎えてくれた。
ホテル到着までも、チーム地方のグループラインで常に私達を気にかけて下さり、
完全に私達の添乗員になって下さっていて、なんと有難いことだろう!

「先生〜!」
「ようこそ!部屋に荷物置く前に、会場のある階で受付すませちゃった方がいいかも。今ならすいてるよ!」

先生のアドバイスに従い会場のある8Fへ行くと、WCS会の世界的スター達がそこにいた。
恥ずかしながら、忙しすぎて私はスター達の事前チェックができていなかった。
「彼女は、韓国、世界を代表 するHeejungだよ!」
「嘘……! Jakob and Emilinも、生でいるんだけど!」
と皆さんが教えて下さることで、彼らがスーパースターだと知る始末ではずかしい。

「こんな所で会えるなんて……」
直前で喘息を発症され、ドクターからキャンセルを勧められる中も体調を推してこのイベントに参加されたRさんは、その場で涙があふれて感激されていた。
皆様の感動具合を目のあたりにして、
「私、これまた相当すごいイベントに来たみたい。入門で完全に場違いかもしれないけれど、WCSイベントは最初で最後になるかもだし、楽しみつくそうっ!!」
とワクワクしてきた。

ゆったり食事ができるのは、初日のみ

「金曜日の夕方にレッスンが始まったら、時間がどんどん遅れて来て実際の休憩時間は30分位だったりするから、日本から食べ物をもってきたり、少しの時間を利用して、下のコンビニでご飯を買っておくといいよ!」
「ええ!スペインフェスと同じ4つ星ホテルなのに、オール・インクルーシブじゃないんですか?」
「このWCSのイベントは、違うのよお。レッスン始まるまでは時間あるし、日曜日Team 日本で食べに行くと思う。韓国料理好きだったら、イベントが本格的に始まる前に食べておくといいかも!」

Aya先生のアドバイスに従い、ルームメイトのYさんとホテルの向かいのショッピングセンターに行き、美しい桜を見ながらおいしいビビンバ定食を食べられたのも、良い思い出になった。

Aya先生の予言どおり、イベントが始まると本当に一息つく時間はほとんどなかった。
金曜は夕方からレッスン。午前0時からショー、そして早朝6時位までパーティー。
土曜日曜は朝から昼は3レッスン、午後は試合(出ない私も応援ができて楽しかった)で夜まで続く。
その後は、休みなくショー 、そして夜中はやはり早朝までパーティー。

「皆さん、体力お化けですか?私、スケジュール聞いただけでくたばっちゃいそうです!食事の時間がないなんて!」
「お化けではないけど(笑)、そんなに食べなくても気にならないのよ♪」
「羨ましいなぁ。だから、そんなに美しくてスレンダーなんですね」

私にとって食事はいつだってマストそのものだが(笑)、このようにWCSの仲間さん達は食べなくても踊れる、真のダンサーばかりだった。
全てのイベントスケジュールを追いかける場合は、ホテル一階のコンビニでお弁当を買い温めて、お部屋で急いで食物を腸に詰め込み(“食べて“いる暇はない。それは、“詰めて“いるだけの感覚だった)、レッスンに向かう、というスケジュールになることは、覚悟しておいた方がいい。

Team 東京、Team日本の温かい声かけとサポート

さて、すばらしいプログラムが、いよいよ幕をあけようとしていた。
濃すぎたイベントの内容に付いては、別記事で詳しく書こう。

ショッピングセンターでも、私とYさんが桜が綺麗などと喜んでいると、茨城のペアさんが声をかけてくれた。

「こんばんは!僕らも日本から来ました!何かのイベントで来られてるんですか?」
「はい、WCS(ウエストコーストスウィング)っていう、アメリカのペアダンスのイベントが、今日からあるので参加していまして……。お勧めですよ!お二方は、観光でお越しですか?」
「はい。……というのは冗談で(笑)今から同じイベントに参加します!」
「わぁ、嬉しい!」

こんな感じでイベントが始まる前から、日本の他地域のWCSダンサーさん達ともお喋りできて、テンションが上がった。
また、いよいよレッスンということでエレベーターを待っていたら、
「タンツさ〜ん!」
「本当に、また韓国で会えたね〜!」
という声が、背後から聞こえて来る。

振り返ると、1ヶ月前東京ダンス遠征をした時にお世話になった、これまた日本を代表をWCSダンサーのおかっち先生とHaruka先生だった!
2人は何度も東京でイベントに通った生徒かのごとく、温かいハグをして私との再会を喜んでくれて、すごく嬉しかった。

2人の魅力的な東京イベントについては、3月の記事に書いた通りだ。

「こ、この方々は……?」
「日本を代表する東京WCSダンサーのおかっち先生と、Haruka先生です!先月、私が東京で行ったあのイベントのオルガナイザーさんです」
「あの、洗礼を受けたって話してくれたイベントの?初めまして、Yです!」
「はじめまして!一緒にレッスンもイベントも、楽しみましょうね!」

「一緒に」という言葉からも分かるように、まるでアメリカ西海岸の人達のごとく、先生達はオープンでフレンドリーだった。
二人のおかげで、私達のイベントへのワクワクする気持ちは、ますます膨らんで行った!

この辺りから、「Team 地方」ではなく、「Team日本」として、日本全国の皆さんといっぱいお喋りが出来た。
特に3月東京のWCSイベントで出会った方々は、一カ月前に私が東京のイベントに参加したことを覚えて下さっていて、たくさんの人が声をかけて下さった。

「3月、東京に来られてましたよね?また韓国で会えて嬉しい!」
「私も嬉しいです!あの時、他の外国人スターの2人と同じように入門者の私まで温かく迎えてくれて、本当にありがとうございました!」

レッスン中にも東京の人達に会うことが出来て、プロでWCSのインストラクターをしている、これまた日本WCSを代表するAyakoさんやUmaさんなども、ハグをして再会を喜んでくれた!

一緒にフラッシュモブを撮影した東京のSさんも、母のように優しく接して下さった。
レッスン編で詳しく書くが、レッスンは途中からグイグイとレベルアップするため、付いて行くのが大変なものもあったのだが、近くにいたSさんは私が恥をかかないように、さりげなく近くに寄ってくれ
「きっとね、右手の下をこっち向きにくぐる感じだと思うよ」
などと、ウインクして優しくアドバイスをしてくれる。

はじめに会った山梨ペアさん達も、会う度に声をかけてくれ、感動を分かち合ってくれる。

パーティーの時間になると、オカッチ先生達と一緒に東京WCSを牽引されているTさんとも再会出来た。
Tさんは3月の東京WCSイベントのパーティーで、WCSが芸術の一種だということを肌全体で感じさせてくれた、凄いダンサーの一人だった。
今回は世界レベルのフォロワー達があちらこちらにいて、その人達と踊る方がずっと楽しいだろうに、入門の私とも再会を喜んでくれ、韓国でも素晴らしいWCSを踊ってもらえたのだった。

どの皆さんも、なんてサービス精神旺盛なのだろう!

地方の方だけでなく、こうして東京や別地方の方もTeam日本となってみんなでサポートしてくれる雰囲気に、気持ちがすごく温かくなった。
WCSはまだまだ他のダンスに比べて踊る人口も少ないからか、より国全体で団結しようという気持ちが強いのかもしれない。
「出場したことはないけど、これって、なんかオリンピックの選手団みたいな雰囲気じゃない?!」
と思った。

それはなんと、イベントが終わった後まで続いた。
試合に全く出ている訳でもなく、入門者で全く目立っている訳でもない私に向けて、東京のWCSの先生達、メンバーの皆さん達が投稿にコメントをくれたり、次々とDMをくれたりするのだ。
それも形式ばったものではなく、メッセージは続くこともあり、彼らは他ダンスの記事にもコメントをくれたりする。
「試合は全て不参加で、全然国にも地方にも貢献してない入門者なのに、なんでこんなに皆さん優しいの……!」
ジーンと来てしまう。

タイムマネージメントが悪く、既述の通り、自主練や定期的な動画チェックが出来るタイプでも全くなく、試合にも全然興味が湧かない、ということで、
「一旦WCSは終わり!」
と決めて参加した、Korean open。

でも本当は、このダンスに強烈に惹かれた。
状況が整えば、また始めたい。もちろん。

このダンスを再開できることがあったら、地方の皆さんはもちろん、Team東京、そしてTeam日本の皆さんとも絶対再会したいと思う。
それに、アジアや世界の中でも輝きを放っている人が多いTeam日本の皆様が、ますます世界で輝かれて行くことを応援して行きたいと思う!

人生初・飛行機内で倒れるー差し伸べられた手

イベント中は夕寝をしたりして健康には気をつけていたつもりだったが、夜通し踊り狂っていたのが良くなかったのか?
それとも、日頃意識して食べないようにしているレトルト商品が数食続いたのがいけなかったのか?
そもそも死期が近いのか?

原因は良く分からないが、土曜日早朝まで踊り明かして充実気分で睡眠して目覚めたその時。
ひどい頭痛と吐き気に襲われた。

今回のイベント中で体調面で痛感したのは、
「身体が丈夫じゃないなら、皆さんと同じようにスケジュールは時々諦めてでも、レトルトが続かないように外に行ってでも健康的な食事を摂る」
「夜中のパーティーやレッスンがいくら楽しくても、食事はゆっくり食べて寝る時間は取ろう」
ということに尽きる。

Yさんにも迷惑がかかるし、出来るだけ部屋の中は汚したくないと思いながらも、部屋の外のお手洗いに行こうと立ち上がると視界がフラフラし、部屋のバスルームでいきなり嘔吐してしまった。

「タンツちゃん!大丈夫?」
アラームで目覚めたYさんはとても心配してくれ、なんと癒しのマッサージ?と言われるレイキをして下さったり、枕を頭痛が減少するようにタオルで作って下さったりした。

Yさんの看病のおかげで、数時間後フラフラながら、歩けるようにはなって来た。
「1コマ目逃しただけでも悔しいのに、後2コマは這ってでも見学してでも受けたい……!今日はWCSを踊る、最後の日になるかもしれないのに、寝てる場合じゃない!」
鎮痛剤も飲んで、私は無理やり2、3コマ目のレッスンを受けることが出来た。
でも、3コマ目の最後のデモの所で再び吐き気が最大限に出て来て、完全リタイアとなってしまった。

チーム地方、日本の皆様、仲良くなった海外勢も出会った人達はすごく心配してくれた。
特にキャサリン先生は一番のショーの盛り上がり中にも関わらずエレベーターまでずっと私を支えてくれて、愛を感じた。
そこからはベッドに入ってからは、空港へのバスが出発するまで、ほぼ動くことも出来なくなり、死人のようにベッドでうろたえていた。

鎮痛剤や薬が少し効いている間になんとか荷造りができ、シャトルバス、そして空港に着けたことに、感謝した。

立っているのもしんどく、幽霊のような面立ちで搭乗を待っていたかと思う。
イベントやパーティーで着飾っていた時とはまるで真逆の姿の自分が、窓から反射して写っている。
そんなひなびた自分に少し笑えて来た。

「タンツちゃん!良かった、自力で来れてたんだね。昨日からLINE送っても既読にならないから、心配してたんだよ」
地方WCSの仲良しで、今回のイベントでも一緒にパーティーやショーを楽しみ尽くしていたNさんが、そこにいた。
「Nさん、同じフライトだったんですね!ごめんなさい。携帯見たらますます吐き気がひどくなるから、体調壊してから全然見れてなくて……」
「俺のことは、別にいいんだよ。このまま日本まで、帰れる?買って来て欲しいもん、ある?」
Nさんが同じフライトで、どれだけ心強かったか分からない。

無事Nさんと予定の飛行機に搭乗でき、その飛行機は離陸した。
「2時間位だし。頑張って耐えような!」
「はい!」
この調子で無事問題なく帰れそうだったのだが……。

機内でうとうとして次に目覚めると、これまた異常な頭痛と吐き気、寒気が復活している。
気圧の変化で、これまた身体が悲鳴をあげたのだろうか。
飛行機は健康な状態で乗らないと危ないのだと、今更ながら痛感させられる。
「ここでおかしなことになる前に、ひとまずお手洗いに行かないと!」
そう思い通路に出た途端、視界が真っ暗になった。

「大丈夫ですか?」
「水を飲みましょう!」
次に気づくと、私は3席に横にならせてもらえていて、フライトアテンダントの方々から水を頂いていた。
私は通路に出た途端、派手に倒れたそうだ。
すぐに、フライトアテンダントの方々が駆けつけてくれたという。
私の身体や足は、柔らかいタオルケットに包まれ、先程の異常は消えていた。
一体、自分の身体がどうなっているのか全く分からないし、我ながらなんて迷惑な客なのだろう!

「すみません。本当に……」
「大丈夫です!この体勢で、苦しくないですか?」
「はい、さっきよりずっと、良くなりました」
「着陸まで後もう少しです。寒い、暑い、あったらいつでも呼んで下さい」
日本、韓国の両アテンダントは本当によくして下さったし、この席だって、一体誰が譲って下さったのだろう。
感謝と情なさでいっぱいになった。

飛行機は無事、地方の空港に着陸した。
シートベルト着用サインが消えた途端、Nさんが寝ている私の方に駆け寄って来てくれる。

「タンツちゃん、起きれる?このまま家まで帰るの、大変じゃない?」
「Nさん、ごめんなさい。なんとか、休み休み帰ります」
「そんなの、心配で見てられないよ。俺に家まで、送らせて!」
「いえ、そんなの申し訳なさすぎます。ここから3時間以上かかっちゃうし」
「いいよ、別に。今日仕事休みにしてるし。荷物はどこ?これね。持つわ。行こう!タンツちゃんも、おぶろっか?」
「さすがにそれは……(笑)歩きます」

Nさんが、何かの映画のヒーローに見えた。
こうしてNさんが重たい荷物を持ってくれたおかげで、フラフラな中も入国審査などを完了でき、バス、そしてNさんの車へと乗り込むことが出来た。
Nさんはとても安全運転だったから、その後は頭痛や吐き気が悪化することなく、家まで戻ってくることが出来た。

最初は中高時代のように有り余ったエネルギーをばら撒き、元気いっぱいの修学旅行の始まりのようなWCSイベント旅行だったが、結果的にこれまでした旅の中で、体調不良アクシデントが発生した旅第2位にランクインする、ドラマティックなダンス旅となってしまい、そこに関しては反省そのそものだ。
私はヨーロッパダンス旅行までに予定していた東京ダンス旅を、この反省からキャンセルした。

場合によっては体調がどこかで急変していた可能性もあったけれど、映画のヒーローのようなNさん、ルームメイトのYさん、Team地方、日本の皆さん、そしてフライトアテンダントの方々が差し伸べてくれた手のおかげで、無事生還出来た。
100歳を超えた老婆のように、自宅でよろよろになりベッドに横になりながら、私は感謝の念に溢れたのだった。

私も彼らのような、手を差し伸べられる人間になって行きたい思う。

Team地方、東京、日本全ての皆様との思い出はこのようにとても新鮮で温かかったから、WCS、そして今回のKorean Openと一緒に何度も思い出されることだろう。
感謝して、次回から実際のイベントの内容に触れて行こう。

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