見出し画像

祖母が、
平成元年のバレンタインズデーに亡くなった父方の祖母が、
若き日の自分が書いた一通の手紙を、他人に見せて回るほど熱心に褒めてくれなければ、
「あおいのきせき」がこのような形で書かれることはなかったでしょう。
そもそもにして、自分が小説を書く気には至らなかった、そう思うのです。

恐らくは大学一年生の時のことだったような、もっと以前のことだったような。

祖母は所謂「戦没者遺族」で、十八で父を授かり二十二になった時に徴兵された祖父はそのまま戻りませんでした。

品川を発つ一瞬の夫の眼に見詰められしに囚はれて生く
金子弥生 「天の花」より

祖母は、戦後まもなくご縁を賜って佐佐木信綱先生の門下、「心の花」の同人となり、歌をつくることを日常としておりました。

件の手紙をどのような経緯で自分が書く事になったのか失念してしまいましたが、書き上げたものを祖母に見せたのでしょう。祖母がその仕上がりにとても驚いていた記憶がございます。そうしてそれを人様に見せて回っていたという話は、後日談としておそらくは母から耳にしたように、ぼんやりと覚えております。

書く事に一生懸命取り組むことに至りました理由は、文章を褒められたことにある、というよりも、

上手な文章と祖母が大層喜んでくれたことにあった、と、思いが至ります。

彼女はほんとうに僕の文章に喜んでいました。
ただ褒められただけでは、言葉を紡ぐ気には、
つまり、
命がけで言葉を紡ごうと、
相成ることにはならなかったと、
思うのです。

此処のところ—数年ほど前迄—ずっと、綴るどころか、文章を読むことすら碌に出来なくなっておりました。おかげさまで少しずつ回復はして来ましたが、まだまだ不自由に感じます。
精進につきましては、努力して参りたいと存じております。

何卒御贔屓に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?