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希望を持つことそれ自体が闘いだ

雨が上がり、夏の陽射しの午前。さきほど、LGBT理解増進法が可決されましたが、これからできること、やるべきことはたくさんあります。諦めさせることを目的にした法ともいえるので、諦めない意思表示をすることがすなわち闘いとなると、そう考えています。
#LGBT理解増進法は差別増進法だ

(1)「正当な差別」をしてくる者に対して、差別はすべて不当で間違っており、いますぐそれをやめろと指摘する。これまでやってきたこの指摘を、差別への反対を、これからもずっと続けましょう。そして手の届く範囲のコミュニティの紡ぎ直しを意識して行い、つながりましょう。孤独に感じるひとと手をつなげるように。闘いに加わることのできないひとも含めて。希望を信じるひとを少しでも増やすように。

(2)LGBT差別を禁止する法、あるいは包括的な差別禁止法をつくり、それをこのLGBT理解増進法の後継の法律、あるいは統合する法律とすることで、今日可決されたLGBT理解増進法を廃止させましょう。そのためには、きっと与党をひっくり返す必要があるでしょう。投票に行くこと、必要なら選挙運動に関わること、それぞれやれることはあるはずです。

(3)国賠訴訟。LGBT理解増進法によって、人権を蔑ろにされた個人がたくさん生まれることになります。法成立の過程で書き換えられたりつけ加えられたりしていった言葉の意図は、差別を是正するためのものであり、LGBTQ+の立場のひとを攻撃するものです。裁判を通じて、全国から、国の責任を問う声をあげることができるのではないでしょうか。

いま思いついたものをあげましたが、少なくとも(1)は明日を待たずともいますぐ始められることです。「希望を持つことそれ自体が闘いだ」という言葉は、状況の酷さをあらわすとともに、やはり力を与えてくれるものだと考えています。闘いを強いてくるものがいる限り、闘わざるを得ない。闘わされることがすでに不当なのですが。闘いを続けましょう。

でもここのところ、ちょっとしんどかったので、休むことも大切ですね。

この法について、シスジェンダー、ヘテロセクシャルのわたしはどのような向き合い方をすべきか、逡巡がないわけではありませんが、多数のひとりとして差別をする側のひとりとして、我がこととして考えています。

先日Twitterに次のように書きました。
「信じるということは、片手でなにかを掴んだ不安定な状態のようだと思う。離せば崩れて転んで落ちるけれど、離さなければなんとか重心をうまく座らせながらやっていけるかもしれない。永続的な安定でなくてもいいので、ひとときひとときの安定をその都度つくって、それをやり続けていきたい。」
https://twitter.com/gktngc/status/1669022894557650951?s=20
信じること、希望を持つこと、それを強いられることもまた苛烈な状況からのことですが、とにかくそれを生きる力にしていきたいと思っています。

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