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麗しき毒蛇の復讐 最終章

最終章 涙  

県道から枝分かれした狭い林道脇に、生い茂る雑草に前輪を突っ込んだまま、一台の黒いジープが止まっていた。
車にはフロントガラスがなく、タイヤもなくなった右後輪はホイールまでが歪んでいる。ジープのすぐそばには、一人の林業従事者とおぼしき男性が、頭から血を流し、アスファルトに顔を突っ伏して倒れていた。
恐らく麗巳は、男性が運転していた車を奪い、そのまま逃走したのだろう。
その日の夜、重体となっていた男性が所有する軽トラックが、青梅市内のコインパーキングで警察によって発見された。

とあるマンションの一室。
ここは麗巳が自分の部下にさえも教えていない、秘密のアジトだ。
海槌麗巳が大きな鏡の前に座っている。
ゆっくりと、唇に真っ赤な口紅(ルージュ)を引いていく。

一度ならず二度までも、憎き学生刑事に自分の野望を阻止される屈辱を味わった麗巳。
凄まじい怒りと同時に、今まで味わったことのない感情によって、自分の胸中がじわじわと侵され続けていることを、彼女は認めざるを得なかった。

三十年前は、自分にも油断があった。麻宮サキの息の根を止めるチャンスは幾度もありながら、相手を甘く見過ぎて、最後は一騎打ちの局面にまで追い込まれた。
しかし、今回はかつてのような愚は冒さぬよう、最初から計画的に暗闇機関を頭から潰していき、徹底的に学生刑事達を排除しにかかった。にもかかわらず、雨宮優子を何度も取り逃がし続け、結局今回の事態に至った。
日本における本拠地も、多数の部下も失くしてしまった。R機関は事実上消滅した。おまけに麻宮サキについては、未だ居場所を把握することすらできていない。
麗巳のプライドはずたずたに傷つき、潰れそうになっていた。

麗巳の脳裏には、ある疑問が生じ始めていた。
その疑問とは、果たして自分は本当に、日本を支配するに足り得る器なのか否か、ということだ。

だが、私は海槌麗巳だ。麗奈・氷川・アンダーソンだ。成功者として、支配者となるべき者として、この世に生を受けた人間のはずだ。そのことを今すぐ確かめ、この場で立証してみせる必要がある。
そうやって、自分のプライドを取り戻さない限り、私はこの場所から、もう一歩たりとも動くことができない。

麗巳が鏡の前の台から、一丁の回転式拳銃を取り上げた。
スナブノーズと呼ばれる銃身の短い、スミス&ウェッソンⅯ49のシリンダーを開き、細長い指で目の前の台から黄金色に光る三十八口径の銃弾をひとつ、つまみ上げる。慣れた手つきでするりと銃弾を薬室に装填し、また閉じた後、シリンダーを勢い良く回転させた。
ロシアンルーレット。確率は五分の一。
今、この状況でこの低い確率で死ぬのであれば、自分は所詮その程度の人間に過ぎない、ということだ。

鏡に映る自分の目を見つめながら、麗巳はゆっくりと黒光りする銃口を自分のこめかみに当て、右手の親指に力を込め「カチリ」と撃鉄を起こした。

(今ここで自分の胸に去来するものは?)

麗巳が鏡の中の自分に問いかける。

(何もない)

(私は死ぬのが怖くない)

柔らかな微笑みを浮かべ、麗巳は細長い人差し指を引き金にかけ、

引いた。

「カチッ」

乾いた音を立て、銃の撃鉄が空の薬室を打った。

「そう。そういうことなのね」
麗巳は瞬きひとつせず、鏡の中の自分を冷徹な表情で見つめた。
銃のシリンダーを後ろから見ると、銃弾は撃鉄が打った薬室のひとつ左にあった。
(そう、お前にはまだやることがある)
父、剛三の声がしたのは自分の気のせいだったのだろうか。
「そうね、まだ、C計画は終わった訳じゃないものね」
だがすでに、自分は警察に指名手配されていてもおかしくない。しかし、警察に逮捕され、世間に醜態をさらすことだけは、絶対にこの私のプライドが許さない。

麗巳は鏡の前から静かに立ち上がり、隣の部屋の隅にあるロッカーの前に立ち止まって扉を開くと、中から幅の広い黒いベルトを取り出した。
同じロッカーから、黒く太い、一見ボールペンのように見える、あるものを取り出す。
麗巳はそれらを机の上に並べた。
「いざとなればいつでも死ねる。でもその時は、できれば麻宮サキを、せめて雨宮優子だけでも、道連れにしたいものね」
海槌麗巳の顔には、妖気漂う冷たい笑みが浮かんでいた。

東京霞が関に建つ、とあるビルの薄暗い一室。
「失礼します」
「どうぞ入りたまえ」
「局長、ご無沙汰しております」
「よく来てくれた、織島みゆき君。何年ぶりかな。その後、胸の肺の具合はどうかな?」
「おかげさまで、肺の方は近年ほとんど問題ありません」
「そうか、それは良かった。ところで今日、君をここに呼んだのは……。実は今、君もよく知っているある人物が、日本国内で大きな悪さをしている。……何を隠そう他でもない。海槌麗巳だ」

織島みゆきはその名前を聞いた瞬間、非現実的な、まるで異空間に放り込まれたような奇妙な感覚を覚えた。
今はいつだ? ここはどこだ? でも局長は、確かに海槌麗巳と言った。
ある意味自分の運命を決定付けた、忘れたくても忘れることのできない、「ライバル」の名前。まさか今ここで、その名を耳にするとは夢にも思わなかった。
だが、あり得ない。困惑の表情を隠したまま、織島みゆきは局長に答えた。
「あの、おっしゃっていることの意味が良くわかりません。海槌麗巳はすでに死亡しています」
「海槌麗巳は生きていた。指紋も確認した。奴は名前を変え、三十年間アメリカで過ごし、大きな財も築いている。彼女は今から二か月ほど前に来日した。君の生存を知った海槌麗巳が、君と暗闇機関に復讐するためにな」
「すぐには……信じられません」
「最近、君の上司である岡崎君から、君の身の回りで何か変わったことはないか、聞かれたことがあっただろう?」
「あ、はい。その時は、ある日本人に成り済ませた北朝鮮の工作員に対する、日本国内における利害関係者の調査中でした。その件に関してのことだと思っていましたが」
「その後君の身辺に、複数のガードが付いていたのは気付いていたかね?」
「はい。それも先ほどの北朝鮮工作員に関するものだと。それほど、その工作員と本国も含めた北朝鮮の動きが活発なのだと思っていました。人手も予算も足りないうちの組織にしては、また珍しく、ずいぶんと面倒見のいいことだと、半ば呆れていましたが」

五年前、当時のインテリジェンス好きな内閣総理大臣の肝いりで設置された、内閣情報調査室におけるヒューミント(人的情報)専門部署である「第一情報部」に、織島みゆきが警視庁公安部から出向して四年。
その第一情報部も、昨今の行政改革のあおりを受け、予算は年々減らされる一方だ。そもそも、公安調査庁との明確な役割分担があいまいなまま発足した組織は、今も縮小や廃止の噂が絶えない。
「岡崎君が尋ねた時点で、海槌麗巳が君の行方を捜索していることをすでに我々は把握していた。だが問題はそれだけではない、奴はこの日本でとんでもないテロ計画を立てていたことが、つい最近になって判明した。だが、我々はある事情により、ずっと身動きが自由に取れない状態が続いている。織島君、暗闇機関について、最近何か聞いたことはあるかね?」
「……何かごたついていると。……ひと月ほど前に小耳にはさんだ記憶はありますが、詳しいことは何も……」
「海槌麗巳によって暗闇指令は暗殺された。暗闇機関も学生刑事一人を残して、あとはほぼ全滅した」
「そん……な、まさか!」
「そのまさかだ。だが、最後の学生刑事と例の風間姉妹のおかげで、海槌麗巳の日本国内の拠点を壊滅させることができた。ただ海槌麗巳は現在逃亡中だ」
「逃亡中……」
「その海槌麗巳が、今日の夕方の便で、成田からアメリカに出国しようとしていることが昨日になって判明した。だが、我々はそのある事情により、表立って動くことができない。そこで、日本国内において海槌麗巳のことを最も良く知る君に、単独で秘密裏に動いてもらうことにした。本日時点を持って君は内閣情報調査室への出向を解かれ、警視庁公安部第四科の「特別対策室」へ異動してもらう。詳細はこのファイルに記してある」
局長が机の引き出しから一束のファイルを取り出し、机の上にパサリと置いた。
「ファイルは後ほどじっくりと読んでくれたまえ。そして織島君。君に拳銃の携帯を許可する」
「!」
「時間がない。いざとなればその学生刑事の力を借りてでも、必ず海槌麗巳の出国を阻止してくれ」
「出国を……阻止……」
「頼んだぞ」

局長は逮捕しろ、ではなく、出国を阻止しろと言った。つまりその際、海槌麗巳の生死は問わない、ということである。それにここ十数年、射撃訓練どころか拳銃を握ってもいない私に銃の携帯を許可するなど、よほどのことだ。海槌麗巳は、この日本でいったい何をしでかしたのだろう。
織島みゆきは、今すぐ目の前のファイルをひったくって、目を通したい衝動にかられた。

局長の部屋を辞去した織島みゆきが、エレベーターに一人乗り込む。
B1のボタンを押し、ふと、左の手のひらに刻まれた十字型の古傷を見つめ、そっとつぶやいた。
「麗巳……」
十数年ぶりに、背中のやけどの跡がうずいたような気がした。

結花の家は静まり返っていた。
麗巳の屋敷での戦闘から二日目の朝、午前十時をとうに過ぎた頃。結花と唯と優子が居間のソファーに座っている。三人とも体中の包帯や絆創膏が痛々しい。
全員がそれぞれ暗くふさぎこんでいる。特に麗巳を取り逃がした優子の落ち込みっぷりは、端から見ていられないほどだった。
実は優子がバイクで麗巳のジープを追いかけている途中、青梅市街へ入る直前、前方に赤信号を無視して強引に右折し、猛スピードで走り去る白い軽トラックを見かけていたのだ。
だが、麗巳が車を奪って逃走していることを知らなかった優子は、その時の軽トラックの動きに妙な違和感を覚えたのだが無視をしてしまった。
その後、唯、結花と共に結花の家に戻った優子は、唯が櫂庵と電話で話している最中、麗巳が軽トラックを奪って逃走中だと聞き、計り知れないほどのショックを受ける。
もちろん、優子が見かけた軽トラックを麗巳が運転していたとは限らないが、その可能性は非常に高いといえた。
海槌麗巳は、この日本でおぞましい計画を立てていた。その麗巳を、絶対に取り逃がしてはならなかった。
あまりの不甲斐なさに、優子は今にも、自分で自分の舌を嚙み切りたい衝動に襲われる。
麗巳の屋敷から持ち帰ったファイルは、櫂庵和尚から遣わされ、昨日結花の家を訪れた風魔の一人に結花が直接手渡した。ひとつ、結花達の肩の荷が下りた。
「C計画」と表紙に記され、恐怖の計画が記載されていたファイルは、結花や唯、優子が自分達だけ持っておくには、余りにも荷が重過ぎる代物だった。
唯が櫂庵と電話で話した時の口ぶりから、かつて暗闇指令の側近であり、現在は政府内の組織にいる一人の人物について、櫂庵には心当たりがあるらしい。
あのファイルは櫂庵を通じ、櫂庵の知り合いとみられる人物によって、すでに政府内に持ち込まれており、今後何らかの対処がなされるであろう。
東は救急車で病院に担ぎ込まれたまま、ずっと危険な状態が今も続いている。

「プルルルル」
突然、唯の携帯電話に着信が入る。知らない電話番号だが、唯はあえてその電話に出た。
「もしもし」
「もしもし、松岡唯さんの携帯電話でよろしかったでしょうか?」
優しく落ち着いた感じの女性の声だった。もちろんその声は、唯には聞き覚えがない。
「はい」
「ごめんなさい。あなたの電話番号しかわからなかったので。これから話すことを雨宮優子さんにもお伝えください」
「あなた、誰?」
不審な電話に唯が警戒の声をあげる。
唯の口調の変化に気付き、優子と結花も顔を上げ、唯の険しい顔を見つめた。
「海槌麗巳は、本日午後六時五十分発のアメリカン航空の便で、成田からアメリカへの出国を予定しています」
「えっ?」
「では、確かにお伝えいたしましたので」
「あ! あの、すみません。そちらどちら様でしょうか?」
唯の質問に電話の向こうでひと呼吸置いた女性が、答えた。
「今の名はありますが……、本名を言ったほうがわかりやすいかな?   麻宮、サキと申します」
「えっ?……。えっ! えええええええええっ! あ! もしもし! もしもし!」
電話は切れていた。

海槌麗巳はタクシーで成田空港に向かっていた。気分は完全に落ち着きを取り戻している。
(いずれにせよ、元々C計画発動前には日本を離れる予定だった訳だし、とりあえず一旦アメリカに帰って態勢を立て直す。その上でC計画はまたやり直せばよい。Cウィルスはすでに完成しているし、治療薬とワクチンの開発も概ね目途が立っている。資金もまだたっぷりある。暗闇機関は潰したし、残るは雨宮優子の小娘一人だけだ。あれもいずれ何らかの手段を使って必ず始末する。ただひとつ、麻宮サキへの復讐を果たせなかったことだけが、心残りでならない。本音を言えば、そのためだけに来日したようなもの。しかし、いずれC計画発動前には必ず見付け出し、確実にこの手で始末してくれる。それまではサキ。あなたを生かしておいてあげるわ)

成田空港に着き、麗巳はタクシーを降りた。時刻は午後五時十分を回ったところだ。
麗巳が「幸子・折笠・ウィリアムズ」という、実在するアメリカ国籍を持つ他人名義の精巧な偽造パスポートを懐に、エスカレーターでチェックインカウンターのあるフロアーへ進む。
時折警戒しながら辺りを見渡すが、雨宮優子も警察官らしき姿も見当たらない。
(あの老人達に嗅がせた媚薬は、まだ効いてるみたいね)
アメリカン航空のチェックインを済まし、係員にスーツケースを預けると、麗巳はそのまま保安検査場へと向かう。
(ふふ。保安検査場の中に入ってさえしまえば、雨宮優子はもう追って来られまい)

その時。
保安検査場入口の近くに、自分を見つめる一人の女性がいることに麗巳は気が付いた。
薄い青色のスーツを着て壁に背をもたれ、腕を組みながら立っている。
思わず足を止めた麗巳が、女性の顔を穴が開くほど凝視する。
すぐに目を吊り上げ、歪んだ笑い顔を浮かべた。

サキ! 麻宮サキ! 見付けた! ついに見付けたわ!

女性は麗巳が自分に気が付き、こちらへ向かって歩み出したことを確認すると、素知らぬ顔をしながら歩き始めた。
麗巳が静かに女性の後を追う。その途中、あるものをバッグから取り出すと、そっと自分の懐へ移した。
やがて女性は、ある「STAFF ONLY」と書かれた扉のドアノブに手をかけ、チラリと後方の麗巳を振り返る。お前も入って来い、と誘うかのように。
女性は扉を押し、中へと入っていった。
麗巳も後に続き、扉をそっと押し開けて中を覗く。が、誰もいない。ゆっくりと扉を開けて中へ入り、さらに奥への方へと静かに歩いていく。

「まさか本当に、あんたが生きていたとはね。麗巳」

聞き覚えのある声を背中で聞いた麗巳が慌てて後ろを振り向く、とそこに、麻宮サキが腕組みをしながら立っていた。
(扉の陰に潜んでいたのかしら。小賢しい真似を)
麗巳はじっくりと、麻宮サキの顔を見つめた。
あの頃より、もちろん歳こそ取ってはいるが、この私を見据える目付きは間違いない。確かにあの、麻宮サキだ。

「サキ。あなたこそあの毒ガスと爆発の中、よく生き延びられたわね」
「なぜ日本に帰ってきた?」
「もちろんあなたに復讐するためよ。あなたが生きていると聞いて嬉しかったわ。やっとこの手で私や妹達の恨みを晴らせる時が来たってね」
「私や暗闇指令を恨むのはわかる。けど、関係ない今の学生刑事達まで殺すことはなかったじゃないか!」
「ホホホ。どこかで聞いたようなセリフね。あなたにはわかるでしょ。かつて学生刑事とやらに、私や妹達がどれだけひどい目に遭わされたか。ああいう目障りなものは速やかに日本から排除すべきもの。そもそも、学生刑事なんて存在自体、あり得ないわ。本来はこの世の中に存在してはいけないもの。そう思わない?」
「思わないね。なぜなら、現実に暗闇指令が任命した学生刑事という存在によって、海槌家による日本支配などという、三十年前のお前達の汚い野望は潰えた。その事実こそが! 学生刑事という存在の正しさを立証している!」
一瞬、気色ばむ麗巳。
「それに私が退いた後も、歴代の学生刑事達の働きによって、人知れず日本の治安は守られてきたんだ。お前が想像もできない戦いの中でね」
「ふん。なんとでもほざくがいいわ。けれど所詮、私にとって暗闇機関の連中にしろ、学生刑事にしろ、お前に対する復讐のついでみたいなもの。ほとんど皆殺しにしてやったけど、私の恨みなんかちっとも晴らせやしなかったわ。 あ、でも暗闇指令の頭を吹き飛ばした時だけは、ちょっとすっきりしたかしら。最後まであなたのこと、死んだの一点張りだったけど」
「麗巳。貴様という奴は……」
「それだけじゃないわ、サキ。私が本当に恨んでいるのはこの日本。可愛い二人の妹を獄中で死に追いやり、私をこの国から追い出した日本という国家そのものよ!」
「逆恨みもいい加減にしろ! 全てはお前達の下らない野望のせいだ!」
「その日本を裏から支配するまで、あと一歩のところまで来たのよ。それをあの、雨宮とかいう小娘が。奴以外の学生刑事は、皆とっくに叩き潰してやったのに。たかが高校生が、本当に余計なことをしてくれたわ」
「あんたは何もわかっちゃいない。桜の代紋の重さ、学生刑事といえど、それを持つ者の矜持、誇りというものをあんたは何にも理解していない。そんな人間には所詮、何ごとも成し遂げることはできない。もうおとなしく自首しろ! 海槌麗巳!」
「アハハハハ! 自首ですって? 私、そういうジョーク好きよ。でもその気はないの。久しぶりに会えて名残惜しいけど、そろそろお別れよ。じゃあね。さよなら、サキ」
微笑みながら、麗巳が懐から黒っぽい何かを取り出した。
(まさか拳銃? いや、スマホ?)
すると音もせず自分に向かって何かが飛んでくる。サキは咄嗟に身をかわした。
突如左腕に走る鋭い痛み。
サキは自分の左腕を突き刺し貫通する、細長い針を見た。
「クッ、ニードルガン?」
「チッ、急所を外したか」
「気でも触れたか。そんなもの、空港のセキュリティチェック、通る訳ないのに!」
赤い鮮血を指先から滴らせながらサキが叫ぶ。
「これは私が大金をかけて作らせた、お気に入りの特注品。今まで空港でもどこでも一度もばれたことはないわ。それに威力も凄いのよ。人間の頭蓋骨ぐらいは平気で貫通するわ」
麗巳がサキにニードルガンの照準を合わせる。サキは必死に身をかわすが、セラミック製の鋭く尖った針が、サキの右の太腿に深く突き刺さった。ガックリと床に膝をついたサキの青いスカートに、じわりと血がにじんでいく。
麗巳が上から見下し、ゆっくりと歩きながらサキに近づいた。
もう嬉しくてたまらないという恍惚にも似た表情で、ニードルガンをゆっくりとサキに向け、照準をサキの眉間に合わせると、最後にひと言、静かに語りかけた。

「さようなら」

その時、針が突き刺さったままの左手で、サキが脇のホルスターからリボルバー、Ⅿ360J ”SAKURA”を抜き出し銃口を麗巳に向けた。
直後、狭い通路に一発の銃声が轟き渡った。
咄嗟に身をかわした麗巳の、驚きに満ちた顔の左頬を三十八口径の銃弾がかすめていく。
同時に麗巳が発射したニードルガンの針も、サキを逸れ背後の鉄の扉に当たり、乾いた音を立て跳ね返ると床に転がった。

SAKURAとニードルガンをお互いに向けながら、じっと睨み合う、サキと麗巳。
そのわずかな時間、二人の時が止まる。

「何だあ、今の音」
突然、奥の通路の扉を開けて、作業着を着た一人の空調設備関係の業者が訝しげに入って来た。
「えっ……」
目の前の状況に、思わず業者の男の体が固まる。
サキが一瞬、わずかに男に気を取られた。
麗巳がニードルガンを発射し、針が瞬時に避けたサキの右こめかみをかすめていく。
体勢を崩し、サキが通路の床に倒れこみながらも、再びSAKURAの引き金を絞るが、銃弾は麗巳を逸れコンクリートの壁を削って跳ね返り、作業員が入ってきた金属製のドアの上部に当たって激しく火花を散らす。作業員が慌てて床に顔を伏せ、体を震わせた。
その隙を見て、麗巳は入って来た時と同じ扉を開けて逃げて行った。さすがに銃弾が持つ凶暴で圧倒的な破壊力に対し、ニードルガンの細い針では分が悪すぎると、麗巳も認めざるを得なかった。
「待て! 麗巳!」
血を流しながら、床に這いつくばったままのサキの叫ぶ声が、通路に虚しく響き渡る。
空港のロビーに出た麗巳が、全力で走りながら思わずつぶやいた。
「なぜ、サキが銃を?」

空港のチェックインカウンターには、旅行用の大きなスーツケースを持った多くの人達が並んでいた。
「見当たらないわね、海槌麗巳」
セーラー服姿の優子が焦りを隠せない口調でつぶやく。
「もう保安検査場通って、搭乗口まで行っちゃったかも」
唯が保安検査場の入口を睨んで言った。
「あの事故渋滞さえなければ」と、唇を噛み悔やむ結花。
その時、こちらに向かって走って来る麗巳に、優子が気付いた。
「いた! 海槌麗巳!」

麗巳が前方にセーラー服姿の女を視認する。
(雨宮優子!)
優子がすかさず麗巳の前まで走って立ちはだかり、左手でヨーヨーを構え投げ放とうとした、が、優子よりわずかに早く、麗巳が何かを構え、何かが音もなく飛んでくる。
一瞬、優子の脳裏に避けようという考えと同時に、後ろには一般の人達がいるという思いが交錯した。咄嗟に体をひねった優子は右腕に針を受けてしまう。針は右腕の筋肉を突き刺し、上腕骨に食い込んで止まった。
「ううっ!」
「優子!」
唯が慌てて駆け寄る。
結花が素早く折り鶴を投げようと構えるが、それを見た麗巳が結花に向けニードルガンを発射した。結花が持つ折り鶴に当たり、火花と鋭い金属音をたて、折り鶴と針が跳ね飛んだ。
麗巳が後ろを振り返ると、ドアを開けて出てきた、血まみれの麻宮サキが追ってくる。麗巳はサキを一目見るなり、慌てて走り出した。
結花が再び折り鶴を放とうとしたが、すでに麗巳との間には多くの人が行き交い、折り鶴を投げることはできない。唯はヨーヨーを持っていない。優子に返したままだ。

唯と結花が麗巳の後を必死に追いかける。だが、麗巳との距離はなかなか縮まらない。
「結花姉ちゃん。私、なんだか体が重くて、速く走れないんだけど」
「うん、私も。櫂庵和尚が言ってた修行の反動が、今頃現れてきたのかも」
二人を大きく引き離したまま、旅行客の間を器用に駆け抜けながら、麗巳が後ろを振り向き、ほくそ笑んだ。
(ふん、伊達に普段から体を鍛えていないわ)

突然、足に糸の様なものが絡まり、麗巳が空港ロビーの床に派手に倒れ込み、二メートルほどそのまま滑っていく。
一旦起き上がろうとしたが、今度は上半身を糸でからめとられてしまった。

「由真! よくやった!」
「由真姉ちゃんえらい!」
結花と唯が勢いよく駆け寄ってきた。
「二人が追っかけていたから捕まえちゃったけど、よかったのかしら」
リリアンを手にした次女の由真が、半ば困惑気味に口を開いた。
「お手柄よ! 由真! それよりあんた、マッキンリー、行ってたんじゃ、なかったの?」
息を切らせながら結花が尋ねた。
「旦那がおなか壊しちゃって。暇だから二人を驚かそうと思って内緒で日本に来ちゃった。で、この人、誰?」
その時、鋭い爪で糸を切り離した麗巳は、由真を突き飛ばし、結花と唯にぶつけた。
不意を突かれ床に倒れ込んだ三人に向け、麗巳が自分に巻き付いていた糸を投げつけ、再び走り出した。
その麗巳を、右腕から血を流しながら優子が追跡する。

一度屋外に出た後、どこをどう走ったのか憶えていないが、気が付けば麗巳は、大きな建造物の開口部の中に立っていた。
そこはすでに使用されていない、巨大な飛行機の格納庫の様だった。今は飛行機の姿も整備員の影もなく、ただ、ガランとした空洞のような状態となっている。
この奥はどう見ても行き止まりだ。
その時。

キュルキュルキュルキュル シュタッ

聞き覚えのある音を聞き、麗巳がハッとした表情を浮かべた。

キュルキュルキュルキュル シュタッ

沈みゆく夕日を背に、ヨーヨーを上下にスクロールさせ、ゆっくりと歩きながら優子が現れる。
麗巳は、怒りとも笑いともつかない顔をして振り返った。

キュルキュルキュルキュル シュタッ

「もう逃げられないよ。観念しな。海槌麗巳」
優子がヨーヨーを左手で構えながら言い放つ。
「来たわね、雨宮優子。いいわ、ここで決着を付けましょう。今、私が直接この手で、あなたを送って差し上げるわ。あなたの仲間達が大勢いる、あの世、とやらへね。きっとお仲間達も、あなたが来るのを待ち焦がれているわよ。今か今かと、首を長くしてね」
「ふざけるな! 海槌麗巳。貴様は絶対に……許さない!」
優子がヨーヨーを麗巳の前にかざし、パカッと側面を開く。中から金色に光る桜の代紋が現れた。
「よく見ろ! 海槌麗巳。この桜の代紋には、お前のせいで倒れていった、全ての学生刑事の魂がこもっている。彼らの肉体は滅びても魂は決して滅びない。その魂達がまさに今! 全力で私の肉体に訴えてるんだ! 海槌麗巳を……倒せってね!」

それまで薄笑いを浮かべながら、優子の言葉を聞いていた麗巳が、優子が発した最後の言葉を耳にした途端、目尻を吊り上げ、顔を醜く歪ませた。
この言葉、どこかで……。
そうだ、これは麻宮サキの言葉。
あの日の……、あの時の!

工場で死にかけた時の、脇腹を刺された痛み、肺とのどを焼く毒ガス、髪の毛や皮膚を焦がす凄まじい熱。さらに目の前に押し寄せる巨大な炎の記憶がフラッシュバックし、真っ黒なトラウマが麗巳に襲いかかる。
その途轍もない、恐怖の闇に引きずり込まれながら、自分の喉を潰さんばかりに麗巳が絶叫した。
「ぅぁぁあああああああああああっ! 死ねえっ! 雨宮優子おおっ!」
物凄い形相で優子を睨み付けながら、麗巳がニードルガンを撃った。
優子はサッと身を翻し、あっさりと針をかわした。
麗巳がさらにニードルガンを優子に向けて撃つ。
だが、針が出ない。玉切れだ。
もう人にぶつける以外、用をなさなくなった空のニードルガンを優子目がけて投げ付けると、麗巳は踵を返し走り出す。が、突然背中に優子のヨーヨーを受け、うつ伏せになり、黒い油が染みついたコンクリートの床に倒れ込んだ。
なおも立ち上がった麗巳に、優子がヨーヨーをサイドスローで投げ放った。
麗巳の体をヨーヨーのチェーンがぐるぐる巻きにし、ピンと跳ね飛んだヨーヨー本体が、優子の手元に戻ってくる。

唯、結花、由真の三姉妹が、離れたところでその様子を見つめていた。
そして現れる、織島みゆきこと麻宮サキ。
「誰?」
ふいに由真がサキに近づこうとした。
何かを察したのか、すかさず唯が由真を手で制する。

血まみれで近づく女性の、まっすぐに麗巳を見据える真剣なまなざしに、ただならぬ気配を感じ取った優子は、思わず一歩後ずさりをする。
針を抜いた左腕と右足を血で赤く染めた麻宮サキが、右足をかすかに引きずりながら、ゆっくりと麗巳の目の前まで近づき、血まみれの右手で警察手帳を掲げて言った。
「麗奈・氷川・アンダーソンこと海槌麗巳。あなたを殺人未遂及び公務執行妨害の現行犯として逮捕します!」
「ハア?」
麗巳が、いかにも馬鹿馬鹿しいジョークを聞いた、という風に派手な笑い声を上げる。
「アハハハハ! アハハハハ! アハハハハ! まさかスケバンまで張ったあなたが、警察の手先どころか、よりにもよって本物の警察官になるなんて。アハハハハ! 母親を人質に取られた格好の、当時のあなたなら、まだ理解できなくもないけど、今はそういう状況にはないんでしょう? 母親のナツさんは、もうとっくに亡くなっているしね。それも手帳を見れば警部補にまで、ご出世なさったようね。とんだお笑いぐさだわ! アハハハハ!」
「……」
「刑事の真似事だけじゃ飽き足らなくなったの? それとも庶民に対して、国家権力をふるう快感が忘れられなくなったのかしら? ねえ? 元スケバンさん? しばらく見ないうちに、魂まで落ちぶれてしまってたのね。あなたには失望したわ……」
すると麗巳が大きく目を剝き、サキの目を見据えながら、激しく毒づいた。
「恥を知りなさい! 麻宮サキ!」

由真(えっ!)
結花(この人が!)
唯(初代!)
優子(麻宮サキ!)

「そうか。木は森に隠せということか。フフ。さすがにそこまでは思い付かなかったわ」
一転して破顔微笑した麗巳は、まるで邪気のない笑みをサキに見せると観念したように言った。
「負けたわサキ。好きにするがいいわ」
大人しくなった麗巳の態度を見て、サキが手錠を取り出そうと、右のポケットに手を入れる。そして。

そしてそれは、ほんの一瞬の出来事だった。

麗巳がわずかに動かせる左手を素早くポケットにつっこみ、黒く太い「ボールペン」の様な物を取り出す。
すかさず、右手でサキの傷を負った左手の手首をつかむと、腕をねじりながら自分に引き寄せた。
その直後「ボールペン」で自分の腰に巻いたベルトのバックルを勢いよく叩くと、バックルの蓋が開き、中から白い粘土のようなものが現れた。
C―4、いわゆるプラスティック爆弾と呼ばれる「可塑性」、つまり粘土のように容易に変形できる爆薬。その改良版。通称C―4+(シーフォープラス)である。

C―4の五分の一ほどの量でも同等の破壊力を持つとされ、最新の空港のセキュリティーシステムにも検知されないこのC―4+を、麗巳は密かに手に入れていた。まさにこういう時のために。
麗巳が親指で「ボールペン」のキャップを強く弾き飛ばし、そこに現れたノックボタンを押すと、下から金属の棒が伸び出てきた。これが雷管。この細い雷管をC―4+に差し込みもう一度ノックボタンを押すと通電し、瞬時に大爆発を起こす。

「プラスティック爆弾か……」
奥歯を噛みしめながら、優子が悔しそうにつぶやいた。
「シーフォープラスよ。シーフォーの五倍以上の威力があるわ。死にたくなければ下がりなさい。雨宮優子」
「放せ! 麗巳! 放せ!」
サキが針で刺された左腕から再び血を流し、苦痛に身をよじりながら必死に叫ぶ。
もだえ苦しむサキの顔を見ながら麗巳が楽しそうに笑い、叫んだ。
「ハハハハハ! サキ! 今度こそ本当に! あの世へ道連れよ!」
「放せ!」
「ハハハ! あの世へ行っても寂しくなんかないわよ、サキ! 私がずっとあなたと一緒にいるからね! ハハハハハ!」
麗巳が狂気に満ちた笑みを浮かべながら、雷管をベルトのC―4+に差し込もうと、左腕の肘から先を小さく振り上げた。
その時、右ひざを床につき瞬時に太腿のホルスターから究極のヨーヨーを取り出した優子は、渾身の力とありったけの思いを込めて、ヨーヨーを麗巳目がけて投げ放った。
究極のヨーヨーを身に受け、とてつもない衝撃で思わずサキの手首をつかむ右手を放した麗巳が、一人十メートル近く吹き飛ばされてゆく。
涙を浮かべながら薄れていく意識の中、海槌麗巳が雷管をベルトのC―4+に突き刺し、最後の力を親指に込め、ノックボタンを、押した。

「カチッ」

瞬時に起こる大爆発。
格納庫に響き渡る巨大な爆音。
四散してゆく麗巳の肉体。
もうもうと広がる、焦げた肉と血の匂いのする煙。

爆発の余韻が収まった頃、伏せていた体を起こし、自ら立ち上がった麻宮サキが、まだ薄く煙の立ち込める様子を見つめながら、そっとささやく。
「麗巳……。あなたらしい……最後だったわね」
すぐに後ろを振り向き、ほぼ沈みかけた夕日を見つめ、目に薄っすらと涙を浮かべながらサキがつぶやいた。
「暗闇指令。それと…………神。ずいぶんと時間がかかったけど……。あなた達の仇は取ったわよ。それも立派な私の後輩がね」
麻宮サキの目から、ひとしずくの涙が頬にこぼれ落ちた。

海槌麗巳の最後を見届けた雨宮優子。痺れの止まない左手で、傷だらけとなった究極のヨーヨーを固く握りしめ、見つめながらつぶやいた。
「純子、佳代子、由美、みずき、そしてみんな。あんた達の仇、取ったよ」

優子の両目からあふれ出る涙は、いつまでも止まらなかった。





エピローグ

東が入院する病院に、優子、唯、それと結花の姿があった。
東はまだ意識を回復していないが、すでに集中治療室から一般病棟へ移されていた。
 
「東、お願い。ねえ、目を覚まして」
ベッドの上でこんこんと眠り続ける東の手を右手で優しく握り、優子がそっとささやきかける。
その時、東の瞼がピクリと震えると同時にかすかに唇が動いた。
「優子さん! 今の見た?」
結花が優子に声をかける。
「うん!」
泣きそうな顔で優子が頷いた。
「私! 先生を呼んで来る!」
ナースコールの存在も忘れた唯がそう叫んで、病室を出ていった。
 
その翌々日、優子は吉田たい子のもとを訪れ、助けてもらったお礼を言うことができた。
黙って病院を去ったことを詫び、立て替えてもらっていた治療費を渡そうとしたが、たい子はそれを頑として受け取らなかった。
「その代わり」と言ったたい子に抱きしめられて、優子はたい子になぜか母親の匂いを嗅いだような気がした。
 
さらに数日後。
優子はやっと自分の部屋に戻ることができた。
麗巳を倒した後、しばらくはほとんど力が入らず、激痛が続いていた優子の左腕も、少しずつ回復しつつあった。
東は意識を取り戻し、近いうちに軽いリハビリを始める予定になっている。
暗闇機関は解散となり、優子は正式に学生刑事を退任した。
東から受け取ったヨーヨーは返却したが、究極のヨーヨーはなぜか対応に当たった組織の担当者に、「それは識別ナンバーが打刻されておらず、コンピューターのシステムに登録されていない」と言われ、受け取りを拒否された。
(これだから、役所仕事は)とは思ったが、とりあえず組織のほうで過去の紙の記録をあたってみるということで、しばらくはそのまま優子が預かることになった。
 
世間では、テロリストがウィルスを使って日本人絶滅を狙ったテロを企てていた、という話題で賑わっている。
しかし、その内容は事実とは大きくかけ離れ、ただ面白おかしくマスコミが書き立てる、いわゆる都市伝説に毛が生えた程度のものに過ぎなかった。
その陰で幾人もの学生刑事が犠牲になったことは、ひと言も触れられていない。
でも優子はそのことについて、とやかく言うつもりはなかった。
学生刑事とはそういうもの。
自分達はやるべきことを、命を懸けて成し遂げた。ただそれだけだ。
 
一方で、戸塚栄太郎を始めとする老人たちに対する、東京地検の特別捜査が進められようとしていた。だが、強制捜査が実際に始まる前日、捜査対象の老人全員が、ある者は心不全等による病死、ある者は自害してこの世を去った。
アメリカの麗巳の会社や研究所には、すでにFBIが乗り込み、慎重な捜査が続けられている。今のところ正式な報告は何ひとつ公表されていない。
 
優子は今、自分の部屋で荷物の整理をしている。
暗闇機関からの資金援助がなくなった現在、この高度なセキュリティ対策がなされたマンションの高い家賃の部屋に、いつまでも住み続けることはできない。優子はすでに転居先を見つけ、少しずつ不要なものを処分していた。
元々それほど多くの家財がある訳ではないが、高校一年生の時から住み続けてきた部屋にはそれなりの荷物があり、妹や学生刑事の仲間達との思い出深い品を見つけるたびに色んな思いが込み上げてきて、ついつい手が止まってしまう。
 
今日はカラッと晴れた、いい天気だ。
久々に全開にした窓にはレースのカーテンが揺れ、気持ちのいい南風が吹き込んでいる。
その南に面した優子の部屋にはボロボロになった、けれど、唯が糸でほころびを縫ってくれたセーラー服がハンガーにかけられ、ゆらゆらと風に揺れていた。
 
まぶしい太陽の光が当たる窓のそばの机には、明るく笑う学生刑事の仲間達と優子との集合写真。
その写真立ての前には、拾った時よりもさらに傷だらけとなった赤い究極のヨーヨーが、そっと置かれていた。
 

おわり

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。