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“ママ友”って結局どういうポジション?

ママ友って言葉はあるけれど、ママ友は友だちとは違うのだろうか?

自分に子どもができてから、たびたび思うことがあった。

1歳を過ぎて本格的に公園に通いだしてみると、そう大して差のない年のお子さんと親御さんに、必ず1組はお会いし、挨拶したり、時には少し会話をすることもある。

何回か顔を見れば、「あぁ…この前の…」とお互いに探りを入れつつお互いに覚えていれば嬉しくて少しずつ会話が弾んでいく。うまくいけば連絡先を交換し、会う日時を決めて一緒に遊ぶこともある。

もちろん「話しかけるな」オーラ全開な親御さんや、逆に、全員にもれなく挨拶をし会話をし仲良くなっていく、公園のアイドルのような方もいらした。本当に十人十色。

そうして数少なくとも親御さんと接する機会をもって気づけたことがある。

ママ友は、所詮子どもを経由した関係である、と。

”ママ”友なのだから、子育てをしているママ(言葉のとおりママで話を進めますが、パパでもババでもジジでも誰でもいいです)、が大前提にある。その人たちはそれぞれに生活リズムがあって、育児に割く時間、家事に割く時間、仕事やその他の用事に割く時間、同じ24時間という限られた時間の中で一日一日のスケジュールを組んで動いている。ママ個人が好き勝手動ける時間はほとんどない。

そのスケジュールの中にある「育児に割く時間」の中に、公園で遊ばせるというミッションがある。公園でなくてもいい、児童館でもいいし、何か保育のイベントでもいい。とにかくだ、それは、

ママが、遊ぶ時間ではない。

ママが、子どもを、遊ばせる時間だ。

この少ない時間に顔を突き合わせる、それが”ママ友”だ。

そう考えれば、何とも条件的な関係だ。各人の一日のスケジュール、生活リズムの中で、あくまでそこに子どもがいるときにのみ子どもを通して成立する関係。

積極的に話しかける人は、たいてい自分の子どもをより多くの子どもたちと遊ばせてあげたいと思っている人だし、話しかけるなオーラを出している人は、おそらく足止めされたくないと思っている人なのだと思う。それぞれがそれぞれの時間的制約の中で決めた育児のルールに則って動いている。それだけのことだ。

そう考えれば、その人に会いたくて連絡を取り、スケジュールをおさえるという”友だち”のような関係は、原則的に”ママ友”に求めるべきではないだろう。ここに大きな違いが出てくるというわけか。

だからこそ名前も、”友だち”ではなく”ママ友”なのだろう。この言葉を考えた人は絶妙に関係性を分かっている人なんだなと(間違ってたらすみません…)感心してしまった。

もちろん親御さん自身とすごく仲良くなれれば、子どもから手が離れだしたあたりから個人的にお付き合いすることも増えていくだろう。こうなれば、きっと”友だち”という関係と言っていいのかもしれない。


ここまで考えて、”ママ友”が欲しいといって一生懸命親御さんに接触して仲良くなろうとする人がいると聞くけれど、それはきっと”ママ友”が欲しいのではなく、”ママをしている人と友だち”になりたい、という意味なのかなと腑に落ちたところで、私は果たして、”ママをしている人と友だち”になれるのか。少し楽しみなのであった。

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