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遅すぎることはない、スタートしよう!〜母の死に思う

(写真は京都御所裏手の路地に咲いていたしだれ桜:2023年3月撮影)

86歳の母が他界しました。

その2週間後、しばらく投稿の途絶えていたnoteにログインしました。
でも、上のさくらの写真を選んで一行目を書いたところで止まってしまいました。

3月22日、WBCで日本の勝利を待っていたかのように、窓から満開の桜が綺麗に見える病室で母はこの世を去って行きました。

それから4ヶ月。

ここで日記のように、徒然と波のように来ては引いていく感情を連ねることはしたくありません。

私のnoteを読んでくださる方に、「ひとづくり」について何らかの価値提供をするために、書き始めた考えを変えてしまいたくないのです。

ビジネスや日常生活でも、「ひとづくり」に関わることを書いていますから、どうしても「ひと」にまつわるエピソードを通して書くことになります。

そんな思いから、私が母の旅立ちに際して学んでいることを書くことにしました。

ちょうど「現在進行形」シリーズというマガジンをつくってありました。「ライブ」ではないのですが、過去になっていない状態で自分の状況から学んでいることを書いた記事を載せています。

ここに、この記事を載せれば良いのだな、と自分を納得させて書いています。


走り続けた母

母の旅立ちは、86年間走り続けた母らしいものでした。

独身時代から高校の教員として仕事をしていました。「女性は家で家事をしていれば良い」との価値観から、大学進学を母親から反対されたようです。大学進学、就職の後同じ教師の父と結婚することになります。

でも休んでいたのは、姉が生まれてからと私が3歳になるまでの5年間だけ。
父も母の職場復帰を支援して、母が全日制の高校へ、父は定時制高校で教鞭を執るようになりました。

高校で教えながら、夜間の大学院へ通うようになり、卒業と同時に、先に大学で教えはじめていた父を追うように、大学で教えるようになります。受け持っている授業がいっぱいになると、空き時間を使って他大学へ講師として教えに行くようになりました。

それでもペースを落とすどころか、学生たちを世界の様々な国々につれて周り、国際交流センターを創立しセンター長を務めるというモーレツ教授でした。

その間、母は家庭をおろそかにしまいと、炊事洗濯をこなして手料理を欠かすことは、ほとんどありませんでした。


定年退職?

定年退職を迎える前に、自分の時間ができたら何か取り組みたいと言い始め、今までやったこともない太極拳に取り組む事を決めました。

そして、数年の間に教える資格を取って太極拳を教えると宣言しました。

退職すると朝から晩まで今日はここ、明日はあそこと太極拳三昧。
もっと上手くなりたいと中国まで出かけていきました。

甲斐あってシニアの地区チャンピオンになり、教える資格も取り、地元で太極拳を教えはじめました。

「教師をしていなかったら、オリンピアンになれたかもしれない。職業間違えたかも?(笑)」

などと冗談を飛ばしていました。

そんな中、昨年の秋に体調を崩し検査をすると「膵臓癌」が発見されました。

最後の決断

母は手術やアグレッシブな治療はいらないと早い段階で決めていました。

これで人生を閉じるのなら、なるがままにするとの事でした。

何年か前にペースメーカーを入れる手術をして、もう手術はこれで最後と決めていたようです。

病状が進んで緩和ケアに入院する数週間前に、教えていた太極拳のクラスを教えられなくなるほど弱っていました。

生徒さんたちには、知らせずに最後のクラスを決行するとのことでしたので、私も都合をつけて見学させてもらうことにしました。

クラスでは立って指導することも難しくなっていたので、生徒さんたちが今日は体調がすぐれないようだから、中止しましょうと気遣ってくれました。

でも、本人はやりきると決めていたようで、最後まで指導をしました。
後日、生徒さんたちにはその日のクラスを最後に太極拳教室を閉じると連絡しました。

それからほどなくして緩和ケアに入院し、3週間後、病室の窓越しに見えるさくらの大木が満開になるのを待っていたかのように、旅立ちました。

桜を見ながら旅立ちたかったようで、願ったり叶ったりの最期でした。

遅すぎることはない

ここまで読むと、最初に言った徒然と母親の最期について、書いているだけじゃないの?と思われるかもしれません。

ここからタイトルに上げた「遅すぎることはない」ことについて書きますね。

母は高校教師としてのキャリアを進めながら、50歳を過ぎてになって夜間の大学院に通いました。修士号を取得すると、大学へと教える場を変えました。

定年退職後、60代後半から太極拳を学びはじめ、シニアの地区チャンピオンになり、地元で太極拳を教えはじめました。この世を去る1ヶ月前まで教え続けていました。

「教える」人生を最後の最後まで貫いていました。

緩和ケアに入院して母は、「やりたいことを全部やらせてもらった」と話していたようです。

人生の終わりに際して、ほとんどの人は自分の人生を振り返って「やっておけばよかった」と後悔する事があるようです。

そんな後悔をしたくないと、「終活」が盛んなのもうなずけます。

これを読んでくださったあなたは、今何歳ですか?

あと何年生きるのか、誰も分かりませんが、自分の最期に「あれをやっておけば良かった」と思いたくないでしょう。

今いくつであっても新しい一歩を踏み出しましょう。


最期までお付き合い下さりありがとうございます。



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